樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

鳥と楽器と絵

2017年11月30日 | 野鳥
以前、ピカソはフクロウが好きで、アトリエで飼ったり、絵に描いたりしていたことをご紹介しました。この巨匠はハトも大好きで、モチーフに多用しただけでなく、娘にパロマ(スペイン語でハト)と名付けてもいます。
そのピカソと共にキュビズムを確立したフランスの画家・ブラックも鳥が好きだったようで、鳥をたくさん描いています。ピカソより1歳年下で、初めて鳥を描いたのは28歳の頃。以来、徐々に鳥のモチーフが増え、1953年にはルーブル美術館の「アンリ2世の間」の天井画として鳥の大作「はばたき」を描いています。これはルーブル美術館が所蔵する最も新しい作品とのこと。


ブラックの鳥の絵を集めたポスター

その天井画もそうですが、ブラックはピカソのようにフクロウとかハトなど具体的な種類を描いているわけではなく、あくまでも空を飛ぶイメージとしての鳥。自分が描く鳥について、次のように書いています。
「私はけっして鳥たちを考え出したわけではない。彼らはただ彼ら自身の調和から現われたのである。彼らはカンヴァスの上で生まれた」。
ブラックと妻が眠る墓には、鳥の作品が墓標としてはめ込まれているそうです。
一方、楽器をモチーフにした作品も数多く残しています。音楽が好きで、友人にバイオリを弾いて聴かせたり、知人にフルートを習ったりしていたそうです。

 
この2点のモチーフはギター

 
こちらはバイオリンがモチーフ

ピカソという大きな存在の陰に隠れて、知名度は低いですが、鳥やギター音楽が好きな私はブラックの方に親近感を覚えます。
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野鳥保護のルーツ

2017年11月23日 | 野鳥
私が所属する日本野鳥の会は野鳥保護団体ですが、この「野鳥を保護する」という思想はいつごろ生まれたのでしょう? 会が誕生したのは1934(昭和9)年ですから、少なくとも昭和初期にはそういう気運があったわけです。
しかし、その萌芽はもっと以前にあるはずと思って調べると、徳川五代将軍・綱吉の「生類憐みの令」にたどりつきます。一般的には「人よりも犬を大事にする悪法」と解釈されていますが、詳しくひも解いてみるとそうではないようです。環境史の専門家・根崎光男さんの『生類憐みの世界』によると、この一連の政令は世界的にもまれな鳥獣保護政策であったとのこと。


徳川五代将軍・綱吉(土佐光起・画 徳川美術館・蔵 Public Domain)

まず綱吉は、武士の必須科目であった鷹狩りを将軍就任後一度も挙行しなかっただけでなく、幕臣にも禁じます。鷹狩りでは小鳥やツル、ハクチョウなどが犠牲になったようですが、そうした殺生を避けるのが目的。また、鷹狩りで仕留めた鳥や鷹そのものを将軍と大名の間で贈答するという儀礼も停止します。さらに、幕府が飼育していたツルも自然界に放鳥します。
綱吉の鳥獣保護策は徐々にエスカレートし、一般庶民が野鳥を料理したり食べること、さらに飼育や売買も禁じます。現在、日本野鳥の会の反対運動によって、基本的には国内の野鳥の捕獲や飼育、売買が禁止されていますが、それと同じ状況が江戸城下に現出していたわけです。
綱吉がすごいのは、鳥獣だけでなく魚や虫の殺生もご法度としたところ。漁業は別にして魚釣りや生きた魚の料理、金魚の飼育、松虫や鈴虫などの飼育、それらの売買も禁止します。ここまでくると現代でも受け入れられないでしょう。あまりにもラディカルなので、「人よりも犬を大事にする悪法」という評価が定着したようです。
もっと驚くことに、綱吉の生類憐みの視線は人にも及びます。今でいうホームレスに米を支給したり、入牢者の待遇を改善するなど弱者救済策を打ち出します。さらに、当時は余力のない家族が病人を遺棄するケースが多かったようですが、その養育を幕府が支援することを前提に捨て人禁止令を出します。同じく、捨て子も禁止。
今から300年以上も前に、現在の福祉政策に匹敵するような政令を次々に打ち出したわけです。綱吉の頭の中には、鳥も獣も魚も虫も人も同じように命あるものとして生涯を全うすべきであるという思想があったのでしょう。
ただ残念なことに、綱吉亡き後、こうした「生類憐みの令」は徐々に廃止されます。特に、鷹狩りが大好きだった八代将軍・吉宗はこれを復活させ、せっかく生まれた先進的な鳥獣保護策も反故にしてしまいます。
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故郷は鳥の楽園

2017年11月16日 | 野鳥
日曜日、母の七回忌のために帰省しました。法事が終わった後、「与謝野は鳥の楽園」というB3・両面カラーの印刷物をいただきました。故郷・与謝野町が今年の6月に発行した野鳥パンフレットで、私が鳥好きであることを知っている甥の嫁が保存してくれていたそうです。



記事は、最近コウノトリが頻繁に現れるので、町をあげて保護活動に取り組んでいることを伝えています。豊岡の「コウノトリの郷公園」の協力を得ながら、環境づくりや農法の勉強会を実施したり、親子を対象にした講座を開催しているとのこと。そういえば、兄がFaceBookで実家のすぐそばにコウノトリが来たことを投稿していました。
私が小さい頃に遊んだ山でアオゲラやサンコウチョウ、キビタキ、クロツグミなどが観察されたという報告記事も掲載されています。


裏面は野鳥図鑑

これまで、丹後の海岸には探鳥やガンカモ調査で行ったことはありますが、その手前に位置する故郷は探鳥地という認識がないのでスルーしていました。ただ、10年ほど前にはハイイロチュウヒの雄を目撃しましたし、20年ほど間にはアカガシラサギを見るために京都市内から仲間3人で訪れたこともありました。
最初は「与謝野は鳥の楽園という表現はオーバーだな」と思いましたが、つらつら思い起こすと「そうでもないな」と納得しました。今度帰省するときは観察道具を持参しなくては…。
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野鳥を食べる part-4

2017年11月09日 | 野鳥
このテーマをpart-1part-2part-3の3回に分けて投稿しましたが、もう1つご紹介します。part-3の洋食の料理書に登場する野鳥対して、今回は和食編。
『現代日本料理全集』という全12巻の料理書があり、そのうちの第5巻は「野鳥料理」。この本も京都府内の図書館にはないので大阪市立図書館で閲覧してきました。



前書きには次のように書いてあります。「野鳥料理といっても、現在では、ほんとうの野鳥を使用することができるのは、ごく限られた場合になっている。狩猟禁止鳥が多く、狩猟制限があり、野鳥そのものが少なくなっているからだ。したがって、一般に使用できるのは、養殖もので、正しくは野鳥とはいえない」。料理人としては本当は野鳥を料理したいのでしょうが、野鳥保護団体の活動の成果もあって、そうはできない苦しい立場がうかがえます。
レシピとして登場するのもアイガモ、ウズラ、キジ、スズメ、ホロホロ鳥、七面鳥などが中心ですが、最後に「狩猟禁止鳥の肉味」という興味深い章があります。
例えば、「アトリはツグミ同様に美味」とか「ミサゴは肉は生臭くて食べられないともいわれるが、皮を剥ぎ肉を油で炒ってから煮込むと、カラスや鵜よりも旨い」といったような記述が続きます。
さらに、「フクロウは肉味は悪くなく、炒ってもよく、汁にしてもよいといわれる。味は淡白で佳味、中国人はフクロウの肉を賞味するといわれている」、「モズは猛禽類の割合には味がよいといわれている。調理法は、あぶってつけ焼きにするか、肉と骨を叩きつぶして団子にして汁ものにすると旨い」など。
モズがおいしいとは思えませんが、キャベツの上に止まっていると食べられそうに思います(笑)



著者はこれらの野鳥を実際に食べて書いているのかというと、そうではないらしく、ほとんどが伝聞のようです。料理界にはそういう情報が伝わっているということでしょう。
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違いのわかる渡り鳥

2017年11月02日 | 野鳥
以前、バーダーが主役の推理小説『ワタリガラスはやかまし屋』をご紹介しました。作者であるクリスティン・ゴフが熱心なバーダーのようで、鳥やバードウオッチングの描写に全く違和感がなく、しかもストーリーが面白くて一気に読めます。
この作家はバーダーが主役の推理小説を5冊書いていて、うち2冊が翻訳されています。今回はもう1冊の『違いのわかる渡り鳥』をご紹介します。主人公はコロラド州にあるホテルのオーナーで、「渡り鳥協会」の会員でもある女性バーダー。


創元社推理文庫から発刊

ある日、友人と鳥見に出かけてスコープで珍しい鳥を探しているうちに偶然殺人現場を目撃する、というところから物語が始まります。
作中にはアカオノスリ、イワミソサザイ、ハシボソキツツキなど見たこともない鳥の名前がたくさん出てきます。また、いろんな設定にも鳥がからんでいます。
まず、殺人事件の原因が「バードフレンドリーコーヒー」。木を伐採せず鳥にやさしい方法で栽培されたオーガニックコーヒーが組織的に偽装されていたことに由来します。このコーヒーは日本でも発売されていて、日本野鳥の会で通販しています。
そのほか、「ワーブラー(ムシクイ)・カフェ」という店や「バードヘブン」という農場が登場するなど、バーダーの心をくすぐります。
物語の発端になった珍鳥はアカガオアメリカムシクイ。上の本の表紙にも描かれていますが、名前のとおり赤い顔のムシクイです。事件が解決した後、この珍鳥が再び主人公の前に姿を現すというのがラストシーン。


アカガオアメリカムシクイ(Public Domain)

原題は『DEATH OF A SONGBIRD』。コーヒーが事件にからんでいるので、昔のインスタントコーヒーのCMに使われた「違いのかわる」を借用したのでしょうが、含みも何もないこの邦題はいまいちですね。
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