ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

まだまだ進化するのか?…大原貯水池(ダム)

2022-01-20 06:55:23 | 滋賀(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は滋賀県甲賀市甲賀町神(こうかしこうかちょうかみ)にある淀川水系の大原ダムを訪れます。アクセスは県道129号を進み、県道131号(鹿深の道)と分岐する場所の先の二又のところを右へ入っていくとダムの左岸に到着します。

フィルダムのようです。



下流側はこんな感じ。



左岸のダム横に来たのですが、どうやらダム上に行くことはできないようです。





左岸側に目をやると越流式の立派な洪水吐がありました。増水すると、水はここから溢れ出て、奥へ向かう水路を通り、



あちらのほうへ流れてゆきます。



洪水吐からの水路の上には2つの物体がちょこんとお行儀よく並んでいます。



ひとつはダムの案内板。築造の経緯はここを流れる大原川流域とその下流で合流する杣川(そまがわ)流域が昔から干ばつで悩まされていたことにありました。そこで1943年に大原川を堰き止めて貯水池の建設に着手します。しかし第二次世界大戦のために工事は一時中断。戦後、食糧増産の要請を受けて1947年に工事は再開。そして1954年に完成しました。その後、貯水池の老朽化が進むとともに地震時における強度不足も指摘されたため、2007年から2011年にかけて県営防災ダム事業として全体的な改修工事が行なわれ、現在に至ります。

ところで、なぜ大原貯水池と命名されたのでしょうか。大原川を堰き止めて築造されたから? それも一理あるでしょう。しかしこのダムが完成した当時、ここは大原村だったというのが最も妥当な考えかもしれません。大原村は1889年4月1日の町村制施行により大久保、神、櫟野(いちの)、大原上田、大原中、鳥居野、相模、大原市場、高野の各村が合併して始まりますが、1955年4月1日に佐山村と油日村(あぶらひむら)が合併して甲賀町として発足したため同日をもって大原村は廃止。というわけで、貯水池の完成当時は大原村だったため、「じゃあ大原貯水池と命名しよう!」となったのではないかと思われます。





貯水池でありながら、高さは27.4mもあるのでダムの条件を満たしています。したがって「大原ダム」とも呼ばれるのです。



もうひとつの「物体」は改修工事以前まで活躍していた取水設備の一部。



この付近から貯水池を見るとこんな感じ。なかなかの大きさです。



左岸沿いの道のさらに奥に管理棟があるようなので行ってみます。



これがその管理棟。だからなんだと言われても困りますが…。





そこから見たダムの様子。あれれ、気がつかなかったんですが、ダム上の貯水池側に太陽光発電のパネルがぎっしりと並べられているじゃありませんか! なるほど、だからダム上は立入禁止なのかもしれません。でも、このパネルで発電した電気は何に使用されるんでしょうね。ますます気になります。



農業用水供給のためのダムとして出発した大原貯水池(ダム)ですが、今後は電気も供給するようになって行くのかもしれません。発展の道はまだまだ続く…

なんちゃって。
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