樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

木屋町

2006年08月14日 | 木と言葉
木にまつわる地名は日本全国にありますが、京都にもいくつか残っています。
まず、京都御所の南側の丸太町通り。御所を造営する際、この一帯に丸太を山積みにしていたのでこの地名が残ったそうです。
この丸太町通りの1本南には竹屋町通りがあります。ここも御所や神社仏閣の建築に必要な竹を扱う業者がたくさん集まっていたのでしょう。

      
      (木屋町通りに面した高瀬川)

木屋町という地名もあります。ここは、慶長16年(1611年)に角倉了以(すみのくらりょうい)が運河(高瀬川)を開削して生れた町。
京都には神社仏閣が多く、特に当時は方広寺という巨大なお寺や二条城が建築中で、莫大な量の木材が必要でした。その需要を満たすために、日本中から木材を買い集め、大阪の淀川から伏見へ、そして高瀬川へと遡って運びました。そして、このあたりに材木屋が集まって「木屋町」という地名が生れたのです。

水深は浅いですが、流れを堰き止めて水位を上昇させ、少しずつ上流へ運んだそうです。今は写真のように、伏見の酒を積んだ小舟が面影を留めているだけですが、当時は材木やさまざまな物資を積んだ大きな船が往来していたのでしょう。
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星の葉の樹

2006年08月11日 | 街路樹・庭木
宇治では昨夜、花火大会が行われました。5分も歩けば特等席ゾーンなので、1年ぶりにゆかたを着て、ビールを飲みながら「玉屋~、鍵屋~」と叫んできました。
その宇治市の街路樹には、なぜかモミジバフウがたくさん使われています。JR宇治駅から宇治市役所へのメインストリートのほか、近くの住宅街の周囲にも延々と植えてあります。

      
      (宇治市役所前のモミジバフウ並木)

このモミジバフウは日本の自生種ではなく、アメリカ原産。名前は「モミジみたいな葉っぱのフウ」という意味です。このフウの仲間にはタイワンフウという中国原産の樹もあって、漢字では「楓(木ヘンに風)」と書きます。ところが、ややこしいことに日本では「楓」をカエデと読みます。
これまでにも何度かご紹介しましたが、その樹が日本にないのに、漢字だけが移入された場合、こういうねじれ現象が起こります。切れ込みのある葉が似ているので、楓という漢字をカエデに当てはめたのです。

      
      (モミジバフウの葉は5裂)
      
      (タイワンフウの葉は3裂)

葉の形はモミジに似ていますが、フウは互生、モミジは対生。そして、フウはマンサク科、モミジはカエデ科で全く縁のない樹種です。日本では、モミジバフウ(=アメリカフウ)とフウ(=タイワンフウ)が植栽されています。
このモミジバフウ、英語ではSTAR LEAFED TREE(星の葉の樹)と言います。5つに分かれた葉を星に例えたロマンチックなネーミングです。

         
         (ワニ皮のハンドバッグになりそうな樹皮)

このほかにも別名があって、香料や薬品に使う樹脂を採取するのでガムツリー、樹皮に灰色の瘤ができてワニみたいなのでアリゲーターツリーとも言います。
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樽と桶はどう違う?

2006年08月10日 | 木と飲食
昨日、葛飾北斎の樽の絵を取り上げたので、樽つながりの話です。
酒樽とか醤油樽とは言いますが、酒桶とか醤油桶とは言いません。樽と桶は別物で、どう違うのかと言うと、板目の材を使うのが樽、柾目の材を使うのが桶。

      
       (酒樽にはスギの板目の材が使われています。)

酒や醤油、味噌など液体が染み出したり蒸発すると困るものは、板目の材で作った樽に入れます。逆に、液体を貯蔵するのが目的でない場合は、湿気を吸収して蒸れにくい柾目の材で作った桶に入れます。寿司桶などがそうです。桶という言葉は使いませんが、昔のおひつもそうですね。
「じゃあ、お湯をはる風呂は、なんで桶なの?」と言うと、お湯は液体ですが、貯蔵が目的ではないのと、肌触りがいいので柾目の桶なんだそうです。

      
        (わが家の寿司桶も柾目。材は多分サワラ。)

材料は、寿司桶やおひつはサワラ、日本酒の樽はスギ、ウィスキーの樽はオーク(=ナラ)。サントリーは今でもウィスキーの樽を内製していて、北米産のホワイトオークやスペイン産のコモンオークのほか、日本産のミズナラ(ジャパニーズオーク)も使うそうです。面白いことに、樽を締める帯鉄は20~30年で腐って切れてしまうのに、樽の木材は100年くらいもつそうです。
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北斎・広重が描いた木

2006年08月09日 | 木と作家
昨日に続いて、江戸時代の版画に描かれた木の話ですが、今日は木材です。
私は一応「樹」と「木」を使い分けています。根を張って立っている状態、つまり生きている場合は「樹」、伐採された後、つまり死んでいる場合は「木」。どちらも含めた一般的な概念を表す場合も「木」です。昨日は「樹」、今日は「木」。版画に描かれた木材の話です。

      

写真は北斎の「富嶽三六景」の内の「尾州不二見原」。大きな桶の円の向こうに富士山が小さく描かれています。大波の向こうに富士山を描いた有名な「神奈川沖浪裏」もそうですが、北斎の版画の魅力はこういう構図の大胆さにあると思います。
この絵は木の本にも時々出てきて、木工の道具の話の例に使われます。絵が小さいので分かりにくいですが、この職人は台鉋ではなく槍鉋(やりがんな)で削っています。江戸時代にはすでに台鉋はあったはずですが、こういう大きな面積を削る場合は槍鉋を使っていたんですね。現在、槍鉋は宮大工しか使わないはずです。

もう一つは、同じく北斎の「富嶽三六景」の内の「遠江山中」。大きな材木をノコギリで縦引きしています。
現在なら帯ノコで5分もかからないでしょうが、当時はこうして時間をかけて手で切っていたんですね。この絵の材木はすでに角材になっていますが、丸太からこの角材になるまでにすでに多くのエネルギーが費やされていることを考えると、気が遠くなりそうです。
意外なことですが、この絵にあるような縦引き用のノコギリが発明されたのは15世紀の中頃、室町時代のことです。それまでは、木を割って、槍鉋で削って板にしていたそうです。

このほか北斎には「諸国名橋奇覧」という橋ばかり描いたシリーズもありましたし、広重の作品にも大小の船やたくさんの家々が描かれていました。その橋も船も家も、当時はすべて木で作られていたわけです。
今回の版画展を見て、「日本は木の文化の国なんだな」と改めて思いました。そんな感想を持った観覧客は私一人でしょうけど・・・。
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北斎・広重が描いた樹

2006年08月08日 | 木と作家
京都の仕事先の近くにある京都文化博物館で『北斎と広重展』をやっていたので、打ち合わせの後に見てきました。

      

私も絵描きになりたくて、高校時代は油絵を描いていたので絵は好きなのですが、今回は江戸時代の版画に木がどのように描かれているかという不純な(?)動機で鑑賞しました。
北斎の「富嶽三六景」や広重の「東海道五三次」に風景として描いてある樹はマツが多かったです。樹そのものを描いた作品もありました。

        

写真はその一つ、広重の「亀戸梅屋舗」。不規則に伸びた梅の枝を大胆な構図で描いたもので、ゴッホも模写しています。「どこかで見たモチーフだな~」と思ったら、尾形光琳の「紅白梅図屏風」でした。梅の枝は鋭角にニョキニョキと曲がるので、モチーフとして絵心を刺激するのでしょう。

また、「東海道五三次」の「赤坂・旅舎招婦ノ図」では、旅館の庭に描いてあるソテツが目に止まりました。ソテツは日本では九州南部や沖縄にしか自生しませんが、当時すでに庭木として使われていたんですね。
ちなみに、広重の絵のモデルになった愛知県のこの旅籠は現在も営業していて、ソテツも近所のお寺に移植されて現存しているらしいです。

北斎の「富嶽三六景」の中の「甲州三島越」には、大きな杉の周りに手をつないで立っている3人の旅人が描かれています。幹の太さを測っているようです。絵には3人しかいませんが、6人くらいかかりそうですから、周囲10mくらいの巨木です。今もあるのかどうか知りませんが、当時、三島越えの大杉として有名だったのでしょう。

私が入場したのは木曜日の午後でしたが、観覧客は鈴なりでした。実は、6月に京都国立博物館で「大絵巻物展」が開催されたので、「鳥獣戯画」や「源氏物語絵巻」にどんな樹が描かれているかを見たくて前売券を買ったのですが、平日の午前11時に行ったのに「2時間待ち」。その日はあきらめて帰り、結局前売券はムダになりました。
今回もけっこうお客さんが多くて、「日本人はこんなにアートが好きなのかな?」と意外でした。
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原爆と樹

2006年08月07日 | 樹木
昨日は広島の原爆記念日でした。NHKでは、被爆したサクラを復活させた話をしていました。それを見て、「人間と同じように、戦争で姿を消した樹木もたくさんあっただろうな」と思いました。
そして、先日たまたま読んだ本にも、被爆したクスノキの話がありました。木工作家の早川謙之輔さんの著書『木に学ぶ』です。

      
    (宇治市名木百選のクスノキの巨木。樹齢は150年、幹周りは3.1m)

広島市の国泰寺というお寺に、天然記念物の大きなクスノキがあったそうです。樹齢400年、4本1株で直径が3.4mといいますから、周囲は約10m。根が歩道を太鼓橋のように盛り上げていたので、路面電車のレールも迂回させたほど。
その巨木の500m北に原爆が落とされ、1本は根ごと吹き飛ばされて倒れました。残る3本も炎上し、敗戦後の10月までくすぶり続けたそうです。
4年後に根が掘り起こされ、あるお菓子屋さんがその材で看板を製作されました。被爆した木材ながら、ノミを入れた時はクスノキのいい香りがしたと言います。
その店主も原爆でご両親を亡くされ、ご自身も被爆しておられるそうです。

さて、この国旗の国をご存知ですか?
      

今、イスラエルと戦争状態にあるレバノンです。国旗に描かれているのはレバノン杉。日本で言えばヒノキみたいな優良材で、昔からピラミッドや宮殿建設のために伐採されたので、現在では小さな保護林に天然木がわずかに残るのみです。そのレバノン杉にも戦火が及ぶのではないだろうかと気になります。
また、このあたりはヨーロッパとアフリカを渡る鳥のルートになっています。以前、テレビでイスラエル空軍の戦闘機に渡り鳥が衝突することが報道されていました。これから渡りのシーズンを迎えるので、こちらも心配です。

戦争は人間に計り知れない災いをもたらしますが、自然にとっても大きな痛手になります。「国敗れて山河あり」と言うものの、その山河も深く傷ついているはずです。
樹は戦火で焼かれたり、軍事物資のために無計画に伐採されました。野鳥も繁殖を妨げられたり、渡りができなかったり、いろいろ影響を受けたでしょう。
今まではこんなことに気づきませんでしたが、テレビと本で原爆の話を知り、中東情勢のニュースを見て考えさせられました。

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樹皮ベスト3

2006年08月04日 | 樹木
樹木を見分ける有力なポイントは葉ですが、樹皮でもある程度は見分けられます。中には、デザイン的になかなか面白いものもあります。私が気に入っている樹皮ベスト3をご紹介しましょう。

         

第3位は、ブナ。本来の樹皮は凹凸がなくツルツルしていて、薄いグレーですが、大木になると地衣類や苔がくっついて面白い模様を描きます。ブナは雨水が幹を伝って流れやすい構造になっているらしく、こうした植物が好むのでしょう。

         

第2位は、アキニレ。こういうまだら模様の樹皮は、ほかにもナツツバキやリョウブなどたくさんありますが、アキニレは模様が小さくて洋服や着物の柄みたいで面白いです。でも、樹はおしゃれのためにこんな模様を描いているのではなく、幹にツタなどがくっつかないように、少しずつ皮を落とすのです。

         

私が好きな樹皮の第1位は、ウリハダカエデ。名前のように、マクワ瓜の表面のような模様です。緑色の樹皮というのも珍しいし、縦の縞模様や菱形の皮目があってモダンアートみたいでしょ?
私のフィールドである「栃の森」の林道脇にはウリハダカエデが林立していて、1本1本模様が違うので見ていて楽しいです。材としてはあまり有用ではないし、カエデのくせに紅葉も特に美しいわけではありませんが、この樹皮だけで存在感を示しています。
なお、樹皮の写真ばかり集めた「ウッディーのもりはともだち・樹肌図鑑」という楽しいサイトがあります。
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サンドペーパーの葉

2006年08月03日 | 木と歴史
近くの宇治神社の境内に数本のムクノキがあります。
ムクドリが実を食べに集まるからこの名前があるという説がありますが、眉唾っぽいです。仮にそうであったとしても順番が逆で、古代の人間はムクノキの実を食べる鳥を見てムクドリと名づけたはずです。

         
         (ムクノキの幹)

確かに実は甘くて、縄文時代は甘味料として使われていたらしく、遺跡から種が大量に出土しています。
ムクノキは、葉っぱを研磨材として使ったことで知られています。葉の表面にシリカ(二酸化珪素)を含んでいるため、触るとザラザラしています。昔は、この葉で象牙やベッコウを磨いたそうです。

      
      (ムクノキの葉。手で触るとザラザラしています。)

平安時代の歴史小説『栄華物語』には、お寺の造営シーンとしてこんな記述があります。「仏の御座造り輝かす。木賊(トクサ)、椋葉(ムクノハ)、桃の核などして、四五十人が手ごとに居並みて磨き拭く」。仏像の台座をトクサやムクの葉、桃の種で磨いたというのです。
トクサは幼友達の家にあったので、歯磨きして遊んだことがあります。桃の種もたしかに硬くて凹凸がありますから研磨材に使えそうです。
今のようにサンドペーパーやグラインダーはないですから、こんな自然素材を使って物を磨いていたんですね。
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歌謡曲に最多出場の樹は?

2006年08月02日 | 木と歌
昭和の初年から50年までの歌謡曲1,995曲について、歌詞に登場する植物をカウントした人がいます。
その結果、第1位はヤナギで61曲、第2位はバラで52曲、第3位はサクラで36曲。それにしても、約2,000曲の歌詞をしらみつぶし調べるとは、すごいエネルギーです。

         
      (宇治橋のたもとに植えてあるシダレヤナギ)

ヤナギがトップになったのは、「有名な銀座の柳や、中国の柳を歌った戦中の歌もあるが、やはり日本人が好きな樹だからだろう」とその人は書いています。
そう言えば、黒澤明監督の遺作『まあだだよ』で、松村達雄演じる内田百先生もヤナギが大好きで、新しい家にわざわざ植えていました。

私はシダレヤナギも含めてヤナギ属の樹は何かだらしない感じがして好きになれませんが(ハコヤナギ属は好きです)、昭和初期の人にとっては、銀座に植えてあるおしゃれでモダンな樹だったのでしょう。

ヤナギは中国では呪術的な霊能のある樹とされていたようです。春もっとも早く芽をふくので邪悪なものを払う力があると信じられ、4月5日前後の清明節ではヤナギの枝を髪に挿したり、枝で作った輪を頭にのせる風習があるそうです。
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扇の要と骨

2006年08月01日 | 木の材
扇子が手放せない季節になりました。私は以前から扇子と木の関係を調べていましたが、いろいろ面白いことが分かってきました。
カナメモチという木があります。一般的な木の本には「扇の要に使ったのでこの名がある」と書いてありますが、牧野富太郎は「材はもろくて要には使えない。名前の由来は、芽が赤いのでアカメモチからカナメモチに転訛したから」と書いています。また、扇の要に使うのはクジラの髭という情報もあります。
さらに、要ではなく、蟹目に使ったので「カニメモチ」から「カナメモチ」になったという説もあります。

      
    (要の部分は確かにカニの目みたいです。これは多分プラスチック)

要の話は後にして、扇子のルーツは薄いヒノキの板を束ねた檜扇(ひおうぎ)にあります。その後、片面に紙を貼った紙扇が生れたのですが、これらの扇は日本のオリジナル。中国には団扇(うちわ)はありましたが、扇子はなく日本から輸入していました。そして、中国で両面に紙を張った唐扇が生まれ、日本に逆輸入されて現在のような扇子が普及したようです。

      
     (中国のお土産にもらったビャクダンの扇。このヒノキ版が檜扇)

私たちが使っている扇子の骨は竹ですが、昔はいろいろあったようで、清少納言は『枕草子』の中で「扇の骨は朴、色は赤き、紫、みどり、檜扇は無文、唐絵」と書いています。ホオノキの骨に赤や紫、緑の紙を貼った扇子がいちばんいい、と言うのです。

さて、その扇とカナメモチの関係ですが、中国ではカナメモチのことを「扇骨木」と表記します。漢籍の素養がある夏目漱石も『虞美人草』の中で、庭の木(カナメモチ)を表現する際、扇骨木と書いて「かなめ」とフリガナをつけています。
また、パソコンの漢字にはありませんが、中国では木ヘンに要という漢字もカナメモチを意味するそうです。

      
       (カナメモチの葉)

以下は私の推測ですが、中国が日本から輸入した頃の扇子の骨や要にはカナメモチが使われていた。そのため、中国ではカナメモチを意味する文字として「扇骨木」や「木ヘンに要」を編み出した。その後、日本では骨には竹を、要にはクジラの髭を使うようになった・・・。
牧野富太郎博士に逆らうようですが、「日本のオリジナル製品が中国に新しい文字を作らせた」と解釈した方が面白いですね。
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