樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

平安時代のバードウオッチャー

2019年04月25日 | 野鳥
「鳥では、外国のものだけどオウムが面白い。人が言うことをまねするというじゃないの」。
こう書いているのは清少納言。1000年前すでにオウムが移入されていた事実に驚きますが、『枕草子』の著者がバードウオッチャーであったらしいことに興味が湧きます。上記の後、次のように綴っています。
「ホトトギスやクイナ、シギ、ヒワ、ヒタキも好き。雌雄が谷を隔てて寝るというヤマドリはかわいそう。ツルはとても仰々しいけれど、宮中まで届くという声は素晴らしい。頭の赤い鳥、イカル、ミソサザイもいい。サギは見た目がみっともなく、目つきが悪くて親しみが持てないけれど、雌をめぐって争うところが面白い。水鳥ではオシドリに心ひかれる。特に、雌雄が互いに羽の上の霜を払う様子が素敵。チドリもとても趣きがある」。
ウグイスについても、以下のように記しています。
「ウグイスは素晴らしいものとして漢詩などにも作り、声も姿も上品でかわいいのに、御所で鳴かないのがよろしくない。10年ほど宮中にお仕えしているのに、声を聞いたことがない。御所には竹や梅が多く、ウグイスがいてもおかしくないのになぜでしょう。一方、町中の粗末な家のつまらない梅の木にはやってきて、やかましいくらいに鳴いている」。



「ウグイス=梅」というステレオタイプの認識や、上述のヤマドリのように伝承や耳学問の知識も混じっていますが、サギなどの記述は自らの観察に基づいているようです。ホトトギスの声を聴くために、わざわざ牛車に乗って上賀茂あたりに出かけたりもしています。ホトトギスが好きだったようで、以下のような記述もあります。
「ホトトギスが卯の花や花橘などに止まって、なかば隠れて鳴いているのは大変風情がある。五月雨の短い夜に眠りから覚めて、何とかして人より先にホトトギスの声を聞きたいと待ち続け、まだ夜が深いうちに鳴きだした声を聴くのが素敵。夜鳴くものは何でもみな素晴らしい。赤ん坊は例外だけど…」。
3年ほど前までは、わが家でもホトトギスの声がよく聞こえました。以下は、近所で採ったもの。姿は見えませんが、清少納言が言うように隠れて鳴いているのは風情があります。



最近はホトトギスの声が聞こえませんが、先日の夜、フクロウの声を聞いてちょっと幸せな気持ちになりました。
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ルノアールが描いた鳥

2019年04月18日 | 野鳥
花鳥画の伝統がある日本画には鳥を描いた作品がたくさんありますが、西洋絵画にはあまりありません。そんな中、ルノアールには珍しく鳥を描いた作品があります。正式なタイトルは、『鳥と少女(アルジェリアの民族衣装をつけたフルーリー嬢)』。ルノアールがアルジェリアを旅行した際に着想を得て、知人のフルーリー将軍の孫娘を描いたとのこと。



描かれたのは1882年。当時のフランスにはアラブ風俗に対する憧れがあったようで、ルノアールもエキゾチックな民族衣装を描きたかったのでしょう。画集などでは、少女が手にしているのはハヤブサと説明されています。
『ナショナル・ジオグラフィック』の昨年10月号に、中東で行われているハヤブサによるタカ狩りの記事があって、「古代メソポタミアの『ギルガメッシュ叙事詩』を見ると、現在のイラクに4000年前からタカ狩りがあったことがうかがえる」と記者が書いています。
私の推測ですが、アラブにはハヤブサを使ったタカ狩りが文化として定着しているので、民族衣装+ハヤブサ=アラブ風俗というアイコンが当時のヨーロッパでは成立していたのではないでしょうか。
しかし、バードウオッチャーならこの絵のハヤブサに違和感を覚えるはず。少女の体のサイズと比べると小さいのです。ハヤブサではなく、同じ仲間のチョウゲンボウではないかと思っていろいろ調べたところ、荒俣宏の『絶滅希少鳥類』に以下の記述がありました。「鷹狩りの黄金時代には、コチョウゲンボウは貴族の女性に愛され、彼女たちの鷹狩りに使われたので、“貴婦人のタカ”と呼ばれた」。
画像を拡大してみると、上面が紺色に描かれているのでコチョウゲンボウのようです。私の撮影ではないですが、下の動画はコチョウゲンボウ。



でも、どちらかというとネズミや昆虫など小動物を捕食するコチョウゲンボウで狩りの楽しみが味わえたのでしょうか。
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「保全」か「改変」か

2019年04月11日 | 野鳥
調べたいことがあって府立図書館で資料を探していると、『絶滅できない動物たち』という本に目が止まりました。鳥の章だけを読んで驚きました。
北米に「世界でもっとも数が多い鳥」といわれたリョコウバトがいました。19世紀に活躍した鳥類研究者であり画家のオーデュボンは、その渡りを見て「空を覆い尽くすような群れが3日間途切れることなく飛び続けた」と日記に記しているそうです。そのオーデュボンが描いたリョコウバトが以下。


Public Domain

ところが、このハトは肉が美味だったために乱獲され、1890年代には激減。そして1914年、動物園で飼育されていた最後の1羽が死亡して絶滅します。下は、マーサ(初代大統領ワシントンの妻の名)と名付けられた最後の1羽の写真。


Public Domain

上記の『絶滅できない動物たち』には、そのリョコウバトのDNAを抽出して蘇らせるというプロジェクトが進行していると書いてあったのです。家に帰ってネットで調べてみると、『ナショナルジオグラフィック』の記事に具体的なことが書いてありました。
要約すると、博物館に保存されているリョコウバトの標本からDNAを抽出し、遺伝子操作によってリョコウバトの形質を持つ鳥を作成しようとしたものの、完全なゲノムの抽出が難しいので、現存する別の鳥のゲノムと入れ替えてリョコウバトを生み出すということのようです。
驚くとともに、「こんなことが許されるのか?」と疑問が湧いてきました。しかし、コウノトリやトキは人工繁殖によって絶滅を免れました。絶滅した動物をDNA操作で再生することと、絶滅寸前の動物を人工繁殖で増やすことにどれほどの違いがあるのでしょう。
人工的に動物を再生・調整することは、自然の保全なのか改変(もっといえば破壊)なのか、私には結論が出せません。
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光琳と応挙

2019年04月04日 | 野鳥
尾形光琳は『燕子花(かきつばた)図』や『紅白梅図』でよく知られていますが、花だけでなく鳥も描いていて、2つの代表作と同じく華麗な画風の『群鶴図』があります。
左隻(させき)に9羽、右隻に10羽描かれているのはナベヅル。写実的ではなく、工芸デザインも手掛けた光琳らしく、単純化されています。『紅白梅図』にも描かれている流水紋と金箔を配した背景に、ナベヅルが並んだ豪華な屏風絵です。

左隻

右隻

光琳が鳥をスケッチした「鳥獣写生図巻」には66種の鳥が描かれていますが、実物の鳥を写生したわけではなく、江戸時代初期の絵師・狩野探幽(たんゆう)の写生帖を模写したようです。カメラはもちろん双眼鏡も望遠鏡もなかった当時、絵師たちは飼い鳥やはく製を写生するか、先人たちの写生図を模写する以外にスケッチの方法がなかったわけです。
ある研究者によると、光琳は探幽の写生図をそのまま模写するだけでなく、配色をアレンジしたり細部をデフォルメしているとのこと。つまり、実際の鳥とは異なるものをスケッチしていたわけです。
私たちは何となく「日本画の鳥は写実的で、本物のように生き生きと描かれている」と思いがちですが、伊藤若冲(じゃくちゅう)のタンチョウに鳥にはないはずの歯が描かれているように、必ずしも写実的とは限りません。にもかかわらず見る者を魅了するのが、作家の感性であり技でしょう。
光琳の死後に活躍した円山応挙も『群鶴図』を描いています。光琳のナベヅルに対して、こちらはタンチョウとマナヅル。

左隻

右隻

光琳がデザイン的に単純化して描いたのに対して、応挙は写実的。近世の日本画家の中でも特に写実を重視した応挙は、常に写生帖を持ち歩いてスケッチを繰り返したそうです。
しかし、光琳と同じく、鳥の実物を写生することが難しいので、先人の写生図を模写せざるを得ませんでした。応挙が模写したのは、先輩の絵師・渡辺始興(しこう)の「真写鳥類図巻(しんしゃちょうるいずかん)」。63種類の鳥が部分拡大図などと共に描かれた17メートルにもおよぶ巻物です。
面白いのは、光琳が狩野探幽の写生図をアレンジしながら模写したのに対して、応挙は始興の元絵をそのままコピーしたように模写していること。
ツルの元絵が始興のものかどうか不明ですが、12羽のタンチョウと5羽のマナヅルがそれぞれ異なる動きや向きで描かれています。光琳の『群鶴図』は19羽のナベヅルがほとんど同じ向きと姿勢であったのとは対照的です。構図(デザイン)を優先した光琳と、写実(リアル)を優先した応挙の違いがよく分かります。
私の好みは、長年仕事でデザインに関わってきたので、やはり光琳です。
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