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ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

あと30cmあれば…五升苗ダム(堰堤)

2021-07-17 07:02:10 | 新潟(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。さて、今回は新潟県十日町市仁田(にた)にある信濃川水系の五升苗(ごしょなえ)ダムを訪れます。アクセスは県道49号沿いにある十日町市立橘小学校付近の道を北沢川に沿って登っていくと到着。

まずはダム下から見た全景をご覧ください。パノラマ撮影してみました。



で、ダムへの道を進んで行くと左岸に辿り着きます。ダム横にあるのが概要図(逆光になっちまいました。すみません)。諸元表の「位置」の項目ですが、中魚沼郡川西町大字仁田とありますが、これは2005年3月末日までの住所です。同年4月1日、川西町は中魚沼郡中里村、東頸城郡松代町(ひがしくびきぐんまつだいまち)、同郡松之山町(まつのやままち)とともに十日町市に合併されたため現在の住所はこの記事の冒頭に記したものとなります。この諸元表は五升苗ダムが竣工した1985年頃に作られてそれっきりになっているので昔の住所表記のままなのでしょうね。

この諸元表で注目なのはダムの高さです。なんと14.7mしかないので河川法上のダムの定義(15m以上)からするとダムと呼ぶことはできません。定義上では「五升苗堰堤」になります。あと30cmあればダムだったのに…。しかし、まあ五升苗ダムで通用しているのでダムのままにしますか。



左岸、貯水側には「天恵為瑞」と刻まれた石碑があります。出典は不明ですが、天からの恵みは瑞々しさをもたらすといった意味でしょうか。





その石碑の裏にはダム建設の経緯が記されています。まず文久3年(1863年)に仁田・野口両のための五升苗堤の建設が開始され、慶応3年(1867年)に完成。しかし年月を経て堤の荒廃が進んだため、昭和43年(1968年)に新潟の県営灌漑排水事業として五升苗ダムの築造が申請されます。そして昭和45年(1970年)、申請が採択され工事に着手。昭和60年(1985年)に完成したとあります。



では、ダム上を歩いてみることにしましょう。



左岸側には越流式の洪水吐があり、増水時になると水はここから溢れ出て、



あちらへ流れてゆきます。



ダム上、中央から貯水側の左岸を見るとこんな感じ。



同じく、右岸方面の景色です。



一方、下流側はこんな感じ。高さがあまりないので平面のように見えますね。



対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じです。



対岸、貯水側から見たダム上。



右岸、貯水側には見張所のような建物がありますが、何の表示もありません。



あるのは「設計荷重積雪量」を示すプレートのみ。4.0mとある割には「2.0mをこえるときは雪おろしをして下さい」とするいかにも慎重な姿勢。早め早めの対処ですな。



右岸、下流側から見たダム上の様子。



歴史のあるダム(堰堤)なんですなぁ。ところで「五升苗」と命名された由来はなんでしょうねえ。どうにも気になります。
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