ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

画像から音楽を作るアプリ

2008-01-07 04:22:33 | 脳みその日常
画像が音になったらどんな風に聴こえるんだろう。そんな人類の夢を叶える(?)ソフトをご紹介。それが「RGB MusicLab」(Mac/WIN)。

絵を音にするといっても、原理は画像を「赤」「緑」「青」に色分解して、それに音を対応させる仕組み。とにかく面白そうだし、フリーウェアなので早速試してみた。



写真はMac版のアプリケーションを起動させたもの。最もシンプルな使い方は次のように行なう(詳細な使用法はサイトを参照のこと)。

・まず「1」のところに好きな画像をドラッグ。するとその画像が「1」のフィールドに広がる。
・それと同時に左側のフィールドにはモザイクの施された画像が現われる。このモザイクの大きさは「2」をスライドさせて調整する。注意しなければならないのはモザイクを小さくし過ぎないこと。というのも、このアプリケーションはモザイクの大きさと色素に対応しているので、モザイクを細かくし過ぎると音を「作る」までに時間がかかるからだ。
・「3」は速度を決める時に使う。スローにしたければツマミを左側に。アップテンポにしたければ右側にスライドさせればよい。ちなみにテンポを速くしてもモザイクの場合のように音楽作成に時間がかかるわけじゃない。でもさ、速度表示のレンジが20~800って…。800なんてテンポは聴き取れるんかな。ただ「ツー」としか聴こえんぢゃろ。まあ画像の内容にもよるだろうけど。
・あとは「4」をクリックして待つだけ。音楽はアプリケーションが画像を解析して作ってくれる。まるで「レンジでチン」の手軽さ。あーら簡単。
・そして、もしその音楽を保存したければ「5」をクリックすればよい。

どんな音楽になるのか、ここでは言わない。ただ、いろいろ弄ってみると時間を忘れるほど楽しめるのは確か。たとえば画面左下には分解色素ごとに楽器の音色をセレクトできるようになっており、内蔵されている音はナント142種類! 色素は3種類なので単純に音の組み合わせは……そりゃもう時間も忘れるわな。

くれぐれもヒマな時に遊ぶこと。そうでないと大変なことになる。いまワシが仕事に追われているのは、何を隠そう、コイツのせい…かどうかは誰にも判らない。

(追記:写真を差し替えました)
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青年たちの抱負

2008-01-06 16:07:46 | 脳みその日常


明け方、腹が減ったので近所のスーパーへ買い出しに。そこは24時間営業で顔見知りの店員も多い。行けば買い物半分、話半分という具合。

アルバイト店員のI君は役者志望。今年は小規模のところでいいから座長公演をしてみたいという。人懐っこい笑顔が印象的だが、芯はしっかりしてそう。

別のアルバイト店員N君は左目を手術するため今月中旬に辞めるそうな。目が治癒したら本業のアニメーターとして一本立ちを目指すという。

まだ20代半ばの彼らには夢がいっぱい。各々の抱負を聞いていたら何だか嬉しくなった。彼らにはぜひそれぞれの夢を実現して欲しいものだ。

清々しい気分で帰って来たら、空はちょっと綺麗な朝焼け。思わず撮ったのがこの写真。イマイチうまく撮れていないが、冬の寒い夜明けの感じは出ているかな?
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言い訳します

2008-01-05 22:28:30 | 脳みその日常
業務連絡もかねて。

毎年多くの方から年賀状をいただく。今年も近況を書いていただいた方も含め、ありがとうございました。

ただねえ、結婚したとか子供が生まれたなどはまだ嬉しいけれど、実家に戻ったとか親が倒れたなどの知らせを見ると本当に胸が痛くなる。なんと言葉をかけてよいのやら…。

ワシですか? ええ、元気でやってますよ。何の変化もないですけどね。

あ、そうそう、今年のワシの年賀状には手書きのコメントは省略させていただきました。ちょいと忙しくて書く時間がなかったのでね。

薄情になったわけじゃないんですよ。いつも皆さんのことを思っているんですから。

ええ、本当に。
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悪を懲らしめてみた

2008-01-04 16:35:51 | 脳みその日常
世の中は仕事始め。こういう日に限って何かと重なるもの。なんだろうねえ、まったく。

年末から今日まで睡眠らしい睡眠をとっていないワシとしては、休日明け締め切りの仕事が今や追い込みの状態。まさに焦っている最中。そんな時、ケータイに一通のメールが。

見てみると、なーに、いつもの架空請求のお知らせ。まったくコイツら、ヒマだねえ。…と、よくよく見れば文面に初めて振込先の口座が具体的に書かれていた。今までは「○○円払え」だけだったのに。ほう、遂に始まったか。

もちろん、そんなのにホイホイ引っかかるワシではない。むしろこれを待っていたのだ。自分の仕事も大切だが、こうなるとカネをウッカリ払い込んでしまう人が出ないとも限らない。それは何としても避けなければならぬ。

そこで指定振込先の銀行の支店に早速電話。事情を説明し、速やかに当該口座の凍結を告げた。オペレーターのオネエチャン、「では、すぐにでも確認・検討させていただき、問題のある場合はすぐに口座を閉鎖させます」との返答。よしよし、これで少しは被害者が出ないで済む。ほっとひと安心。

さて、自分の仕事に戻ると、今度は電話がかかってきた。出てみると聞いたことのない老婦人の声。間違い電話であることを告げ、電話を切る。

しばらくすると、また同じ人からかかってきた。声のトーンから悪気のないことは明らか。年寄り相手に激怒しても仕方がないので、なぜ間違い電話であるのかを優しく説明してあげる。

二度あることは三度あるというが、またもや同じ人。仏の顔も三度というわけじゃないが、グッと我慢。「あのね、おばあちゃん、よーく番号を確認しながら電話してみてね。そうすれば間違わずに済むからさ」

それにしても緊急を要するのだろうか。忙しいクセに老婦人の事情を聞いてやることにした。あぁ、なんとお人好しなのだろうか。思わず自分に苦笑。

老婦人は少し痴呆気味で、話の通じないことも幾度かあった。粘り強く聞いてみると、どうやら実の娘さんに話があるらしい。といって、そこから先、ワシはどうすることもできない。老婦人に代わってワシが電話してやるわけにもいかず。「とにかく落ち着いて電話してみて下さいね」となだめて会話は終了。幸い、もう電話はかかってこなかった。

というわけで、現在も自分の仕事は終わらず格闘している最中。でも焦ったところでどうにかなるものでもない。そういう時はドライヴ…ではなく、こうしてブログを書くことで気分転換をしたという次第。

ま、とにかく架空請求にうろたえてはならない。奴らにカネが渡らぬ前に先手を打つことが大事。さあ、みんなで協力して悪徳業者を撲滅させようじゃないか!

面白いことに、銀行に電話してから現在まで請求メールが一通も来ていない。さては当該の口座、強制的に閉鎖されたのかもしれない。善きかな、善きかな。
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お知らせソフト(for Mac)

2008-01-03 23:54:18 | 脳みその日常
元旦の記事に「Macは冷たい」などと書いた。ところが世の中には同じように思っている人もいた。このサイトの作者がまさにそう。で、そのソフトウェアをインストールすれば問題は解決する。フリーウェアなのも嬉しい。

残念なのはワシのMacに対応していないこと。ワシのはマシンの性能上OS X 10.3.9が限界。対してこのソフトウェアの動作環境はOS X 10.4.7以上とある。試しにダウンロードしてインストールを試みたが、作動せず。やっぱり無理か…。

ということは、OS X 10.1~10.4.6のマシンを所有する人たちのMacは相変わらず「冷たい」ままということか。開発者の中の人、何とかしてくれないかなあ。
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駅伝に見る過保護の実態

2008-01-02 23:41:52 | 脳みその日常
年初めの恒例行事となっている箱根駅伝。襷を繋ぐことでチームが結束しゴールを目指す姿はある意味で美しい。他人を信頼しなければ成立しない競技だからだ。仲間をも信用できなくなっている今の世の中にあって、競技とはいえ「人を信じる」ことは実はとても大切なのだ。この競技に思わず見入ってしまうのは、我々が日頃忘れている何かを思い出させてくれるからなのかもしれない。

そこまではよい。問題は競技の運営方法。走る選手の後方には必ず監督の乗る運営管理車がいる。監督は選手の状態に応じてさまざまなアドヴァイスをする。選手にしてみれば監督がそばにいてくれるのだから心強いのかもしれない。でもそれって過保護なんじゃないだろうか。

たとえばマラソン選手にだって監督はいる。しかしマラソンの場合はスタートからゴールまでは基本的に選手個人の一人旅。監督は時折アドヴァイスはするが、それはピンポイントでのこと。あくまで競技の責任は選手の判断に委ねられている。だからマラソンではいちいち選手ひとりにつき監督が同乗する管理車両なんてない。

比較の対象がおかしいって? そうかなあ。走る距離は確かに違うけれど、走行競技には変わりないでしょ? じゃあ、なぜ駅伝は過保護なのか。

競技者が大学生だから? いやいや、もしそういう理由だとしたらおかしいと思う。大学生は子供じゃないんだから指導者が手取り足取り教える必要はないはず。学生だってこの日のために苦しい練習を重ねてきただろう。自分のことは自分が良く知っている。だから本番にあたっては練習の成果をそのまま出せばよいのだ。何も競技中まで監督がゴチャゴチャ言う必要はない。

今回一番不快なのは監督の激励の声。昨年あたりまでは檄を飛ばすにしても車両から直接大声で叫んでいた。しかし今回目立つのは拡声器を通しての「励まし」。本人はきっと気づいていないだろうが、あれはどう聞いても右翼が街宣車で叫ぶ罵声だ。監督自身も興奮しているので、ついつい声高になる。で、拡声器を使っていることを忘れ絶叫。見苦しい(聞き苦しい)ったらない。な? それってまるでガミガミ世話を焼く親みたいなモンだろ?

こうした過保護現象は何も駅伝だけのことじゃない。むしろ現在の教育の姿が、まさに鏡のように現われていると見るべきなんじゃないのか。

身近な大学生を見ていても思う。学生の多くは教師から与えられるテーマに沿って動くのみ。つまり彼らは雛鳥のように口を開けているだけで、自らエサを探しにいくわけじゃない。

そうなると、教師をはじめとする大人は雛鳥が可哀想に思うのか、彼らにエサを与えることになる。これがそもそも過保護の始まり。彼らはもう雛鳥じゃない。立派な大人なのだ。そんな成人にエサを与える必要はどこにもない。

知り合いの大学講師はある時にこう言っていた。

「いま教育しなければならないのは学生でなく、親のほう」

そうなのだ、親が保護するのはせいぜい高校生までであり、大学生になってまで大人が世話することはないのである。大学は高校の延長機関なのではない。自らが問題意識をもち、自らテーマというエサを探す場なのだ。少なくとも口を開けてる場所ではない。

それなのに大人は余計な世話をしたがる。親が学費を払ってやるのは、まあ許そう。しかしその他のことは本人にやらせればよい。各種免許を取得したければそのための費用は自分で稼がせる。クルマが欲しければ自分で買わせる。こんなのは当たり前のこと。親がカネを出すという話をよく聞くが、こんな親こそ頭がどーかしていると思うね。

大人たちよ、早くそれに気づきなさいよ! あなたがたのしていることは子供をダメにしているんだということを。
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新年のご挨拶

2008-01-01 15:59:52 | 脳みその日常
あけましておめでとうございます! 今年も皆さんが幸せでありますように。

そういえば、長年のMacユーザーならご存知のように、現行のOS Xになってから「新年のご挨拶」がなくなった。OS 9時代までは正月三ヶ日にはマシンを起動すると下のような画面がまず現われ、「おおっ、挨拶してくれてるじゃん♪」と感心したものである。


それに、確かユーザーの誕生日にも同様に「お誕生日おめでとうございます」のようなメッセージが出ていたと思う。

ところが、ネットへの常時接続が当たり前となった近年からこうした心温まるサービスはなくなった(今でもOS 9以前のユーザーのマシンでは上記のメッセージが出るけれど)。なんとなれば常時接続しているのだから特殊なメッセージは意味がないのだろう。したがってOS Xで起動してみても下のような画面が出るだけで、正月であろうとなかろうと毎回同じ画面となる。



メッセージが出ない理屈はわかるし、仕方のないことなのかもしれない。でも心情的にはちょっと寂しい気分ではある。なんか冷たいなあ、と。

いやいや、元旦からすみません。なにせタイムリーなネタだったもんですからね。別に落ち込んでいるわけじゃあないんですよ。画面が相変わらずブルーなのは鬱な気分になるんですけどね。

はは…あははぁははは…は、は…。
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