2015/08/07 記
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まずは、金曜災害ミニ・カフェの話から。
今回は、湯浅誠氏の「コミュニティ講座」第3・4回。
●東北☆未来塾「第3回"見えない線"を探して」
●東北☆未来塾「第4回・最終講義 そしてその先へ」
を取り上げた。岩手県野田村の復興住宅がまもなく完成し、数箇所の集落の仮設の被災者が1箇所にまとまる。従来の顔見知りの仮設コミュニティは復興住宅の新たなコミュニティに再編される。この新規のコミュニティ作りは、昔からの集落コミュニティを引き継いだ仮設コミュニティと異なり、見ず知らずの者を含んでいるという点で、未体験の生活共同体(コミュニティ)作りを経験することになる。そこにどのような問題が生まれてくるか、その不安に直面している。
それぞれの仮設自治会(コミュニティ)が、こういう課題を抱えながら、なかなかまとまった準備に入れない、それはなぜか、そしてどのように新規コミュニティへと現行コミュニティを移行させるか、こういう課題に取り組んでいく、それが湯浅誠氏の講座だ。
東北の大学生チームは第1・2回で、地元被災者のインタビューをしつつ、問題を洗い出そうとするが、何が問題になっているか自身が見えない。
ただ、ここで湯浅氏のいう「コミュニティ」が、どうも当人の解説の中でもすっきりしないというか、定義が違うのではないかと思えるのだ。
湯浅氏にとってコミュニティとは「差異を踏み越えて共同活動する実践集団」ととらえられているように思う。湯浅氏の「見えない線を越える」とは、「個々人が抱える差異と矛盾を超えること」になっている。しかし生活を共にする共同体とは、「目的に統合されていく実践集団」なのだろうか。
当人の意思と関係なく誕生と同時に所属の烙印が押され、共通の文化のもとで生活を送るという生活共同体の基底、バックグラウンドの「個人」という闇の部分が見えていない。所属が個人に超越して張り付いているように、それが断ち切られる不安につながっており、「個々人が抱える差異と矛盾」という、動くからこそ直面する課題と同時に、「所属」というパスポートが無効になる、いわばやってくる矛盾と不安が先を覆い隠している基底部を可視化する作業を含んでいる。野球チームのような集団として生活共同体(コミュニティ)を論じれば、指の間から砂は落ちて行く。
湯浅氏の「見えない線」を見るという課題はシャープなのだ。しかし、相手は「鵺(ぬえ)」である。
大学生たちは、被災者ひとりひとりの気持ちを探ろうとして、建前の壁にぶつかる。例えば、皆でいく旅行を集合の時間と場所まで、皆で決定したとしよう。ところが当日、集合場所には誰も来なかった…、これはなぜかと問うように、コミュニティの層は個人の闇の中に拡散して、一向に見えてこない。
そういう不合理なこと自身、大学生チームには存在自体がわからない。「見えない線」とはなにかということ、それをなぜ課題化されているか、つまり自分のやっていること自身が見えていない。それは無残なほどだ。
結局、インタビューをまとめて、自治活動に参加しない家族が、どのような葛藤を経て、参加の一歩を踏み出しているかという現状の代弁を、自治会関係者にプレゼンして終わって行く。そのプレゼンの残す余波に無頓着なまま、1年後に再会しようという話で終わってしまう。
大学生にはなぜ「見えない線」が見えないのか。一般には「社会経験」不足として言われるが、社会経験を積んだ高齢の方に可視化できるのか。そこを見て行く切り口が「個々人が抱える差異と矛盾を超えること」という部分にフォーカスすることだ。
このドキュメントを見ていて、無理に回数を重ねていっても、観察という「外在的な視野」から、課題がとられられるだろうか。「漠とした不安」という層の存在から堀り起こせないだろうか。「案ずるより産むが易し」という爆弾もまたあるのだが。
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次に、「避難所・仮設生活する期間の災害弱者の健康」という課題を吟味し、阪神巡回して懇話会ゲストを求める基準をはっきりさせるという中途半端な準備作業なのだが、今回はとくに「被災高齢者」に重点を置いた作業になる。このケアの仕事のどの部分が、災害弱者の保護となり、医療関係者の支援が成り立つかという篩(ふるい)は常に携帯している。
まずは基本資料から。
●「東日本大震災-地震・津波後に問題となる感染症/日本感染症学会」
●「被災地におけるレジオネラ症について/国立感染症研究所感染症情報センター」
●「東日本大震災後に気仙沼市内で発生した肺炎アウトブレイクの実態調査」
時間切れ
夜間傾聴>ひとり
(校正1回目済み)