樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

貞節な鳥

2019年01月31日 | 野鳥
略奪婚や一妻多夫、一夫多妻などちょっと変わった鳥の結婚形態をご紹介してきましたが、もちろん人間と同じように生涯一夫一妻を貫く鳥もいます。
ツル、ガン、ハクチョウ、ワシ、ペンギンなどは相手と死別するまでは離婚しないそうです。こうやって並べて気づくのは、すべて大型の鳥。体のサイズと結婚形態に何か因果関係があるのでしょうか。
意外なことに、カラスも夫婦の絆が強く、基本的には一夫一妻。中でもワタリガラスは貞節で、相手が死んだ後は独身を通すとのこと。ヨーロッパでは一時「ワタリガラスが家畜を襲う」という誤解が広がり、猟銃や毒薬で根絶キャンペーンが展開されたため、独身のワタリガラスが増えて絶滅の危機に瀕したそうです。


ワタリガラス(Public Domain)

そのワタリガラス以上に貞節なのが、アホウドリ。『鳥の不思議な生活』の著者ノア・ストリッカーは、「この世界を股にかける鳥は、夫婦が一生連れ添い、パートナーに対して驚くほど貞節をつくし、地球上の動物でもっとも熱烈な恋愛をしているかもしれない」と書いています。
そして、理想的な男女関係への思い入れを込めて次のように続けます。「1年の大半、アホウドリは完全に遠距離恋愛だ。それでも彼らは海原と数十年の年月を越えて関係を保ち、不倫も離婚もほとんどない。連絡を取りあうための携帯電話もなく、一度に数カ月、海で孤独な生活を追い求める。パートナーが生きているかどうかさえ知らず、時が来たら絶海の孤島で再会することを願い、期待するだけだ。アホウドリのつがいは、ほとんど切れることのない絆を頼りに、時間と空間を超えて関係を保つのだ」。


アホウドリ(Public Domain)

こういう記述に心打たれるのは、私たちが一夫一妻制を理想とし、「貞節は善」という価値観を持っているからでしょう。しかし、鳥たちの多様な結婚形態を調べて感じるのは、「そんな理想や価値観は幻想に過ぎない」ということ。生物界の実相は、「種の保存のためなら何でもあり」ということのようです。
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1夫11妻

2019年01月24日 | 野鳥
しつこいようですが、鳥の結婚形態の話を続けます。鳥の9割以上は一夫一妻制といわれています。ある学者によると、ほとんどの哺乳類は一夫多妻や多夫多妻で、鳥類のような一夫一妻は珍しいそうです。
その理由は、哺乳類は雄が授乳に関われないので子育てを雌に任せるのに対し、鳥類は卵を体外に産み落とすので、抱卵や給餌を雌雄両方で分担できるからとのこと。
以前ご紹介したタマシギ(一妻多夫)はきわめて珍しいケースですが、逆の一夫多妻も少ないながら存在します。身近な鳥ではウグイス。
日本鳥学会誌に掲載された研究報告によると、1羽の雄の縄張りの中で6~7羽の雌が7つの巣を造ったとのこと。造巣も抱卵も給餌も雌のみが行い、捕食者(カラス?)に対するモビングも含めて雄はヒナの世話を一切しなかったそうです。
鳥には鳥の生態があるので、私たちの価値観で「無責任な父親!」と糾弾はできませんが、人間の雄にとってはうらやましい話です(笑)。
ウグイスが春から夏にかけてずーっとさえずり続けるのは、より多くの雌を獲得して、自分の子孫を1羽でも多く残そうというDNAの仕業なのでしょう。



ウグイス以上にうらやましいのがセッカ。この鳥の雄は春先に渡来すると100m四方程度の縄張りを形成し、プロポーズのために巣を造ります。1つの巣ごとに雌を誘って交尾し、子育ては雌に押し付けて次の雌を誘う巣造りに励みます。
大阪府で行われた調査では、18個の巣を造り、11羽の雌とつがった雄がいたそうです。つまり、1夫11妻。その調査を行った鳥類学者は、「セッカは番(つがい)という概念では表せない」と語っています。
下の動画は昨年の夏に近くの干拓地で撮影したセッカ。いつも同じエリアでさえずっていました。複数の雌を獲得するために、巣造りに精を出していたのでしょう。



ウグイスやセッカのほか、オオセッカ、オオヨシキリ、コヨシキリ、ミソサザイも一夫多妻です。共通点は、餌が虫であることと雌雄同色。何か因果関係があるのでしょうか。
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鳥たちの略奪婚・同性婚

2019年01月17日 | 野鳥
野鳥の配偶システムを調べていると、驚くべきことが次々に判明します。一夫多妻や一妻多夫、多夫多妻は想定どおりですが、いちばん面白いのはエリマキシギの婚活。
この鳥は「レック」と呼ばれる繁殖場所に雄が集まり(下の図)、その中に縄張りをつくって雌にプロポーズします。雄には3つのタイプがあって、縄張りを持ち、名前のとおり襟巻きのような羽毛を誇示して雌を誘う“縄張り雄”(図の右)。縄張りを持たず、縄張り雄から雌を略奪しようとする白い羽毛の“はなれ雄”(図の左)。


エリマキシギのレック(画像はPublic Domain)

さらに、雌と同じ色の羽衣(うい)で擬態し、縄張り侵入に対する攻撃を避けながら縄張り雄から雌を奪おうとする“女装雄”がいるそうです。上の図の右手前の個体は、女装した雄なのか本当の雌なのか分かりませんが、繁殖地である北極圏の湿地ではこういう状況が繰り広げられているわけです。
略奪あり、女装あり。自分の子孫を残すために、鳥たちは涙ぐましい努力をしているんですね。
エリマキシギは夏~秋に近くの干拓地にやってきます。繁殖期ではないので、名前の由来である襟巻のような首の羽毛は見られませんが、2年前それを彷彿とさせる(動画の後半)羽衣の個体を観察しました。



ここで羽を休めるのはほとんどが幼鳥なので、今年の夏に会ったら「お前の両親は略奪婚か?女装婚か?」と尋ねてみようと思います。
エリマキシギ以上に驚くのは、同性婚。近年、人間社会では世界中で認められるようになりましたが、鳥の世界にもいくつかの事例があるというのです。
一つは、カリフォルニア湾のウスオオカモメ。雌同士がペアになった巣に受精卵が発見されています。どちらかの雌が雄と交尾した後に雌同士でペアになった極めて珍しい事例とのこと。
また、オランダの大学で飼育されていたユリカモメは、形成された57のペアのうち6つが雄同士のペアだったそうです。巣に受精卵を入れたところ、ヒナをかえし、餌もやって無事に巣立たせたといいます。
鳥たちの配偶システムは想像以上に複雑怪奇で、好奇心を刺激されます。
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海のオシドリ

2019年01月10日 | 野鳥
日曜日、ガンカモ調査のために故郷でもある丹後に行ってきました。毎年、雪や雨で延期になることが多いのですが、今年は第1候補の日に実施できました。それでも、「弁当忘れても、傘忘れるな」と言われる丹後特有の天候「うらにし」で、少し雨に降られましたが…。
天橋立の内海・阿蘇海には、今年もコハクチョウが2羽やってきました。以前は10羽ほどいましたが、少なくなりました。



阿蘇海の調査を終えて、丹後の会員から情報をいただいたコクガンを探しに外海側に出ると、いました、いました。幼鳥のせいか警戒心がゆるく、私たちや観光客がいる浜辺にどんどん近づいて来ます。
一昨年の調査で4羽確認したので2年ぶり。同行メンバー4人でじっくり観察しました。残念ながら動画用のカメラを忘れたので撮影できず、メンバーが撮影した画像をお借りしました(コハクチョウも)。



昨年まで昼食は土産物屋の中のレストランで済ませていたのですが、せっかくの遠出なので少し贅沢しようと、数年前の帰省の際に訪れた和食レストラン「雪舟庵」を利用しました。
雪舟が描いた『天橋立図』(国宝)に因む名前のとおり、店内から一望できるよう横長の窓が設けてあります。



お寿司付きのお正月料理をいただきました。私はグルメではないのですが、他の3人が満足してくれたようなので安心しました。



昼食後、丹後半島沿いに伊根まで調査しました。結果、トータルで約2900羽をカウント。「今年はカモが少ない」という声を聞く中、昨年より900羽も多い数です。
それよりも驚いたのは、阿蘇海でオシドリを3羽観察したこと。この鳥は池や川など内陸部の淡水域に生息し、主にドングリを食べています。阿蘇海は内海とはいえ海水域。約30年の鳥見人生で、初めて海に浮かぶオシドリを見ました。
マガモやカルガモのように淡水域にも海水域にも生息するカモはいますが、餌となる水草があるから。広い海にドングリがあるわけもなく、なぜオシドリが海面に浮いているのか不思議です。
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渡り鳥にかける想い

2019年01月03日 | 野鳥
明けましておめでとうございます。本年も当ブログによろしくお付き合いください。
さて、今シーズンも湖北にオオワシがやってきました。通称「山本山のおばあちゃん」。21年連続とのこと。下は5年前に現地で撮影したおばあちゃん。



そのオオワシを追いかけた女性作家がいます。名前は梨木香歩。本業は絵本や児童文学のようですが、渡り鳥をテーマにした紀行作品『渡りの足跡』も発表しています。
オオソリハシシギやハチクマの話も出てきますが、なぜかオオワシに固執し、北海道知床、新潟県福島潟、長野県諏訪湖、そして琵琶湖、さらにはカムチャッカ半島まで追いかけます。そこで遭遇したオオワシについての記述が以下。

知床で出会った、新潟で出会った、諏訪湖で、琵琶湖で出会った、あなたがたが毎年早春、遥か彼方へ帰って行く、その翼が目指している場所の一つはここであったのか、と改めて感慨を深くする。こんなにも荒々しくもの寂しく、また潔く清々しい、鉛色をした北の海であったのか。

そして、鳥の渡りに人の生き方を重ねながら日本人の移民についても同じような視点で書き連ね、次のように締めくくります。

さあ、出発しよう、というときの衝動は、「帰りたい」という本能的な帰巣本能とほとんど同じもののような気がしてならない。生物は帰りたい場所へ渡る。自分に適した場所、自分を迎え入れてくれる場所。自分が根を下ろせるかもしれない場所。本来自分が属しているはずの場所。還っていける場所。たとえそこが、今生では行ったはずのない場所であっても。

この記述の「自分」を「私」に置き換えると、渡り鳥にかける彼女の想いが伝わってきます。
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