奈良の平城京跡からシダレヤナギの種が出土したことから、街路樹として植えられていたと推測されています。
平安京のメインストリート・朱雀大路にも同じくシダレヤナギが植えられていたことが記録に残っています。朱雀大路(現在の千本通り)は幅72メートルあったそうで、パリのシャンゼリゼ大通り(70メートル)をしのぎます。その広い道の両脇で、シダレヤナギの枝が風になびいていたわけです。
しかし、現在の京都市で街路樹としてシダレヤナギが植えられているのは、私が知る限り、知恩院から岡崎へ抜ける白川沿いの道くらい。全国的にもシダレヤナギの人気は凋落傾向にあります。
映画やドラマの撮影によく使われる白川沿いの柳並木と石橋
平城京も平安京も中国の長安をモデルにして建都したわけですから、長安の街路にシダレヤナギが植えられていたということでしょう。
平安時代初期の歴史書『続日本後記』には、「朱雀大路の柳が激しい雷雨で揺れた」と書いてあるそうですし、当時の歌謡曲(催馬楽)には「芽吹いたばかりの柳の枝が風になびいてセクシーだ」という歌詞があるそうです。
また、『古今和歌集』には「見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」という歌があります。
当時の六法全書である『延喜式』には、「街路樹はその場所の邸宅の居住者が管理すること」と書いてあるそうです。つまり、住民(と言っても貴族でしょうが)がボランティアで街路樹を管理していたわけです。
一方、「朱雀大路の街路樹を守る番人を4人配置する」とも書いてあるそうで、街路樹専門の警察官がいたようです。
京都市の現在のメインストリート・烏丸通りには、プラタナスとユリノキが混植されています。シダレヤナギは中国原産、プラタナスはヨーロッパ原産、ユリノキは北米原産。
中国文化から欧米文化へ、日本がモデルとして追随した文化の変遷は、京都の街路樹にも表れているわけです。
平安京のメインストリート・朱雀大路にも同じくシダレヤナギが植えられていたことが記録に残っています。朱雀大路(現在の千本通り)は幅72メートルあったそうで、パリのシャンゼリゼ大通り(70メートル)をしのぎます。その広い道の両脇で、シダレヤナギの枝が風になびいていたわけです。
しかし、現在の京都市で街路樹としてシダレヤナギが植えられているのは、私が知る限り、知恩院から岡崎へ抜ける白川沿いの道くらい。全国的にもシダレヤナギの人気は凋落傾向にあります。
映画やドラマの撮影によく使われる白川沿いの柳並木と石橋
平城京も平安京も中国の長安をモデルにして建都したわけですから、長安の街路にシダレヤナギが植えられていたということでしょう。
平安時代初期の歴史書『続日本後記』には、「朱雀大路の柳が激しい雷雨で揺れた」と書いてあるそうですし、当時の歌謡曲(催馬楽)には「芽吹いたばかりの柳の枝が風になびいてセクシーだ」という歌詞があるそうです。
また、『古今和歌集』には「見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」という歌があります。
当時の六法全書である『延喜式』には、「街路樹はその場所の邸宅の居住者が管理すること」と書いてあるそうです。つまり、住民(と言っても貴族でしょうが)がボランティアで街路樹を管理していたわけです。
一方、「朱雀大路の街路樹を守る番人を4人配置する」とも書いてあるそうで、街路樹専門の警察官がいたようです。
京都市の現在のメインストリート・烏丸通りには、プラタナスとユリノキが混植されています。シダレヤナギは中国原産、プラタナスはヨーロッパ原産、ユリノキは北米原産。
中国文化から欧米文化へ、日本がモデルとして追随した文化の変遷は、京都の街路樹にも表れているわけです。