ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ちんまりだけど歴史が…高松堰頭首工

2021-06-14 06:54:28 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回はクルマで走っていて偶然見つけた頭首工をご紹介したいと思います。次なる目的地へ向かい、国道112号から国道458号へ入り寒河江川を渡る時に何かが見えたのです。

「ん? あれは頭首工じゃないか!」

そうと分かれば確認してみるしかありません。その先で交差する県道26号を右折したところにその頭首工はありました(山形県西村山郡西川町吉川)。

これが県道26号から見た「勇姿」。いわゆる「ヘーベル君」は2人しかいません。何とも小ぢんまりとした佇まいです。(ヘーベル君という命名由来についてはコチラをご覧ください)



近づいてみます。これが頭首工の横から見た様子です。



頭首工本体には水利使用標識が掲げられています。灌漑が目的で作られたものなんですね。



頭首工の横から見た下流の寒河江川。遠くに見える橋のところが国道458号です。あそこを通った時にこの頭首工が見えたんです。



一方、上流はこのような景色です。



上流側から見ると頭首工はこんな風に見えます。



それにしてもこの頭首工の名称は? キョロキョロしてみると上流の県道側に石碑がありました。最上川水系の高松堰頭首工だそうです。石碑には名称の由来が記されています。それによれば高松堰という名称は鎌倉時代に大江氏一族が寒河江城の西に位置する柴橋村字高松に居を構えて以降その地名から「高松氏」を名乗り、高松左門なる人物が中心となって地域の用水路の整備を行ったことに由来するようです。しかしこの地域では絶えず用水不足に悩まされていました。

そこで立ち上がったのが雨池村の菊池藤五郎。卓越した測量技術により寒河江川に水源を得て全長八千メートルにも及ぶ新しい高松堰を完成させたのが慶長14年(1609年)でした。石碑の題名が「高松堰開削400年記念」なのはこういうわけです。



ただ、注目していただきたいのはこの石碑が建立されたのが平成16年(2004年)11月ですから、その400年前ということになると1604年(慶長9年)ですね。ということはですよ、石碑には記されていませんが、藤五郎が新たな高松堰の開発に着手したのは1604年であり、5年で完成させたと読み取ることができるのではないでしょうか。

石碑の横にあるのが高松堰頭首工に関する案内板です。当該の頭首工が着手されるきっかけは昭和15年(1940年)に寒河江川が氾濫を起こしたことでした。そこで翌年3月から県営事業として着手し、昭和20年(1945年)3月に完成したそうな。そして完成後半世紀が経ち、設備が老朽化してきたことから平成13年度から平成16年度にかけて全面改修を行なったとあります。



頭首工の規模としては小さいですが、そこには長い歴史があったんですね。いろいろと勉強になりました。偶然ですが、見つけて良かったぁ。
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