「鳥では、外国のものだけどオウムが面白い。人が言うことをまねするというじゃないの」。
こう書いているのは清少納言。1000年前すでにオウムが移入されていた事実に驚きますが、『枕草子』の著者がバードウオッチャーであったらしいことに興味が湧きます。上記の後、次のように綴っています。
「ホトトギスやクイナ、シギ、ヒワ、ヒタキも好き。雌雄が谷を隔てて寝るというヤマドリはかわいそう。ツルはとても仰々しいけれど、宮中まで届くという声は素晴らしい。頭の赤い鳥、イカル、ミソサザイもいい。サギは見た目がみっともなく、目つきが悪くて親しみが持てないけれど、雌をめぐって争うところが面白い。水鳥ではオシドリに心ひかれる。特に、雌雄が互いに羽の上の霜を払う様子が素敵。チドリもとても趣きがある」。
ウグイスについても、以下のように記しています。
「ウグイスは素晴らしいものとして漢詩などにも作り、声も姿も上品でかわいいのに、御所で鳴かないのがよろしくない。10年ほど宮中にお仕えしているのに、声を聞いたことがない。御所には竹や梅が多く、ウグイスがいてもおかしくないのになぜでしょう。一方、町中の粗末な家のつまらない梅の木にはやってきて、やかましいくらいに鳴いている」。
「ウグイス=梅」というステレオタイプの認識や、上述のヤマドリのように伝承や耳学問の知識も混じっていますが、サギなどの記述は自らの観察に基づいているようです。ホトトギスの声を聴くために、わざわざ牛車に乗って上賀茂あたりに出かけたりもしています。ホトトギスが好きだったようで、以下のような記述もあります。
「ホトトギスが卯の花や花橘などに止まって、なかば隠れて鳴いているのは大変風情がある。五月雨の短い夜に眠りから覚めて、何とかして人より先にホトトギスの声を聞きたいと待ち続け、まだ夜が深いうちに鳴きだした声を聴くのが素敵。夜鳴くものは何でもみな素晴らしい。赤ん坊は例外だけど…」。
3年ほど前までは、わが家でもホトトギスの声がよく聞こえました。以下は、近所で採ったもの。姿は見えませんが、清少納言が言うように隠れて鳴いているのは風情があります。
最近はホトトギスの声が聞こえませんが、先日の夜、フクロウの声を聞いてちょっと幸せな気持ちになりました。
こう書いているのは清少納言。1000年前すでにオウムが移入されていた事実に驚きますが、『枕草子』の著者がバードウオッチャーであったらしいことに興味が湧きます。上記の後、次のように綴っています。
「ホトトギスやクイナ、シギ、ヒワ、ヒタキも好き。雌雄が谷を隔てて寝るというヤマドリはかわいそう。ツルはとても仰々しいけれど、宮中まで届くという声は素晴らしい。頭の赤い鳥、イカル、ミソサザイもいい。サギは見た目がみっともなく、目つきが悪くて親しみが持てないけれど、雌をめぐって争うところが面白い。水鳥ではオシドリに心ひかれる。特に、雌雄が互いに羽の上の霜を払う様子が素敵。チドリもとても趣きがある」。
ウグイスについても、以下のように記しています。
「ウグイスは素晴らしいものとして漢詩などにも作り、声も姿も上品でかわいいのに、御所で鳴かないのがよろしくない。10年ほど宮中にお仕えしているのに、声を聞いたことがない。御所には竹や梅が多く、ウグイスがいてもおかしくないのになぜでしょう。一方、町中の粗末な家のつまらない梅の木にはやってきて、やかましいくらいに鳴いている」。
「ウグイス=梅」というステレオタイプの認識や、上述のヤマドリのように伝承や耳学問の知識も混じっていますが、サギなどの記述は自らの観察に基づいているようです。ホトトギスの声を聴くために、わざわざ牛車に乗って上賀茂あたりに出かけたりもしています。ホトトギスが好きだったようで、以下のような記述もあります。
「ホトトギスが卯の花や花橘などに止まって、なかば隠れて鳴いているのは大変風情がある。五月雨の短い夜に眠りから覚めて、何とかして人より先にホトトギスの声を聞きたいと待ち続け、まだ夜が深いうちに鳴きだした声を聴くのが素敵。夜鳴くものは何でもみな素晴らしい。赤ん坊は例外だけど…」。
3年ほど前までは、わが家でもホトトギスの声がよく聞こえました。以下は、近所で採ったもの。姿は見えませんが、清少納言が言うように隠れて鳴いているのは風情があります。
最近はホトトギスの声が聞こえませんが、先日の夜、フクロウの声を聞いてちょっと幸せな気持ちになりました。