ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

忠山池からの〜前川(治水)ダム

2021-10-10 12:38:40 | 山形(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は山形県上山市(かみのやまし)川口にある最上川水系の前川ダムを訪れます。アクセスは国道13号から「市内川口」の表示のある交差点を入って行くと到着します。詳しくは(資料参照)。

このダム名なんですが、グーグル先生の地図では「前川ダム」と記されています。ところが上のリンク先にある公式パンフレットでは「前川治水ダム」と表記されています。ちなみに国土地理院の地図の表記も「前川治水ダム」になっています。さあ、どうしましょう。ここでは一応「前川(治水)ダム」と表記しておきます。

まあ、そんなこんなで、とりあえず下流から見たダムの様子をご覧ください。



右岸のダム横に来ました。これがダム上。進んでみます。



歩き始めてすぐのところ、つまり右岸側に越流式の洪水吐があります。増水時、水はここから溢れ出て、



この水路を通ってあちらへ流れてゆきます。



洪水吐の水路を渡ったところに何かありますね。まるで昔のパソコンのモニターみたいだなぁ。



近づいて見ると「定礎」の文字。1979年6月とあります。



ダム上、中央から見た貯水側の景色です。いいねえ。



一方、下流側はこんな感じ。



対岸(左岸)へ来ました。振り返るとこんな感じです。



左岸、下流側からダムを見ます。



同じく、貯水側から見た景色です。



えーっと、管理所らしきものはどこかな? 見まわすと右岸の上流側に建物が。たぶんこれだと思うんですが、それを示す看板はありませんでした。



この建物へ行く途中、1985年4月25日に建立された「前川ダム記念碑」の石碑があり、ダム建設の経緯が記されています。うっかり写真を撮り忘れたので、かいつまんで説明します。

慶応2年(1866年)、この辺りを治めていた上山藩領内で大旱魃が発生。当時大名の家老に相当する参政の金子与三郎の提唱により「忠川池」が築堤されたことで問題は解消されます。

ところが第二次世界大戦後、山林の乱伐などにより自然破壊が進み洪水や旱魃などの災害が起こります。1967年、これを憂慮した当時の上山市長である鈴木行男(任期:1966-1971)は前川の上流部に多目的ダムを建設することで災害を未然に防止できるばかりか、上水道の確保もできると主張。そして1974年建設工事に着手し、1982年9月に前川治水ダムは完成。

なるほど、そういう経緯があったんですね。
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