橋の本を読むと、「日本最古の橋は宇治橋」という記述によく出くわします。近くに住む者としては、「ホンマかいな? もっと古い橋があるやろ~」と突っ込みたくなりますが、少し調べてみると、ある意味では本当のようです。
「ある意味」の一つは、丸木橋などは除いて一定の構造物という条件。丸木橋までカウントしたら「日本最古」なんて確定できないですからね~。もう一つは、記録に残っていて、なおかつ現在も(代替わりはあるものの)架橋されているという条件。
記録上では宇治橋よりも昔に、大阪市に「猪甘津(いかいつ)の橋」という橋があったそうですが、現在は架橋されていないので結局は宇治橋が日本最古のようです。
(日本最古の橋、宇治橋。この日はたまたま宇治川が増水中)
宇治橋の東詰に「橋寺」というお寺があって、その境内から由来を記した石碑が出土しました。それによると、道登(どうと)というお坊さんが、増水すると流れが速くて馬や船では渡れずに困っている旅人を見て、橋を架けようという大願を抱き、浄財を集めて架橋に着工。いろいろな悲しい伝説を生みながらも、大化2年(646年)に完成したそうです。
別の資料によると、全長90mの橋桁に、長さ9m(=橋の幅)×幅43cm×厚さ26.4cmの板が敷いてあったそうです。材は記録されていませんが、強度と耐久性に優れたケヤキかヒノキでしょう。
(宇治橋のたもとにある橋寺。由来を記した石碑が残っています)
長い歴史の中では何度も洪水や戦で壊れ、その度に再構築されたはず。私が宇治市に引っ越してからも、道路拡幅のために架け替えられました。
現在は木造ですが、先代の橋は鉄製で、しかもピンクと淡いグリーンというとんでもない配色でした。誰がデザインしたのか、とても日本最古の橋にふさわしいとは言えません。その先代の橋の一部がたもとに残されています。
(先代の宇治橋の一部。かなり色褪せていますがピンクでした)
現在の宇治橋は、橋脚はコンクリート製ながら、ヒノキの欄干に青銅の擬宝珠が飾られています。やっぱり日本最古の橋なんだから、こうでないと。
でも、ほとんどの宇治市民はこの橋が日本最古とは知らないだろうな~。
2008年の「樹々日記」は本日までとします。今年も閲覧していただき、ありがとうございました。来年は5日から始めますので、またアクセスしてくださいね。では、皆様、良いお年を…。
「ある意味」の一つは、丸木橋などは除いて一定の構造物という条件。丸木橋までカウントしたら「日本最古」なんて確定できないですからね~。もう一つは、記録に残っていて、なおかつ現在も(代替わりはあるものの)架橋されているという条件。
記録上では宇治橋よりも昔に、大阪市に「猪甘津(いかいつ)の橋」という橋があったそうですが、現在は架橋されていないので結局は宇治橋が日本最古のようです。
(日本最古の橋、宇治橋。この日はたまたま宇治川が増水中)
宇治橋の東詰に「橋寺」というお寺があって、その境内から由来を記した石碑が出土しました。それによると、道登(どうと)というお坊さんが、増水すると流れが速くて馬や船では渡れずに困っている旅人を見て、橋を架けようという大願を抱き、浄財を集めて架橋に着工。いろいろな悲しい伝説を生みながらも、大化2年(646年)に完成したそうです。
別の資料によると、全長90mの橋桁に、長さ9m(=橋の幅)×幅43cm×厚さ26.4cmの板が敷いてあったそうです。材は記録されていませんが、強度と耐久性に優れたケヤキかヒノキでしょう。
(宇治橋のたもとにある橋寺。由来を記した石碑が残っています)
長い歴史の中では何度も洪水や戦で壊れ、その度に再構築されたはず。私が宇治市に引っ越してからも、道路拡幅のために架け替えられました。
現在は木造ですが、先代の橋は鉄製で、しかもピンクと淡いグリーンというとんでもない配色でした。誰がデザインしたのか、とても日本最古の橋にふさわしいとは言えません。その先代の橋の一部がたもとに残されています。
(先代の宇治橋の一部。かなり色褪せていますがピンクでした)
現在の宇治橋は、橋脚はコンクリート製ながら、ヒノキの欄干に青銅の擬宝珠が飾られています。やっぱり日本最古の橋なんだから、こうでないと。
でも、ほとんどの宇治市民はこの橋が日本最古とは知らないだろうな~。
2008年の「樹々日記」は本日までとします。今年も閲覧していただき、ありがとうございました。来年は5日から始めますので、またアクセスしてくださいね。では、皆様、良いお年を…。