樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

大統領はバードウォッチャー

2021年07月29日 | 野鳥
8年前の記事「政治家と鳥」で、アメリカの第26代大統領セオドア・ルーズベルトとそのいとこで第32代大統領フランクリン・ルーズベルトがバードウォッチャーであったことをご紹介しました。その2人に続いてというか、第39代大統領ジミー・カーターも熱心なバードウォッチャーだったようです。
職務で訪れた国でもバードウォッチングを楽しんでいたようで、25カ国で野鳥を観察したとのこと。2004年の全米野生生物連盟のインタビューで、「これまでのライフリストは1,100種以上」と答えています。中東を訪れた際にも公務の合間に時間を調整し、「イスラエルではパレスチナ人とイスラエル人のバードウォッチャーと共に、エルサレムの内と外で野鳥観察を楽しんだ」と語っています。


第39代大統領ジミー・カーター(画像はPublic Domain)

野鳥保護にも積極的に関わり、北米で行われる繁殖調査にロザリン夫人と共にボランティアとして参加するほか、アメリカシロヅルを安全な越冬地に誘導する団体など多くの野生生物保護活動に協力しています。
96歳と93歳で結婚75周年を迎えた先日、あるテレビ番組で夫婦円満の秘訣を尋ねられ、「長く続く結婚生活に必要なのはバランス。二人で過ごす時間が多すぎても少なすぎてもよくない」とした上で、夫人は「私たちはお互いに干渉しないし、一緒にできることを探そうとしているの。バードウォッチングとかフライフィッシングとかね」と答えています。
ひるがえって、日本の政治家はどうでしょう。以前は超党派の鳥獣保護議員連盟があり、国会議事堂周辺の庭園に巣箱を掛ける活動をしていました。その会長が、自民党総裁や衆議院議長を務めた河野洋平。最近何かと話題になるワクチン担当の河野太郎規制改革担当大臣のお父さんです。
ただ、バードウォッチャーというよりも自然保護派の政治家で、日本鳥類保護連盟の会長を務めたこともあります。鳥獣保護議員連盟は現在は活動していないようで、野鳥保護は票にならないので解散したのかもしれません。
小沢一郎も動物が好きで、犬だけでなく鳥も飼っていて、元秘書の著書によると、毎朝5時に起きて100羽の鳥に餌を与えるのが仕事だったとのこと。バードウォッチャーではなく飼い鳥ファンのようです。
3人ものトップがバードウォッチャーであったアメリカとそういう人物が一人もいない日本…。バードウォッチングや野鳥保護に関する文化の底の浅さを実感します。
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芭蕉の野鳥観

2021年07月22日 | 野鳥
松尾芭蕉が門弟への手紙の中で、鳥について次のように書いています。
ガンやクイナの声を俳句に詠む人が鳥モチや網で鳥を捕獲するのは、口と心が相反していて「うそつき」と言うべきで、本当の風流人から見ると哀れである。殺さないにしても、空を飛び、地を走る鳥を小さな籠に入れて楽しみにするのは牢獄の番人と同じ。籠を並べて「これは2両のコマドリ」「これは5両のコウライウグイス」と言いながら、すり餌を与えている人を見るとあさましく思う。


「奥の細道行脚之図」芭蕉と弟子の曾良(Public Domain)

日本野鳥の会を創設した中西悟堂は「野の鳥は野に」という理念を掲げたわけですが、それと全く同じ考え方です。
以前、当ブログで吉田兼好の『徒然草』の記述を引用して中西悟堂との共通点を指摘しましたが、「俳聖」と呼ばれる芭蕉もその思想の系譜に位置するわけです。兼好と悟堂は殺生を戒める仏門に属したという共通点がありますが、武家の家系で僧籍にあったわけでもない松尾芭蕉がこうした野鳥観、さらにいえば自然観を持つに至ったのは、俳句を究める中で人為的なものを排し、あるがままの自然を尊ぶことの大切さを知ったからでしょう。
初期の日本鳥類学会の重鎮であり文学や美術にも造詣が深い内田清之助は、「鳥の文学」という随筆の中で『徒然草』の一文を引用した後、「俳聖芭蕉もまた飼い鳥嫌いの大将であった。(中略)芭蕉が鳥や獣の声を聴いて喜んだのは俳人だから不思議はないが、彼の対象は常に野の鳥、山の獣に向けられていた。籠の鳥は彼を悲しい感傷に誘うのだった」と続けています。
「野の鳥は野に」という理念は、自然のままを重んじる兼好~芭蕉~悟堂という思想家たちによって、長い日本の歴史の中で脈々と受け継がれてきたわけです。
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野鳥撮影事始め(日本編)

2021年07月15日 | 野鳥
前回の世界編に続いて日本編です。日本における野鳥撮影の草分けは、元皇族の鳥類学者・山階芳麿(1900-1989)。その回想によると、欧米の野鳥雑誌に掲載されている写真に刺激を受けて、大正10(1921)年頃に鳥の撮影を始めたそうです。
グラフレックス(アメリカのカメラメーカー)の最新鋭機とダロン(英国のレンズメーカー)の17インチ(約430mm)の望遠レンズを購入して撮影したものの、現像すると鳥の姿は虫眼鏡で探すほど小さい。結局、「日本の鳥は外国の鳥よりも臆病で写真に撮り難いという結論に達してしまい、テレホト(望遠レンズ)は箱に入れて戸棚の内に納めてしまった」とのこと。以後は、長いレリーズで鳥から離れるか、ブラインドに隠れて撮影することになったようです。


当時のグラフレックス・カメラの広告

同じ頃、九州で野鳥撮影を始めた男がいました。幼い頃から鳥が好きで、たまたま父親から「写真家にでもなれば」とカメラを買い与えられます。そのカメラのシャッターレバーに穴があることを発見し、ひもを通せば遠くからシャッターを切れることを思いつきます(つまり、レリーズ撮影)。家には広い庭があり、池にはよくカワセミが飛来し、止まる場所も決まっていました。
1922年1月、父親の看病の退屈しのぎに、カワセミの定位置の横にカメラを置き、長いひもを父親の枕元まで引いて撮影しました。後の2018年と2020年に「100年前にカワセミを撮った男」という写真展が開催され、案内チラシにその時のカワセミの写真が掲載されました(下)。撮影したのは下村兼二(1903-1967)。



その下村も山階博士と同様、海外の写真に触発されたようです。コダック社が発行する雑誌に毎月のように鳥や動物の写真が掲載されており、「生態写真や観察記は全く私の憧憬の的であった」と回想しています。その中には、前回ご紹介したカートン兄弟の作品もありました。
やがて下村は野鳥写真家として鳥類学者に知れ渡り、鳥類学の重鎮の助力を得て日本全国へ撮影に出向きます。北はカムチャッカ半島から樺太、択捉島、南は小笠原諸島や奄美大島にまで及びました。重い機材を担いでの撮影行は難儀をきわめたようです。
下村は野鳥撮影について、「写真術はほんの一部分の技術であると言えよう。むしろ写真技術よりも写真を撮るに至るまでの知識ないし技術が必要とされるのである」と書いています。
早くから野鳥を撮影していた日本野鳥の会の創設者・中西悟堂も、「野禽撮影の基礎条件は、鳥の習性に対する知識」と書いています。
デジタルカメラになって誰でも簡単に鳥の写真が撮れるようになりましたが、自戒を含めて、鳥のことをもっと勉強しないといい写真や動画は撮れないということですね。
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野鳥撮影事始め(世界編)

2021年07月08日 | 野鳥
まず、下の写真を見てください。水辺にアオサギがたたずんでいます。これは1856年にイギリスのジョン・ディルソン・ルウェリンという人物が撮影したもの。



ところが、写っているのは生きたアオサギではなく剝製。当時のカメラは露光に数分かかるので、風景や静物は撮影できますが、動き回る動物は撮れないので剝製を使ったわけです。ルウェリンはこの数年前にもシカのはく製を使って同様の写真を撮っています。
生きた鳥をカメラに収めることができるようになるのは1890年代。イギリスにリチャード・カートン、チェリー・カートンの兄弟が現れ、野鳥や動物の写真を撮り始めます。
下の写真は、木の枝で三脚を継ぎ足し、兄リチャードの肩の上に弟チェリーが乗って鳥の巣を撮影しているシーン。1890年代のものです。この兄弟が野生動物写真のパイオニアで、1899年に『With Nature and a Camera』という写真集を出版します。



現在のような超望遠レンズがなく、また1枚ずつ乾板に写し取るわけですから、その苦労は想像を絶します。2人は牛の全身の皮を調達して張りぼての牛を作り、その中に入って鳥に接近し、牛の口からレンズを出して撮影したそうです。1枚撮るために8時間も張りぼての牛の中に閉じこもることもあり、腰痛に悩まされたとのこと。
そうやって苦労を重ねて撮影した写真をご紹介します。下はハイタカの雌が雛に給餌している写真。当時ハイタカはカラスやモリバトの古巣を利用するといわれていましたが、この写真によって独自に営巣することが証明されました。生態写真は鳥類学にも貢献するわけです。



次はカッコウの幼鳥に給餌するヨーロッパビンズイ。カッコウ類が自分で子育てせず他の鳥に育てさせる奇妙な生態(托卵)を捉えた貴重な写真です。



時代が進むと野鳥撮影用の機材や道具も進化します。下の写真はカートン兄弟とは別の人物ですが、馬車に脚立を積み、枝をつぎ足した三脚ではなく、専用の巨大な三脚にカメラをセットしています。1921年にイギリスで撮影されたもの。



現在はカメラもデジタルになり、測光も絞りもフォーカスも自動、乾板やフィルムの出費を気にすることなく1000枚でも2000枚でも撮れ、連写もできるようになりました。超望遠レンズがあれば苦労して鳥に接近する必要もありません。
私の場合は主に動画で、同じくデジタルの恩恵で気楽に撮影していますが、昔の人たちが鳥を撮るために重ねた苦労を思うと、うなだれてしまいます。
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コロナと鳥

2021年07月01日 | 野鳥
コロナ禍で探鳥会中止が続くなどバードウォッチングが大きく変容していますが、鳥にもいろいろ影響が出ているようです。
富山県鳥獣保護センターでは、釣り針や釣り糸が原因で持ち込まれる野鳥が、過去5年間は年2~3件だったのに昨年度は半年で5件になったとのこと。3密を避けるレジャーとして釣り人が増え、野鳥に釣り針や釣り糸がからむ事故が増えたからのようです。
また、北海道の知床五湖では昨年コロナで遊歩道が閉まって人が全く入らなかったために、遊歩道のすぐ横の木にアカゲラが営巣したそうで、ガイドによると「通常はありえない」そうです。
コロナが鳥の生態を変えたことを科学的に研究した報告も発表されています。米国テネシー大学の行動生態学のグループが科学誌『サイエンス』に、サンフランシスコでのロックダウンによって鳥の囀りが変化したという研究結果を掲載しました。
同地では昨年4月~5月にロックダウンが行われ、人間の活動による騒音が激減して急に静かになりました。そんな環境の変化に合わせて、ホオジロの仲間であるミヤマシトドが囀り方を変えたと言うのです。


ミヤマシトド(Public Domain)

研究グループはこれまでの野外調査で、騒がしい都市部の鳥は大きい声で鳴くために囀りの質を犠牲にしているというデータを得ていました。その騒音が消えて大きな声で鳴く必要がなくなったので、多様な鳴き声で囀るようになったそうです。研究者は次のように語っています。
「囀りの質を大きく向上させて魅力的に鳴く雄を何羽か見ることができました。それは農村部でよく聞く同種の囀りと同じくらい質の高いものでした。そして、周波数の幅が大きく広がったので、これまでの倍の距離のところまで囀りを届けられるようになり、多くの情報を詰め込むこともできています」。
一方、スペインではロックダウンと鳥の関係を調査しています。昨年3月14日に緊急事態を宣言してロックダウンに入った翌日、ある団体が「私は家にいます」というプロジェクトを始動。カタルーニャ地方のバードウォッチャーから鳥の記録を収集し、ロックダウンによる都市環境での鳥の行動変化を調査したのです。
その結果、16種の鳥のうち12種はこれまでと有意な差がなかったものの、カワラバト、シラコバト、オキナインコの3種は出現確率が増え、ゴシキヒワは減少したそうです(スペインではオキナインコは外来種ですが、カワラバトもシラコバトも自然分布)。同様の調査はイギリスとイタリアでも実施されています。


ゴシキヒワ(Public Domain)

それにしても、ロックダウンの翌日にこういう調査を始めるとは、スペインのバードウォッチャーは根性が入ってますね~。日本では多分こんな調査はやってないでしょう。
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