ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

培われてくるもの

2008-01-27 07:09:05 | 脳みその日常
昨日、ある番組を見ていたらひとりの女性に目が釘付けになった。どことなく上品で華やいだ雰囲気がある。これはタダモノではない。早速ネットで調べてみた。

その人の名前で検索してみると、同じように感じた人がいるらしく情報はワンサカ出てきた。ここでその人の名前は出さないが、とにかく彼女は我々とは「育ち」が違っていた。

いわゆる裕福な家庭に生まれたお嬢様である。そしてご両親の教育方針が素晴らしかった。習い事を含め、すべてにおいてその筋の一流の人と接するように導いたのだという。ご両親はそれが最も大切だからという考えだったのだそうだ。なるほど、この人に気品が感じられるのはそういうわけだったのか。思わず納得。

戦後間もない頃、このご家庭以上に裕福な人々はいただろう。しかし子供を教育するにあたり、常に最良のものに触れさせようと考えた親はどれほどいたことだろうか。多くの親は子供に平均以上の教育は受けさせたかもしれないが、ここまでの「こだわり」をもっていた親は少なかったのではないだろうか。もし当時裕福な人々がみな同じ考えで子供に教育を受けさせていたら、現在の熟年層の人々はもっと優雅な立ち居振る舞いをしているはずだから。

さり気ない気品というのは「はい、どうぞ」と出せるものではない。よく、役者が高貴な人々に扮するけれど、所詮それは付け焼き刃に過ぎない。優雅なフリをしているだけ。そりゃそうさ、「育ち」が違うもの。にじみ出るものがないのだから仕方がないのだ。

そう考えると、決して裕福でない我々は手も足も出ないということになる。勝負にならんではないか、と。

いやいや、すぐさま悲観することもないよ。「そうだな、よーし、じゃあ成り上がればいいんだよな?」いや、そういう話じゃない。

物質的な意味で裕福になることは、やろうと思えば誰でも可能だ。貴方も数年後には大金持ちになっているかもしれない。でも、カネを持つと同時に「心の豊かさ」も手に入れることはできない。こればかりはどうにもならない。いくらカネがあったって、心の貧しい輩はいるからね。

では、どうするのがよいのか。たとえ貧しくとも、たとえ一流の教育が受けられなくても心を常に清らかな状態であるよう心がければよい。そして何が正しくて何が間違いであるのかを見極める冷静な判断力をもつよう努めるにつれて、次第に何かが自分の中で変わってくる。そうなると「気品」はにじみ出ないかもしれないが、それとは別の何か、たとえば存在感とか独特のオーラみたいなものが本人の意識とは無関係に発せられるようになってくる。

貴方が親ならこれを率先して実行すればよいし、子供を教育するのであれば、子供にそうした心のあり方を教えたら良い。もちろん裕福なら前述のご両親のようにすればよろしい。くれぐれも親(指導者)は子供の前で愚痴をこぼしたり醜態を晒さないように。子供はそれを見逃さないのだから。
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