樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

2010年05月31日 | 木と作家
今年はNHKでドラマ「とめはねっ!」」が放映されたり、映画「書道ガールズ」が公開されたり、書道がブームになっているようです。
その書道に使う墨には、菜種油やゴマ油を燃やした煤で作る「油煙墨」と、木を燃やした煤で作る「松煙墨」があります。油煙墨のメーカーは奈良市にいくつかあって、筆ペンでお馴染みの呉竹もその一つ。一方、松煙墨を作っているのは和歌山県の「墨工房・紀州松煙」のみ。


わが家の墨は油煙墨?松煙墨?

そのホームページによると、松煙墨に使う木はアカマツ。しかも、立木を伐採するのではなく、枯れた幹や折れた枝が地面で野ざらしになって朽ちたものを使うとか。
アカマツの油が不完全燃焼することで良質の煤が得られるのですが、そのためには枯れてから10~15年ほど経ったものがいいそうです。木のことはいろいろ勉強しましたが、朽ちた木にこんな用途があるとは知りませんでした。


散歩コースに落ちているアカマツの朽ち木(これは伐採木)

最近アカマツは松枯れ病に侵されることが多いですが、病気で枯れたアカマツには油がないので使えないそうです。10kgの煤を採るのに500kgのアカマツが必要なのに、松煙墨に適した朽ち木はだんだん入手できなくなっているようです。
一般家庭で墨を摺って筆を使うことはないので、ほとんどは書道や水墨画など芸術分野での需要でしょう。昔は黒ければよかった墨ですが、最近はにじみの大きい墨や色付きの墨を求める書道家が増えるなど、この世界も進化しているそうです。
私も小学生のころ書道教室に通いましたが、その効果は全くなく、今でも子供っぽい字しか書けません。
墨工房・紀州松煙さんのwebサイトはこちら
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競馬と木

2010年05月27日 | 木と言葉
競馬はやりませんが、木との関連で少し興味があります。桜花賞や皐月賞もそうですが、先週G-1史上初の同着優勝で話題になった「オークス」も樹木(oak)に由来するはず。
調べてみると、1779年にダービー卿が自分の領地The Oaksで3歳牝馬のレースを開催したのが始まりだそうで、その領地にはオーク(カシではなくナラ)がいっぱい茂っていたのでしょう。
レースだけでなく馬にも木の名前がついていて、そのオークスにもオウケンサクラ(3番人気)、アプリコットフィズ(4番人気)が出走しました。


久しぶりに京都競馬場で観戦

近くにある京都競馬場にはカモの調査で毎冬訪れますが、先日久しぶりに馬を見に行ってきました。第6レースにはスギノブロッサムという馬が出走。花粉症の方は鼻がムズムズするような名前ですね。
けっこう人気が高かったようですが、残念ながら4着。ついでに鳥関連では第4レースにイーグルという馬が出走しましたが、こちらも2番人気なのに4着でした。


パドック場のスギノブロッサム


イーグル

1964年のオークスで優勝したのはカネケヤキ。この馬は同年の桜花賞でも優勝しており、木の名前の馬が木の名前の重賞レースで2冠に輝いたわけです。しかも、ライバルにウメノチカラという馬がいたそうで、木に縁の深い馬だったんですね。
10年ほど前にポンデローザという馬が活躍したようですが、これは北米大陸の西部に自生するマツ。宇治市の姉妹都市、カナダのカムループス市にはたくさん生えているらしく、交流のしるしとして宇治市植物公園に数本植えてあります。


宇治市植物公園のポンデローザ

1969年の日本ダービーではタカツバキという馬が1番人気だったそうです。ところが、スタート直後に落馬。ツバキは花が首から落ちるので病人のお見舞にも使いませんが、馬にとっても不吉だったようです。それ以来、ツバキは馬の名前には使われなくなったとか。
久しぶりに競馬場を訪れて感じたのは、「馬って美しい動物だな~」。ギャンブルには不向きな性格なので馬券は買いませんが、パドック場で目の前を歩くサラブレッドに見とれていました。
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遣唐使船

2010年05月24日 | 木と乗物
前回ご紹介した平城遷都1300年祭に出かけたもう一つの目的は遣唐使船。7~9世紀に日本と中国の間を行き来した木造船が会場に復元されているのです。
資料が残っていないので、平安時代の絵巻物などを参考に静岡県の造船所が設計・製作したそうです。全長30m、最大幅9.8m、使用した木材は300本の吉野杉。当時の船はスギだけでなく、クスノキも使ったはずです。


設計の参考にされた「吉備大臣入唐絵巻」の遣唐使船


復元された遣唐使船

この船に100~150人が乗り込み、大阪-瀬戸内海-東シナ海-中国を往復したのです。難破することも多く、渡航は命がけ。それでも、空海、最澄、山上憶良など歴史上の人物は危険を冒して中国に渡り、帰りには先進の文化や仏典を持ち帰ったわけです。
船体はもちろん、イカリも木造。海底に食い込むように又木に石を結びつけて停泊したらしいです。鉄製のイカリが登場するのは、日本では室町時代以降とのこと。


木製のイカリ。石がくくりつけてあります

今年は遣唐使船がもう1隻復元されました。平城遷都1300年と上海万博を結びつけて、角川文化振興財団がプロデュース。なぜか中国で建造し、いったん日本まで運んで、5月8日に大阪港を出発。門司や長崎に寄港した後、上海万博のジャパン・ウィークが始まる6月12日に上海に入港するそうです。ただし、こちらは船体は鋼鉄製で、動力はディーゼルエンジン。
先日放映されたNHKの「歴史秘話ヒストリア」で海に浮かぶ遣唐使船が登場しましたが、多分この復元船だと思います。
角川文化振興財団の理事長は角川歴彦氏。おもしろいことに、兄の角川春樹氏も35年前に、魏志倭人伝のルートを探ると称し、古代船「野性号」を建造して朝鮮海峡を渡っています。兄弟そろってロマンチストなんですね。
なお、奈良国立博物館で「平城遷都1300年記念・大遣唐使展」が開催されています。
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大極殿

2010年05月20日 | 木造建築
平城遷都1300年で盛り上がっている奈良に行ってきました。
主な目的は大極殿。3年前、まだ工事中に訪れたときもご紹介しましたが、文化庁が原寸で復元した巨大木造建築です。
工事期間9年、総工費180億円という一大プロジェクト。その半分以上の98億円が木材調達費だそうです。


(復元された平城京の大極殿)

奈良県の林業地・吉野のヒノキを使ったという情報と、輸入材(ベイヒバ…北米産ヒノキ)を調達したという情報が入り混じっていますが、私は後者だと思います。
現在の日本にこんな巨大建築をまかなうヒノキの大木はないはずで、同じ奈良の薬師寺金堂の再建にはタイワンヒノキが、現在再建中の興福寺金堂にもアフリカ産の木材が使われています。
いずれにしても木材だけで98億円というのは信じられない額。今なら多分、事業仕分けで廃止されるでしょう。
建物の規模は、間口44m×奥行き19.5m×高さ27m。当時はこの巨大な木造建造物の中で、天皇の即位や元旦の儀式、外国使節の謁見など国家的なセレモニーが行われたわけです。
実は、遷都のメモリアルイヤーに復元された大極殿がもう一つあります。京都では平安遷都1100年の記念事業として、明治27年に大極殿が復元されています。それが、現在の平安神宮。


(平安京の大極殿=平安神宮の外拝殿)

平城京の大極殿と異なるのは、屋根が1層であること。また、こちらは原寸ではなく、8分の5に縮小されています。そのサイズが間口33m×奥行き12mですから、原寸なら53m×19m。奈良の大極殿よりもやや大きかったわけです。
もう一つの相違点は、奈良の大極殿が当時とほぼ同じ場所に建てられたのに対して、京都の大極殿は離れた場所に再建されたこと。実際の場所である都心部(千本丸太町あたり)に建てる計画でしたが、用地買収に失敗して現在の場所(岡崎地区)に変更されたそうです。
また木材調達の面でも、明治時代なら輸入材に頼らなくてもよかったでしょうから、こちらの大極殿は国産材のはずです。


(平安京大極殿は復元後すでに115年)

平城遷都1300年祭は今年の11月まで続く一大イベント。一方、平安遷都1100年では京都三大祭の一つ「時代祭」が始まり、内国博覧会も行われましたから、イベントの規模としては京都の方が大きかったようです。
それにしても、京都は遷都1100年、奈良は遷都1300年。1200年とか1500年ではなく、中途半端なメモリアルイヤーに大事業が行われるんですね。
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学問の木

2010年05月17日 | 伝説の樹
「楷(かい)の木」ってご存知ですか? 
中国山東省にある孔子の墓に弟子の子貢(しこう)が植えた木で、科挙の試験に合格した人にこの木で作った笏を贈ったことから、中国では「合格祈願の木」や「学問の木」として知られているそうです。
植物学的にはウルシ科カイノキ属の落葉高木。枝が直角に伸びて楷書の文字に似ていることから「楷の木」と呼ばれるようになったとか。その珍しい木が大阪のある公園に植樹されたと聞いて行ってきました。


(楷の木)

1915年に孔子の墓の木の種子が日本に持ち込まれ、岡山藩の藩校などに植えられました。現在、その藩校のカイノキの落ち葉は受験のお守りとして持ち帰られるとか。岡山県ではけっこう一般的で、紅葉が美しいこともあって学校や公園によく植えられているようです。


(ウルシの仲間なので羽状複葉)

この大阪のカイノキも岡山の藩校の種子から育てられたもので、孔子の墓に植えられた木の子孫にあたります。訪れたのは4月末でしたが、まだ葉っぱの展開が始まったばかりでした。公園には全部で5本のカイノキが植えられています。
数年後には、岡山県と同じように、この落ち葉が合格祈願として持ち帰られるようになるかも知れません。
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「モナ・リザ」とポプラ

2010年05月13日 | 木と作家
子供の頃は絵が好きで、一時は画家を夢見て高校の美術部で油絵を描いていました。
絵の具や筆もそうですが、高価だったのはキャンバス。貧しい田舎なので、私も含めて多くの部員が新しいキャンバスはたまにしか使えず、先輩が残した作品の絵の具を削り取って白く塗り直して使ったり、大きな作品はベニヤ板に描いたりしていました。
世に伝わる名作はキャンバスに描かれていると思い込んでいましたが、先日、有名な油絵も実は板に描かれていることを知って驚きました。キャンバスが普及するのは16世紀半ばのことで、それまでは板絵が一般的だったそうです。
使われた板の種類は国や地方によってさまざまで、例えばデューラーはイタリアにいる頃はポプラ、オランダやドイツにいる頃はオークやシナノキのパネルに描いたとか。


(デューラーの自画像。ドイツ時代の作品なので多分シナノキ)

ポプラはイタリアヤマナラシ、オークはヨーロッパナラ、シナノキはドイツ歌曲にある「菩提樹(リンデン・バウム)」のことだと思います。そのほか、クラナッハというドイツの画家はブナを多用し、北ヨーロッパではクルミやクリ、ノルウェーではモミのパネルも使ったそうです。
ダ・ヴィンチもイタリア時代はポプラ、フランス時代はオークのパネルに描いたようです。ということは、「モナ・リザ」はポプラに描かれているはずです。


(ポプラのパネルに描かれている「モナ・リザ」)

たくさんの名作が板に描かれていることもさることながら、それぞれの国を代表する木が使われていることが私には興味深いです。


(宇治市植物公園のイタリアヤマナラシ=ポプラ)
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ツツジにご用心

2010年05月10日 | 樹木
土曜日、30kmほど離れた京都府営の木津浄水場が一般公開されたので行ってきました。
園芸品種に詳しくないのでよく分かりませんが、場内にはヒラドツツジやキリシマツツジなど6種類約1万本のツツジが植えられているそうで、赤、白、紫、ピンクと実にカラフル。
知人に聞いた話では、ツツジは自然交配しやすく次々に新種が生まれるとか。江戸時代の貿易港・平戸で、オランダへ輸出するために植えていた数種類のツツジが自然交配して生まれたのがヒラドツツジだそうです。


(これがヒラドツツジかな?)

みなさんも経験があると思いますが、子どもの頃ツツジの花を引き抜いて軸部分からよく蜜を吸ったものです。今回、久しぶりにツツジの花の蜜を吸ったら、ほのかに甘い、懐かしい味でした。


(この後、ツツジの蜜を実食!)

ところが、ツツジは有毒なんだそうです。特に危険なのがレンゲツツジ。全木に痙攣毒が含まれていて、呼吸停止を引き起こすこともあるそうで、国立医薬品食品衛生研究所にはトルコ産のツツジの蜂蜜で中毒した例が報告されているとのこと。
また、韓国にはもともとは羊の牧場だったのに、羊が食べないツツジ(クロフネツツジ)だけが残ってツツジの名所になった場所があるようです。
そう言えば、奈良にはシカが食べないアセビだけが残った林がありますが、アセビもツツジ科で、「馬が酔う木」と書きます。馬や牛が食べて「霧酔病」になるネジキもツツジ科。この仲間は有毒なものが多いです。



京都市営の蹴上(けあげ)浄水場もツツジの名所ですし、全国各地にツツジの名所になっている浄水場があります。水道施設は毒を使ったテロを防ぐために警戒が厳重ですが、そんな場所に、種類によって違うとはいえ有毒で、しかも自然交配しやすい樹木を植えて大丈夫なんでしょうか。



一般公開に出向いたもう一つの目的は「京都の水」。東京都や大阪市が高度浄水処理した水道水をペットボトルに詰めて販売していますが、京都府にもボトル入りの水道水があります。でも、市販されておらず、こういうイベントで配られる言わばレア物なのです。


(超レア?な「京都の水」)

中に入っているのは、京都府営の宇治浄水場の水。わが家の蛇口から出てくる水と同じです。わざわざ出向いて入手する必要はないのですが、仕事で使う予定があって、このボトルが欲しかったわけです。
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八十八夜

2010年05月06日 | 木と飲食
5月2日に「宇治新茶・八十八夜茶摘みの集い」というイベントが行われました。長年お茶の本場に住んでいながら茶摘みを体験したことがなかったので、妻と2人で参加してきました。


(覆いのある玉露茶園で茶摘み体験)

茶の木の葉っぱのうち若葉だけを摘み取るわけですが、若葉は木のてっぺんだけでなく、株の下の方にも芽生えています。プロは下から上へサッサと手早く摘み取りますが、私たち素人はどうしても作業しやすいてっぺんの若葉を探して1本ずつ摘み取ってしまいます。


(この若葉がおいしい緑茶になる)

プロが摘み取った茶葉は、専門の職人さんが手で揉んで製茶します。下の写真がその作業。この作業台は「焙炉(ほいろ)」と言って、柿渋を塗った分厚い和紙を木枠に張ったもので、和紙の下から炭火で温めています。この上で4~5時間かけて手で揉み、茶葉を乾燥させながら針のように細いお茶に仕上げるのです。


(焙炉での手揉み作業)

手揉み茶は100g何千円もする高級品。普通に飲まれるお茶は機械で作られます。当日、その製茶工場も見学しました。


(葉を選別する機械)


(葉を揉む機械)

参加者が摘み取った茶葉はその場でホットプレートを使ってお茶に仕上げることもできます。焙炉(ほいろ)の代わりにホットプレートを使うわけです。でも、私たちは持ち帰って天ぷらにして食べました。


(2人で収穫した茶葉)

茶畑はいつも目にしていますし、緑茶も大好きで1日に5~6杯飲みます。今回の体験でようやく、茶畑から緑茶までの過程が具体的に理解できました。そして、製茶工程の大変さを知ることで、あらためてお茶のありがたみを実感しました。
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森の春

2010年05月03日 | 樹木
野鳥と樹木を観察するために、積雪でアクセスできない冬と鳥が少ない夏を除いて毎月(年7回)、「栃の森」に通っています。先々週の土日、5ヶ月ぶりに行ってきました。今年で15年目。
通い始めた頃は雪の上を歩きながら動物の足跡も観察できましが、年々雪が少なくなって日陰に少し残る程度。そのわずかな残雪も今回は一度も目にしませんでした。
それなのに、森の中はまだ冬景色。去年の今頃は樹木が若葉で包まれていたのに、今年はまだ葉が展開していません。


(湿原の林もまだ冬景色)

そんな中、春の息吹きをそこここに発見。地面では、カエデの実がプロペラをつけたまま芽生えて根を張っています。カエデの仲間はこのプロペラで風に乗って遠くへ飛んで子孫を増やそうとします。大きさから推測すると多分ハウチワカエデ。



わずかながら、芽吹いている樹もあります。下の写真は、クマシデの葉っぱの赤ちゃん。まだ小さいのに、葉脈がたくさん並んで元気いっぱい。


(生まれたばかりのクマシデの葉)

展葉は遅いものの、開花はほぼ例年どおり。いつも早春に咲く花が目を楽しませてくれました。下の写真はキブシ。園芸界ではキフジ(木藤)と呼ばれ、似たような名前でややこしいです。このほか、タムシバ、ヤマザクラ、クロモジ、ヒサカキ、アセビなども開花していました。



次の写真はトチノキの葉芽。少しテカっていますが、触ると粘っこいです。この森にはトチノキが多いので、私は勝手に「栃の森」と呼んでいます。6月には白い花が咲き、麓の農家で蜂蜜が売られます。



鳥は、オオアカゲラなどの留鳥に加えて、オオルリなどの夏鳥、カシラダカなどの冬鳥、関西では旅鳥のノビタキも出現して40種類。しかも嬉しいことに、私は今回クマタカを目撃しました。
バードウォッチャーには、一瞬チラッと見ただけとか、「あの鳥だろうな」と思いつつ遠くてはっきり識別できないとか、「一応見たけど、見た~!という実感のない鳥」があります。私にとってクマタカはその類いの鳥でした。
この森でも過去14年間に2回出現していますが、私はチラッとだけ。しかし、今回は青空をバックに白い大きな翼のタカが飛んでいる姿をしっかり目撃。約5秒間でしたが、「クマタカを見た~!」というワクワク感が残りました。
近くにはヤマドリの羽根が散らばっていました。おそらくクマタカが襲ったのでしょう。ヤマドリには申し訳ないけど、おかげで私は久々に興奮しました。


(クマタカ?にむしられたヤマドリの羽根)

なお、この森は5年前に入山禁止になりましたが、私たちは長年続けてきた鳥の調査を継続するために許可を受けて入山しています。
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