ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

千本木川砂防堰堤の謎に迫る!(再訪2021)

2021-07-03 06:57:31 | 長野(ダム/堰堤)
再訪シリーズ。どーも、ワシです。今回は以前訪れた長野県諏訪市大和にある天竜川水系の千本木川砂防堰堤を昼間に訪問しました。(深夜の様子はコチラをご覧ください)

やはりというべきか、昼間に行けば色々なものが見えてきます。まずは第3砂防堰堤の「ご尊顔」をどーぞ。これは堰堤の中央が格子状になっている「透過型」と言われるタイプですね。



看板とともにもう一枚。「第3」は2016年1月に竣工しました。



今回は「第3」の堰堤上や背後からの様子も撮影できました。

堰堤上の様子。


斜め後方から見た様子。


上流側から「格子」を見るとこんな感じ。


以前の記事でも書きましたが、この砂防堰堤が「第3」ならば「第1」と「第2」もあるはず。それがどこにあるのかが気になっていたのです。

で、今回「第1」と「第2」の存在はもちろんのこと、思わぬ発見があったんですよ! 順に説明していきますね。

前回と同様に今回も「第3」の近くをキョロキョロしていたら「第3」の少し下流に小さな堰堤があるのを見つけました。それがこれです。



堰堤の上を中央まで行ってみます。


落水する様子。


その中央から上流を見ると「第3」の格子がちょっとだけ見えます。


一方、下流側の様子です。木々で覆われていますが、写真右上にちょっとだけ見えるのが諏訪湖です。


堰堤中央から見た右岸側の様子。これじゃあ深夜に見つけられるはずがありません。


堰堤本体には「千本木川大和砂防ダム」のプレートが嵌め込まれています。竣工は1978年10月。これが「第1」なのでしょう。高さが6.5mなので定義上は堰堤と呼ぶことにします。


そして、その少し下にも堰堤が。これは前回の深夜の時にも見たものです。



堰堤の上の様子。


この堰堤本体には「千本木川大和第2砂防ダム」のプレート。竣工は1992年11月。これも高さが6.5mなので定義上は堰堤と呼ぶことにします。


以上のことから千本木川の砂防対策は次のような経緯があったのではないかと推測されます。つまり、まず「第1」が1978年10月に完成したものの、それでは防ぎきれない災害が起こった。そこで1992年11月、下流に「第1」と同規模の「第2」を建設。しかしその後また災害が発生したため、2016年1月、「第1」の上流に規模の大きな砂防堰堤(第3)を作ることで今後の災害を完全に封じ込めようとしたのではないか…。

堰堤の位置関係を示すとこうなります。

ーー(第3砂防堰堤:2016年1月)ーー

ーー(第1砂防堰堤:1978年10月)ーー

ーー(第2砂防堰堤:1992年11月)ーー

メジャーな川からすれば千本木川は本当に小さな川です。でもそこには災害の歴史があり、それに応じた砂防堰堤建設の歴史もあるのではないでしょうか。

…ぬぁんてね。
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