ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

なぜ「小」は付いた?…小桂池

2022-01-28 06:55:35 | 三重(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は三重県度会郡大紀町野添(わたらいぐんたいきちょうのぞえ)にある宮川水系の小桂池(こかつらいけ)に向かいます。アクセスは県道38号沿いにある奥伊勢廃材センターの角を曲がり、しばらく行ったところに「奥伊勢廃材処理場→」の看板があるのでそちらへ向かって進んで行くと今回の目的地の入口にあたる林道が右側に見えてくるのでその未舗装の林道を進むと到着します。

こんな感じの林道です。道幅はクルマでも行けそうですが、万一のことを考慮し、歩いて行きます。



いやいや、ホントにこの先にあるのかな…。



おっ、なんか見えてきましたよ。



どうやらこれのようです。



これがいわゆるダム上。行ってみます。



ダム上、中央から見た貯水側の様子。



一方、下流側はこんな感じの景色。



実は下流側からダム上に通じる小道があったようで、その小道を少し下りた場所から撮ったのがこちら。不思議なことに、この小道、薄〜く舗装されています。



対岸(左岸)手前にある洪水吐。





増水すると、水はこの水路を通って流れてゆきます。



そして洪水吐にかかる橋を渡って対岸にきました。振り返るとこんな感じ。



対岸の斜面を見ると石碑のようなものが…。なんでしょうね。



近づいてみると文字が書かれています。竣工記念碑のようですが、相当風化していてほとんど読むことができません。



石碑の左隅に「明治28年(1895年)2月」と読めるので、おそらくこの頃に築造されたものと思われます。



それにしても、なぜ「小桂池」と命名されたのでしょうか。先ほどの石碑に記されているのかもしれませんが、とにかく読めないのでネットで調べていくと意外な事実を発見しました。下の写真をご覧ください。



これは地元の大紀町が作成した地域防災に関する公式資料「第5編 資料編」ですが、その中の「8-9 老朽ため池」の項目に「桂池」というのが出ています。場所は野添で、この地域にはほかにため池がなさそうなので今回訪問した「小桂池」のことと思われます。ただ、「経過年数」が170年とあるのが気になります。同資料は大紀町の町長が谷口友美だった頃に作成されたものなので、資料作成年は谷口の在職が2009年から2021年の間と思われます。

仮に資料作成年が2020年としても170年前だと当該ため池は1850年に築造されたことになり石碑に記された年と異なることになります。でも、その石碑が「ため池改修記念碑」で、改修工事が終了した年が1895年だと仮定するならどうでしょうか。矛盾しません。とするならですよ、この資料の記載に従うならば今回訪問した場所は「小桂池」ではなく、正しくは「桂池」なんですよね。

地図の記載やネットの記述を鵜呑みにすると誤ちに気づかないものです。現場に案内板などがあればそれを信用しても良いのですが、何もない場合は多角的に検証しウラを取らないと思わぬ勘違いをすることになりかねません。とはいうものの、今回の場合はあの石碑の記載内容をすべて確認していないのでこの場所が「桂池」と断言することは正直できません。しかし、以上の検証からするとこの場所はおそらく「桂池」で間違いないと思われます。

それにしても、いつ、誰が、どのような理由で「小桂池」に変更したんでしょうね。そのほうがむしろ気になります。

たかがため池、されどため池。侮るなかれ!
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