湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

8/15 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(8)他

2015-08-16 04:40:02 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/15 記
--------------

(つづきより)

大災害の特徴に、一家族内に複数の傷病者、中には死者を抱えることが広範に起こるということがある。残された者にのしかかるストレスは、個人のキャパシティを超えてしまう。深い悲嘆を抱えながら行動しなければならない立場に追い込まれる。

平常時ならば、親戚や親しい友人がフォローに入ったり、地縁の方が短期間支援をして支えるが、大災害時には、それらの方も被災していたり、外部から被災地に入ることが困難であったりして、実際のところ、個人の対応力に依存され放置されたり、避難所で知り合った隣人の協力を得ることもあるが、限界を感じ心に挫折感を抱えて鬱状態に陥ることもある。災害時、健康をかろうじて保持している者は、過剰なストレスを抑圧して、元気であるかのごとくふるまい、心の軋轢の歪みを心の中に溜め込んで行く傾向にある。この心のひずみが、急性期を超え、生活の形が一段落ついたときに、当人の意思と無関係に表出してくる心身症がある。

大災害時、発災後数日~1週間ほどまでは、被災地の地元の方が医療・生活支援を支えざるを得ない。発災後数日でDMATや自衛隊が入るが、重症者の治療と移送、被災傷病者の救出に力が注がれ、被災者とその家族のメンタルヘルスまで手が回らないというのが実情だ。

医療・生活ボランティアがまず地元で組織されなくてはならない。初期の仕事は、「つなぎ屋」だ。生活が一段落しつつあることからは、徐々に参加してくる外部ボランティアの力も借りつつ、外見健康を維持している被災者への「傾聴」と補佐を行う。しかし注意しておかなくてはならないのは、外部ボランティアの活動単位は短期だということ。長期滞在型支援の方は少数派だということだ。浅くなく、深みにはまることなく、当事者を孤立させない活動、寄り添う活動が意味を持つ。

精神医療専門職(避難所間巡回も可)のアドバイスを求めながら、間接傾聴の「お茶会」、曜日や時刻を指定した「相談所」の運用を設置し「傾聴」や、「巡回訪問」などを立ち上げる。ここで注意したい担当者は、土地勘があり、直接利害のない隣町の民生委員や自治会役員や職業・宗教・政治的目的の無い立候補者が活動を支えるが、解決力よりも長期寄り添うフレンドリーな視線を保ていることに価値がある。

一見、暇つぶしに見える「お茶会」などの活動でも、担当者は継続的観察の視点を維持できることが望ましい。ここで大事なことは、外部・ケアボランティアの役割をどう分担利用していくかということと、精神医療生活専門職とどう関係をつくるかという、つまりケア全体のコーディネートが運営の鍵になる。この辺は、過去の被災現場体験者の経験を平常時知っておくことが実践力を高めることになる。

今回の事例では、主婦(妻)の方が家族の危機に立ち向かうことになる。4人の介護、孤立の回避という課題だ。個人の力量は超えている。しかしそのことを冷静に判断し、第三者の支援を求めるという決断を誰が行うかだ。寄り添い型支援の「つなぎ屋」とは、協力者を引き寄せ、分担させる仕事のことだが、これはプライバシーに深く関わることだが、関係者の経験として担当者ネットのような形で共有されることが望ましい。なぜなら、寄り添う者もまた、重責の一端を担うことであり、支援者がつぶれてしまうこともあるからだ。

祖母の「誤嚥性肺炎」は、期間を経て誤嚥の結果「肺炎」を引き起こすものであり、食事が取れないという経過で衰弱した体で発症する。容態の詳細は次回に送るが、息子の「クラッシュ症候群」や、娘の「破傷風」、父の「骨折・内臓損傷」ともに重症者は病院の看護キャパシティの限界もあり、複数の病院に散って入院している。入院している期間は医療関係者に任せざるを得ないが、容態情報は復活した電話網やインターネット網を通じ、妻のもとに伝えられることが望ましい。病院のケースワーカーさんの尽力する場面だが、現実にはこの情報さえもとどかないことが多い。ここには、薬の仲介ボランティアが情報仲介も支える新たなボランティアが考えられるが、法的な問題や、プライバシー保護の壁を越えるという難題を抱えており、自治体や病院の非常勤職員のような形で、支えて行くことが現実的だろう。

(つづく)

---------

連日墓参は夜型生活の私にとっては堪えるものだった。睡眠不足である。自宅はエアコンがなくて地獄。ネットカフェで仮眠をとってきた。

今日はビッグイシューの発売日であり、ビッグイシューの購入ついでに寿町のお盆を見てきた。年末の越冬支援のときは、寄付してくるが、今回はお客さま。中央のビッグイシューのボランティアの++さんに出会い、雑談。横浜経由で帰ってきた。

県サポの県立図書館ポストに「災害時における高齢者・障がい者支援に関する課題」を返してきた。日弁連のまとまった書である。

疲れていたので、夕食は弁当。母も弁当を買ってきて二重になる。母との朝の確認で、夕食は私に任せると確認したが、母には家事を仕切っていた主婦の意地が残っている。なにをどう確認しても、思いつきで買い物に走り自己主張する。だから高齢者は面倒だと、つい。疲れているとゆとりが無くなる。両手で万歳。先に白旗を振った。

●「いのちの砦―「釜石方式」に訊け 釜石医師会医療継続に捧げた医師たちの93日間」

続きを読んでいる。たて1行が中央がかすんで見失う。視野中央が網膜損傷しているからだ。読むこと自身が労力がいるようになってきた。拡大読書機の必要を感じる。適切な機種に出会えるといいのだが。

夜間傾聴>大森海岸君(なんとも久しぶり)
     ひとり

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/14 明日まで1回休みます

2015-08-15 03:56:34 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/14 記
--------------

朝出が続き、ばてています。今回の被災者と医療・保健シリーズを休ませてもらいます。明日から再開します。

引き取り手の無い墓の処分の様子を見ました。合同墓に永代供養されるのですが、見たのは墓石の撤去です。なにも人の目の多いお盆にやらなくてもと思うのですが、墓参に来た方がじっと見ていました。江戸時代からの墓があるところです。

帰りに糖尿病の薬を受け取り、ビニ袋さげて買い物というのは、高齢者陣営だなと思いつつ、がらんとすいた路線バスに乗って帰宅。休日はなんとも精神衛生上いけません。

●「いのちの砦―「釜石方式」に訊け 釜石医師会医療継続に捧げた医師たちの93日間」

をつまみ読み中。まもなく夜間傾聴待機終了時刻なので、回線遮断セットして寝ます。では。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/13 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(7)他

2015-08-14 05:55:58 | 地震津波災害ボランティア

祖母と嫁さんは、高台の高校体育館の避難所の一角に、居場所をを確保した。数百人が1つのフロアを利用する大規模避難所だ。避難所には公民館の大広間を利用した数十人規模の中規模避難所や、寺の宿坊や、学校の教室利用の規模の避難所もある。農家が部屋を開放して作った私設避難所もある。これらの場合は数家族で利用する程度が限度で、小規模避難所と呼ばれる。その避難所の一室の様子の違いが、利用者の健康の質を大きく買えて行く。

病人がいたため、1畳あればいい程度の広さがふたりに与えられた。すし詰め状態であり、夏場なら蒸し風呂状態になっていただろう。プライバシーを守るためのダンボールの壁で仕切ったとしても、逆にこの壁が邪魔になって、トイレや水の確保のために移動するときも、細心の注意を払っても、たてかけた衣類を床に落としてしまうとようなことも、しばしばおきていた。利用者が見知らぬあちこち他地域からの避難者だったこともあり、歩行時、足を救われて転倒せぬように、そして「ダンボール城」の会話もひそひそ話をするなど、なおさらに気の休まるときが無かった。

祖母は津波の汚染水におぼれて助かった経過をたどったこともあり衰弱が激しく、交渉の末、学校の備品の体育用マットを借りることが出来たが、周辺にも体調を崩している方がいるということで、体調の悪化の際は周囲の感染を避ける意味でも、救護所や病院への移動を条件づけられ、数日間の有期限の条件がついていた。救護所や病院は収容人数を超過しており、重症者優先の方針があったため、板ばさみのような状態におかれていた。

この「発症者」ではない「衰弱高齢者」「慢性病者」が、ケア不十分の状態で放置されていたことが、東日本大震災のとき、死者の増大という形で現れ問題化した。過剰入院者数に過労状態にあった看護師・保健師は、地域の巡回ケア担当者の応援に振り向けるわけにもいかず、医療専門職自身の家族も被災しており、疲労は極限に達していた。

医療専門職周辺支援ボランティアの避難所における必要性は、特にこの「衰弱高齢者」「慢性病者」のケアと経過観察にあてられるよう企画していく必要がある。極端にプライバシーに慎重を要する分野だけに、地域医療専門職の助言が必要だ。

東日本大震災のとき、「衰弱高齢者」「慢性病者」が肺炎のような症状で次々に亡くなっていた。これは意外なことが原因になっていた。飲料水が少ないために、歯磨きや口ゆすぎ(口腔清浄)が励行されていなかったため、特に入れ歯をしている高齢者の口の中(口腔)に雑菌が繁殖していたのだった。飲み込む力が弱まっている高齢者は、飲食時、むせて肺のほうに雑菌に汚れた食物のかけらが飛び込み(誤嚥)、体力の落ちている方から肺炎を引き起こしていたのだった。「誤嚥性肺炎」と呼び、高齢者入所施設でも、入所者が死に至る危険な病いだった。

この病いは歯科医師会では常識として、予防措置を行ってきたが、一般の医師会の方では、徹していなかったという経過があり、従来は汚染水を誤飲したことによりラジオネラ菌感染症という、一見風邪のような感染症に目が向いていた。ところが気仙沼市の調査から、口腔清浄不足が原因の誤嚥性肺炎が被災者の重症化例に頻繁に見られることがわかってきた。

誤嚥は咳き込むことが多く、これが原因で食事が取れなくなることで衰弱し発症するという蟻地獄の壁面のような循環が待っている。根気強いケアが必要で、発災数日後、自衛隊やDMATなど災害医療医師チームが入るが、予防措置までは手が回らない。家族の「介護者がちょっと席をはずせるケア」の補助活動が必要になる。

●「東日本大震災後に気仙沼市内で発生した肺炎アウトブレイクの実態調査」気仙沼市立病院・埼玉医科大学国際医療センター/助教 大東久佳氏
●「東日本大震災の教訓から次に備える震災後の肺炎アウトブレイクを防ぐために」大東久佳氏
●「被災地におけるレジオネラ症について」国立感染症研究所細菌第一部・感染症情報センター


-------

墓参一日目。雨の天気予報がはずれて、なんとか済ませてきた。親戚筋も途絶え、墓参者は母と私と弟夫婦。日が重なり弟夫婦がこないので、母の体調次第で私ひとり。いつか母を送ることになる。花を供えても言うことなし。心霊写真でも出てこいよと、ばかな独り言を言って墓を撮影。母の土産にした。

神戸に行って来ると墓につぶやき、墓地を後にした。死者との対話ではなく、生ある者との実のある対話が欲しいと思う。贅沢ではあるが。

明日がもう一箇所。なんともはや。

時間切れ。


夜間傾聴>ふたり


(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/12 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(6)他

2015-08-13 05:43:56 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/12 記
--------------
(つづきより)

被災翌日、津波の引いた中学校の校庭は瓦礫の山だった。大人たちが校庭までの道作りを始めていた。教員の指示で、傷病を抱えていない生徒は、その作業を手伝った。教員は家族の消息確認に追われていた。娘は瓦礫撤去の作業を手伝っている最中、近所のおじさんに会った。おじさんの情報から、父親が入院したことを聞き、教員の許可を得て、そのおじさんに付き添ってもらい病院に向かった。靴が片方なくなっていたので、サンダルをもらい、不安定な足取りでなんとか病院にたどり着いた。

父と再会できたが、父をこのままにしておくわけにいかず、泊り込んで見守ることにした。父の看病をしていれば、家族が来るだろうと思っていた。

ところが母親は別の病院で祖母の回復に専念しており、病院をたどって、家族が来るだろうと想像していた。

被災3日後、異様に首筋が凝る感じで仮眠から目覚めた。口をゆすごうとしたとき、口をあけると首筋の鈍い痛みを感じた。身体もだるい。仮眠の姿勢が悪かったものと考えていた。昼過ぎ、やっと携帯電話回線がつながるようになり、娘は母と連絡をとることができた。しかし、会話に異常が出た。話がもつれてしまうのだ。父の看護に回ってきた看護師さんに、父が点滴の針の部分を痒がっているようだと伝えようとして、話がもつれたことに看護師が気がついた。すぐにバイタル測定を受け、熱が出ていることを確認し、医師を呼びに行った。

看護師は「破傷風」を疑ったのだった。娘は至急検査をうけ、ドクターヘリで、抗破傷風免疫グロブリン製剤のある病院に移送し、救急治療を受けることになった。冬場だが足の傷から、菌に感染したものと思われた。破傷風は発症後の死亡率が50%と高い。破傷風の発症率は低いが、特に夏場、瓦礫の汚れた場所で傷を負うと発症することがある。潜伏期間が3日~3週間。激しい痙攣を起こし死に至るが、意識混濁がないために、死に至るまで苦痛を味わう。人から人へ伝染はしない。

東日本大震災のとき、破傷風が増えなかった理由は、津波にさらされた汚泥の分析や、冬の終わりだったために、危険個所への軽装の活動が抑制されていたためとか、様々な話を聞くが、罹患率が高くは無いが、依然として危険性は変わらない。早期治療が鍵だが、ワクチンの効果が高い病気なので、平常時、接種が望ましい。

幸い娘は病室内という環境で医療関係者の目があったから、早期治療に結びついた。肩の凝り・口腔の硬直・もつれは、その初期症状。(牙関緊急)薬剤が整わないことも多いので、病院を選ぶ。救急救命士に上記の症状が出ているときは、必ず伝えること。

娘の移送先は、祖母の治療を行っている病院だった。看護師から、母親と連絡が取れた。娘の病状は一進一退を繰り返していた。

(つづく)

---------

母がお盆前最期のリハにでかけ、私は目薬をもらいに慈恵医大に行っていた。明日と明後日は墓参。今年は神戸行があるので、遠出なし。福島大の引きこもり関係の会合と自閉症関係の会合は、申し込まなかった。来年春の定年退職がカウント・ダウンが始まったように感じて、物事を絞り始めているのを感じふんばってみる。

時間切れ

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/11 想定例を書くにあたって、心に留め置いていること

2015-08-12 16:26:47 | 地震津波災害ボランティア

(ご挨拶)

具体例を想定して、疾病を医療専門職支援の立場から語るというほう方法をたてたけれど、例に近い実際の方のイメージがあるので、これでいいのだろうかという疑問が沸いてきています。

一方で、特に慢性期に入った状況などは、日常の価値観に埋れて、その影に押しやられてみえにくくなっている事態は、具体化説明が必要だとも感じます。

したがって、その想定事例も、いたずらに誇張やごまかしをせず、症状理解に必要な部分をできるだけ事例を絞り込み、語るように注意します。不快な思いをされる方もいらっしゃるかと思いますが、傷病名羅列では伝わらないことや、医療専門職周辺支援の必要性を場面の中に明らかにするという目的をもたせ、語っていきますが、躊躇する場面も出てくることをご了解下さい。

飛田

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/11 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(5)/「そのとき、被災障害者は…」他

2015-08-12 04:53:43 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/11 記
--------------

(つづきから)

作業所倒壊の建物から救出された長男は、数分後、急に意識をうしない、トリアージの赤タグを貼られ、気道確保と身体を揺すらないように指示をうけて、大混雑を起こしている病院に救急搬送された。

状況説明を受けながら、医師は点滴をしつつ、偶然生き残ったMRIに長男をかけた。意識レベルは200。意識は無いがかろうじて、刺激に反応していた。

診断は「クラッシュ症候群」。2時間以上倒壊物などに挟まれて、主に四肢の血流が疎外されていたとき、救出時、解放された患部から、血栓と毒素が全身に流れ込み、血栓症や急性中毒症状を起こす。血栓移動を誘発せぬように身体の震動を避けた。体位変更も慎重を要する。迅速な救急治療が必要で、個人医院では対応できないこともあるので搬送先に注意が必要。

また、倒壊した建物に挟まれた者は、骨折や脳出血、内臓を損傷している場合もあり、意識の有無に関わらず慎重な対応が望まれる。必ず、気道を確保(呼吸を保持する)し、水を求められても与えない。

医師・看護師・救急救命士に迅速に引き渡す必要があるが、医療関係者に至急連絡を取ることと、救急医療関係者到着までの救急法対応、邪魔にならぬ範囲での搬送の手伝い、周辺の身元を明らかにしそうな所持品確保と、現場状況説明、気付く範囲の症状変化メモを作り、家族または記録者がひとり同行し、報告する。処置後、家族と患者の出会いを取り結ぶ仲介者になる。医療関係者は、ここまで対応できないからだ。救護所・避難所などの行政職員に、「患者名と入院先、担当した看護師名、わかる範囲の家族の連絡法」を必ずメモして引き継ぐ。看護師名は、処置後転院の可能性もあるので、仲介者を押さえておくのだ。

この事例の家族は、それぞれに被災しており、家族が再会するのに時間がかかる。家族の複数が搬送先が違う場合もあり、再会に手間がかかることが多い。その捜索の手がかりを作っておくことを現場協力者は意識しておくといい。

静岡県で行われている「市民トリアージ表」が参考になる。持ち歩いておくといい。

(つづく)

--------

お盆休みに入ってしまうので、まず西早稲田に向かう。こちらはアウト。製品に出会うことができず、視覚機器仲介の某眼球店に行き相談。機種寸法のモデルを我が家でつくり、試してはどうかと勧められた。準備機種は2種類だが、私の指定した機種は、納期が9月になるとのことで、得失を相談したが、10月の可搬型(折りたためるが大きい)まで待つのも選択肢となり、いずれにせよ、お盆あけにならないと身動きがとれないので、その後FAXで注文を出すことに。

放置していると、いうことを聞かず、母がひとりの時に入浴してしまうので新宿紀伊国屋で在庫取りおきしてもらった書籍を抱え、急ぎ辻堂に戻った。

推薦書籍:●「そのとき、被災障害者は…」


今夜は糖尿病食のような…。
母、仏頂面。

夜間傾聴>**(ナース志向からPT志向へ?)

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/10 避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(4)/拡大読書機機種選択の話 他

2015-08-11 05:26:47 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/10 記
--------------

(前回の被災家族の仮想事例より)

 祖母はずぶぬれ、急の津波に溺れたがビルの屋上の応急手当で水を吐き、一命を取り留めた。かろうじて完全水没を免れた下階から持ってきたタオルで妻が身体を拭き、毛布にくるんだ。日が落ち気温は3℃まで下がり雨が降り始めた。流された夫とご近所さんは行方不明となった。逃げ場の無い屋外で妻と祖母は、びしょぬれとなり、朝を迎えた。

 夜が明けて、昼前に救助ヘリコプターに救助され、避難所に隣接した自衛隊の救護所に、ふたりは収容された。

 作業所にいた障がいを抱えた息子は、古い建物の倒壊に巻き込まれ、がれきの下敷きになったが、命はとりとめた。しかし倒れた機材に足を太ももから挟まれて、身動きが取れなかった。夜が明け、救援者に救われたが、数分後、意識を失った。

 中学生の娘は学校にいた。周辺の海抜がた低く、道路もがれきに埋まって、中学校は孤島のようになっていたが、校庭にいた数名は行方不明だが、屋上の満員の中学生は全員無事だったが、娘は瓦礫に汚れた津波から自力で脱出していたが、足に怪我をしており、寒気に耐えていた。

 行方不明になっていた夫は、心肺停止状態で救助され、病院で挿管手術を受け、一夜生死の境をさまよっていた。流木に胸を強打、肋骨が折れ骨が内臓に刺さっており、順待ちの苦しみを味わい、日没に手術を受けた。

 こうして4人の家族は命はとりとめたものの、全員負傷して夜を明かしていた。

(すでに、この中にいくつもの危険が埋め込まれている。次回は、彼らは出会い、避難所生活が始まる。)(つづく)

---------

拡大読書機の仲介販売眼鏡店に頼んだ折りたたみ卓上型の機種は、新商品で10月発売。据え置き型にしないかと連絡がはいった。その機種が置ける唯一の我が家の場所は、離れとなる。しかし私は毎夜夜明けまで作業や傾聴を行っており、ご近所さんとタイピング音でトラブルが起きており、薄い壁の向こうに音は筒抜け。やはり「折りたたみ」と収納が必須条件。

ハンデ型とPCモニターの組み合わせは、ハンデ型19万8千円と、暴利のように思えてならない。

この型式が決まらないと、市役所の申請が通らないので、お盆休み前に眼鏡店のショールームに出かけることになった。いずれにせよ、認可の時間もあるので、機器導入は9月になる。

障害者手帳(視覚障がい)は以前のままだ。

-----------

ショールームに行く際に、西早稲田に相談に行くが、まもなくお盆休みに入るので、日が無い。少々焦っている。

夜間傾聴>**子

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/9やまびこ講演会に参加/避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(3)他

2015-08-10 06:01:36 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/09 記
--------------

日本感染症学会のHPの中に「東日本大震災-地震・津波後に問題となる感染症-Ver,02」という記事がある。病棟から搬送された後の、集団生活が始まって以降の疾病を検討している。

ここでは移動ストレスから

●持病・治療中疾病の悪化・妊娠不安定化

●感染症の発生と深刻化

が問題になる。

都市型の具体例を使って考えよう。

木造モルタル3階建てマンションに、父方の祖母(80)・夫婦(50代)・子どもふたりの5人家族で住んでいる。上の兄(20)は中度の自閉症があり、下の女の子は、来年高校生になる。祖母は軽度の骨粗しょう症があり、杖をついており、長い距離は歩けない。夫は車通勤の自営業で、出勤が早い。妻は事故の後遺症で左手に力が入らないが、健康である。娘は健康だが、受験を控えて気分が不安定だ。

地震は昼前に起こった。震度6強。20分後には高さ10m弱の津波が来るというので、すぐに避難することに。妻は祖母の通院補助で、病院におり、携帯が通じないので、地元指定避難所まで移るのに、タクシーを待つが一向に来ないので、ご近所の知り合いの車に便乗させてもらって、一度家に戻った。通帳など大切なものをかき集め、外にでたところで、夫の車が到着。夫婦は祖母を乗せて、作業所にいる長男を迎えにでようとして、渋滞に巻き込まれた。そこに津波が押し寄せた。

車を捨て、祖母を脇のビルの屋上に押し上げた。夫は逃げ遅れて電柱にしがみついている方を助けに行って、ふたりとも流れに巻き込まれた。 (つづく)

--------------------------

やまびこ主催の「お金をめぐる課題と支援を考える/江國泰介氏」に参加した。自閉症児者の親御さんの会なので、理解の特性にあわせ、社会的な場面から定型的な取り出しをして習得させる「構造化」が意識されていた。

青年期の自立課題(放置準備にあらず)と取り組み、制度利用についてと、内容が豊富な講演だった。実践的なので面白かったのだが、ふと寂しくなった。

「東北の被災障がい者」
「湘南の防災」

という課題は、潜在的な危険性が高まっているにも関わらず、被災の想像力が共有できないという、緊急性の欠如の現状がある。それは震災発生頻度から、平常性バイアスがかかる。緊急性を感じないのだ。防災活動も身体障がいの場合などは、避難の困難さが容易に想像がつくが、知的障がいや、発達障がい・精神障がいの場合は、避難は偶然に委ねるイメージになっている。防災活動が避難訓練と救急法習得で終わる場合が圧倒的なため、市民は防災活動が避難所生活以後におよぶことに気がつかない。福祉避難所が貧弱であり、一般避難所生活では、暮らせないことに思い至らない。ここのモデル化は、当分単独活動になるだろう。

---------

お盆休みに入ったせいか、惣菜の種類が少なく、穴子を卵でとじて、母の暑気払いとした。半分残したが新香ばかりを食べて、口がまずいのが見て取れる。

自分で洗濯したが、掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)があるので、手袋着用で、洗っているので、気が疲れるという。

早めに寝かせたが、私が深夜作業している関係で、隣の部屋からごとごとと音がしていて、熟睡していない。困っている。睡眠導入剤を飲ませたのだが。

明日は筑波大の研究会を覘いてくる。露骨に遅刻だが。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/8 災害弱者支援と防災の立脚点について 他

2015-08-09 05:51:35 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/08 記
--------------
塾長がネパールにいくことが決まり、教室から姿を消した。奥さんが切り盛りしているが、来週いっぱい夏休みなので助かったと電話がかかってきた。その電話の中で、雑談は医療福祉系災害ボランティアの立脚点について話が及んだ。

赤十字的博愛精神という話ではなく、ミッション、何を見つめているのかという話だった。要するに私が行っている災害ボランティアの狙いについてだった。

確かに私は高齢者だらけの家庭で介護の一翼を担ってきた。私自身病弱で呼吸器疾患でせいで、子どものころひととことなる生死の淵をくぐってきた。そのことから、人の命と、十全たる生にこだわるがゆえの孤立を味わってきた。そういう意味で、自営業としての私塾とか、社会的弱者への共感と諸活動という既存コミュニティに属さぬ生き方をしてきた。だからバウンダリーの領域の障がい困難を抱える既存組織活動にはしっくりいかない青少年への共感なり、必要にかられるような意味での高齢者生活支援なりを自分ではひとつのこととして、考えていた。

しかし、塾長の奥さんの指摘するように、他者からは「教育活動」・「障がい者支援(就労・災害ボラ)」・「高齢者支援(災害ボラ・路上生活者支援)」は別々のもので、他の領域のことは平常、興味ないものだという指摘があった。本当にここ十年の間に手帳を持たないボーダーの青少年たちが、発達障がいのくくりの中で、ふところ広く受け入れられるようになってきたが、私が不登校・引きこもりの中の心身の困難を抱える青少年と活動してきた経過では、いわゆる手帳のある方の活動との活動は、全く行き来のないものだった。不登校・引きこもり領域の活動からは、障がい者の活動は別物で、いっしょくたにしないで欲しいという差別的応答も公然とまかり通っていた。逆もまた、障がいの困難の種別によって、全く別個の活動が進行しており、周辺領域との接点や横断的な関わりをもとめることは、理解されなかった。

その意味で、3.11ショックは私にとって大きかった。災害ボランティアは、私が名づけた第一の波「いのちの危機」を基準に「自分の出来る範囲で『お手伝い』する」という関わりが拡がった。しかしそれは支援者の心の中の共感の基いを問うものではなく、今を充実させるためにかかわるというものだった。内的な根拠を求めるベクトルは弱いという意味で、被災者を一律にくくってしまう難を感じていた。

健常者の影に、いつも沈黙の災害弱者がいること。私が言う「第二の波」・「無理解と差別」の波を意識化している支援活動をどう進めて行くかという意味で、障がい者・高齢者を中心にした災害弱者支援(防災を含む)と、一度社会から切り離された青少年に被災弱者支援活動に、社会的な仕事と居場所を提供するフィールドを考えるという二重化した活動を提供している。奥さんのイメージしている「『いのちの危機』脱出への『お手伝い』」という線とも違う活動は、ベクトルが違うのでわかりにくいだろうと思う。「医療と生活支援は専門家に任せて」という発想ではなく、圧倒的に不足する、特に「災害弱者」への支援は、専門職と当事者家族に切り捨ててはならず、むしろ周辺協力の形作りを行うべきと考えている。その出発点の形をつくることが私のミッションだと思う。

奥さんは、私の活動が「ヒューマニズムの体現」が目的ではないということに戸惑っていた。http://www.asahi.com/

先ずは、災害から何とか避難所にたどり着いたところから、そこかしこにおきる問題の中から、活動の形を切り出して行く。そのために、手始めにハイ・ストレスと感染症の切り口から話を始めて行くが、実のことを言えば、阪神訪問を前に、テーマをクリアにしておきたいという内情もある。

奥さんとの電話では話さなかったが、都市型の障がい者被災のデータが、阪神淡路大震災は20年前のこともあり、さぐる手立てが無くて困っている。被災高齢者の課題のほうは現在に続く課題を抱えており、それなりの接点は見出しているが、障がい者の方は、歴史ある関係施設の職員にあたる以外手がかりが無い。「施設避難と生活再建」の都市的な特徴を踏まえた課題が出てこないか探っているところでもある。

--------

水曜日に東京の通夜に出かけた母の体調がよくない。東海道線の往復の席を譲ってもらえなかったことが響いているという。帰りは私と一緒だったが、優先席を小3・5位の子の家族連れが占領していたことを繰り返し愚痴っていたが、家族という聖域にはなかなか立ち入れない。いつもの私なら譲ってほしいというのだが、母が「大丈夫」を繰り返していたので、そのままにしていた。年をとると、翌日ではなく一日おいて疲労が出る。金曜日、疲労を訴えていたが、市内の趣味仲間に通夜のことを伝えたいと出かけた後、夕食を残して寝床に入り、土曜日午前中、かかりつけの地元医のところに行って、帰宅後ずっと寝床に入りっぱなしになった。病気というより疲労。これからもっと、このようなことは頻繁になっていくだろう。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/7 東北☆未来塾・湯浅誠講座/避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(2)

2015-08-08 06:04:37 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/07 記
--------------
まずは、金曜災害ミニ・カフェの話から。

今回は、湯浅誠氏の「コミュニティ講座」第3・4回。

●東北☆未来塾「第3回"見えない線"を探して」
●東北☆未来塾「第4回・最終講義 そしてその先へ」

を取り上げた。岩手県野田村の復興住宅がまもなく完成し、数箇所の集落の仮設の被災者が1箇所にまとまる。従来の顔見知りの仮設コミュニティは復興住宅の新たなコミュニティに再編される。この新規のコミュニティ作りは、昔からの集落コミュニティを引き継いだ仮設コミュニティと異なり、見ず知らずの者を含んでいるという点で、未体験の生活共同体(コミュニティ)作りを経験することになる。そこにどのような問題が生まれてくるか、その不安に直面している。

それぞれの仮設自治会(コミュニティ)が、こういう課題を抱えながら、なかなかまとまった準備に入れない、それはなぜか、そしてどのように新規コミュニティへと現行コミュニティを移行させるか、こういう課題に取り組んでいく、それが湯浅誠氏の講座だ。

東北の大学生チームは第1・2回で、地元被災者のインタビューをしつつ、問題を洗い出そうとするが、何が問題になっているか自身が見えない。

ただ、ここで湯浅氏のいう「コミュニティ」が、どうも当人の解説の中でもすっきりしないというか、定義が違うのではないかと思えるのだ。

湯浅氏にとってコミュニティとは「差異を踏み越えて共同活動する実践集団」ととらえられているように思う。湯浅氏の「見えない線を越える」とは、「個々人が抱える差異と矛盾を超えること」になっている。しかし生活を共にする共同体とは、「目的に統合されていく実践集団」なのだろうか。

当人の意思と関係なく誕生と同時に所属の烙印が押され、共通の文化のもとで生活を送るという生活共同体の基底、バックグラウンドの「個人」という闇の部分が見えていない。所属が個人に超越して張り付いているように、それが断ち切られる不安につながっており、「個々人が抱える差異と矛盾」という、動くからこそ直面する課題と同時に、「所属」というパスポートが無効になる、いわばやってくる矛盾と不安が先を覆い隠している基底部を可視化する作業を含んでいる。野球チームのような集団として生活共同体(コミュニティ)を論じれば、指の間から砂は落ちて行く。

湯浅氏の「見えない線」を見るという課題はシャープなのだ。しかし、相手は「鵺(ぬえ)」である。

大学生たちは、被災者ひとりひとりの気持ちを探ろうとして、建前の壁にぶつかる。例えば、皆でいく旅行を集合の時間と場所まで、皆で決定したとしよう。ところが当日、集合場所には誰も来なかった…、これはなぜかと問うように、コミュニティの層は個人の闇の中に拡散して、一向に見えてこない。

そういう不合理なこと自身、大学生チームには存在自体がわからない。「見えない線」とはなにかということ、それをなぜ課題化されているか、つまり自分のやっていること自身が見えていない。それは無残なほどだ。

結局、インタビューをまとめて、自治活動に参加しない家族が、どのような葛藤を経て、参加の一歩を踏み出しているかという現状の代弁を、自治会関係者にプレゼンして終わって行く。そのプレゼンの残す余波に無頓着なまま、1年後に再会しようという話で終わってしまう。

大学生にはなぜ「見えない線」が見えないのか。一般には「社会経験」不足として言われるが、社会経験を積んだ高齢の方に可視化できるのか。そこを見て行く切り口が「個々人が抱える差異と矛盾を超えること」という部分にフォーカスすることだ。

このドキュメントを見ていて、無理に回数を重ねていっても、観察という「外在的な視野」から、課題がとられられるだろうか。「漠とした不安」という層の存在から堀り起こせないだろうか。「案ずるより産むが易し」という爆弾もまたあるのだが。

----------

次に、「避難所・仮設生活する期間の災害弱者の健康」という課題を吟味し、阪神巡回して懇話会ゲストを求める基準をはっきりさせるという中途半端な準備作業なのだが、今回はとくに「被災高齢者」に重点を置いた作業になる。このケアの仕事のどの部分が、災害弱者の保護となり、医療関係者の支援が成り立つかという篩(ふるい)は常に携帯している。

まずは基本資料から。

●「東日本大震災-地震・津波後に問題となる感染症/日本感染症学会」
●「被災地におけるレジオネラ症について/国立感染症研究所感染症情報センター」
●「東日本大震災後に気仙沼市内で発生した肺炎アウトブレイクの実態調査」

時間切れ

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/6 阪神の候補決定/避難所・地域における急性期と治療支援&保健活動を切り出す(1)

2015-08-07 05:28:44 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/06 記
--------------
問い合わせメールを出した他のところ全てに電話をかけた。すべて「メールのことを知っている者が今いないので」という形で応答を避けた。常套句である。これで訪問先の順序が決まった。日程が決まり次第、懇話会のゲスト候補捜しに入る。

今回、「震災医療 現場からの報告と提言」の甲南病院の診療記録から、発災4日目からの闇の部分が他の医療機関にも通じる内容なので、視座を避難所と地域に戻したとき、「被災者としての私達」が、ケア・ボランティアとして、なしうることを改めて考えていくことにした。「治療補助」という風に狭義に発想するのではなく、心身の危機と生活の困難に寄り添う医療・生活補助活動と考える、定義が広いのだ。

発災時の外傷以外にも、被災時のストレスや汚濁液を飲み込むなどの後遺症や風邪、不眠からくる諸疾患等、時間軸に沿って整理してみる。病院外来から治療の主戦場は避難所や地域に移り、医療関係者は限界に達し、このころから外部の医療関係者や自衛隊の活動が入ってくる。治療そのものには、臨時の医療補助だが、周辺的な保健活動が出てくる。また避難所に入れない被災者への支援もはいってくる。

これから数回、ティーンズや若年者の出番にアクセントをおいて現場の活動を考えてみる。

なお、以下のTV再放送は是非、ご覧下さい。多様な要請に寄り添う例が描かれています。

8月9日 BS1 04:10~04:41
●TOMORROW「女が安心できる避難所運営」

宮城県亘理町亘理小学校避難所の先進事例も紹介されます。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/5 品川から/避難所保健の山場から

2015-08-06 05:56:38 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/05 記
--------------
母の趣味の大御所が亡くなり、今日が通夜だとのことで、お別れをしてくると母が出かけてしまった。母の体調があまりよくないので、帰りに母を品川まで迎えにいくことになった。橋本の個人指導を済ませてまわると、時刻がぎりぎり。新宿経由が速いので、一番変更を嫌うアスペの##君を説得して、早めに切り上げて品川に向かった。今回のつけは大きい。

約束のパン屋に到着すると、もうひとりの背筋の伸びた女性が母と話をしていた。挨拶すると、やはり趣味の世界では第一人者の%%さんだった。雑談後、母を連れて帰ったのだが、母が異様に元気なのが気になった。東海道線は品川からでは絶対に座れない。その疲れが重なり、玄関で母が座り混んだまま立てなくなった。優先席には小5と小3の子が座っており、その前に両親が立っていた。先ず席は譲ってもらえない。子の教育うんぬんはあえていわないが、足元がふらつく者が目の前に立っていて、全く気がつかない感性がいやだった。こういうとき、私はあえて子どもに問いかける。親が怒り出すのもいる。でも判断して欲しいから言う。しかしその気配を母が察知。やるなと合図を送ってきた。煮え切らないものを残して帰宅したのだった。

足のつり防止の芍薬甘草湯を母に飲ませ、座布団を持って行き、しばらく休ませていたら、眠ってしまった。無理が行かなくなっているのを感じた。

帰りに茅ヶ崎駅ビル6Fの中華料理店で食事を済ませて帰ったので、夕食の手間はなかったが、これからこういう事態が増えてくる。信用を失わない仕事を続けていくには、手配を考えておかなくてはならないなと、ぶつぶつ独り言を言っていた。

--------

後期の夏期講習日程が送られてきた。ここをすり抜け、お盆の時期を避けるとなると、神戸行は9月にもつれこむのが決定的になった。メール攻勢は短期決戦になる。

昨日の救急外来の「なぎ」の期間、それは避難所ではケア関係者の地獄だ。慢性疾患を抱える方の体調悪化が起こる。緊張がほどけて、腎臓や消化器疾患が急増する。トイレの我慢の影響や、不眠の影響がのしかかる。もう少しすると、嚥下障害から肺炎が出たり、透析患者の異常が出てくる。救急外来から避難所へと危機の場が移動してくるのだ。このサイクルを意識して防災を行う必要がある。この場面で、ボランティアの仕事をいかに切り出してくるか。

--------
今日、「TOMORROW 女性が安心でいる避難所運営」(BS1)が放送された。再放送されたら是非観て欲しい番組だ。避難所運営に必ず女性スタッフがいるという話だ。

再び、時間切れ。

夜間傾聴>##君
     ふたり

(今夜は盛況)

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/4 阪神巡回の下準備資料を読む/甲南病院レポート他

2015-08-05 06:09:25 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/04 記
--------------
塾長の奥さんから電話が入った。先日の日曜日に、皆で恒例の高尾山に行ったという。そこまではよかったのだが、翌日から塾長が消えたというのだ。前にも何回か同じようなことがあって、そういうときは、塾長は、奥さんに黙ってフィリピンに出かけていた。ところが今回は、ネパールのような気がしてならないというのだ。塾は、今年、大学受験する高校卒業資格認定試験受験者が少ない。全体の人数がジリ貧であるが、今回は台風の眼のようにポコっと喧騒が小休止したような状態だったから、あやしいなと思っていたという。ともあれ、今日だけ手伝ってという連絡だった。南橋本から車で送迎してくれるという待遇のよさに、つい引き受けてしまった。

下溝を過ぎたころ、携帯が鳴った。いやな勘は当たった。塾長が戻ってきた。ネパールに行くので準備に奔走していたというのだ。無駄足も癪にさわるので今回有給とし、ネパール支援は手伝わないぞと文句を言った。支援をするなら、横浜の老舗団体の応援をする。そういう意味だ。

ビッグイシューを1冊配達し、蒸し暑い我が家に戻ってきた。啖呵を切った以上、この給与分は阪神巡回の交通費の一部になりそうだ。

生業が皆、休みなので、今日の作業は、昨日収集してきた資料のコピーつまみ食いメモ作りと、「震災医療 現場からの報告と提言」の「甲南病院」の医療関係者側の被災体験談チェック。NHK「東北発☆未来塾『しらい校長の“スマイル”授業 震災から発達障害の子どもを救うために」しらい校長の“スマイル”授業 子どもたちを包む空気 あったかいんだから~』」の感想メモ作りだ。

忘れないうちに書いておくと

●「東北発☆未来塾『しらい校長の“スマイル”授業 震災から発達障害の子どもを救うために』」

に続く前半部だ。

-------

「震災医療 現場からの報告と提言」は、急性期の病院側、医療関係者を統括した老籾宗忠元病院長の採った記録である。発災時の民間救急病院の混乱の様子が具体的にわかる。今回の阪神巡回では、打診メールに応答がなかったところだ。だが、マイナンバー実施前の年金機構の個人情報流出から,話が複雑になった個人医療情報QRカードや、市の協働アイデア募集に評価を受けた「市民トリアージ」提唱にあたって、急性期の医療現場の具体例を検証する必要を感じていたので、参考になるレポートだった。

例えば、発災数日は大混乱が続いていくが、その直後、急に外来患者が来なくなる現象(p.24 1月23日以降の病院の状況)などは、射程に入っていなかった。この時期は避難所に治療の比重が移る場面なのだ。様々な要因が見えてくるが、避難所の看護が緊張のピークを迎える。また、災害救急治療は民間救急病院の経営にどのような影響を与えるかという話は、公立病院との立場の違い(p.26)などが見えてくる。つまり、発災時の医療現場の細部が見えてくるのだ。

--------

話は変わるが「東北発☆未来塾『しらい校長の“スマイル”授業 震災から発達障害の子どもを救うために」しらい校長の“スマイル”授業 子どもたちを包む空気 あったかいんだから~』」は、不登校・ひきこもりや、対人関係に困難を抱える発達障がいの子たちの居場所を運営している白井さんが、東北被災地の大学生に、交流体験を仕掛けるというものだ。

私のフィールドと似ているが、私は被災者支援が.引きこもり青年の人生観に影響を及ぼす「災害ユートピア」の力を組み込んで、社会的な役割を見つけ出そうとするものだが、白井氏の試みは、不登校・ひきこもり・発達障がいの子の課題を、東北の大学生に見せるというもので、少々がっかりしている。

目標は学校に返すことを社会参加と呼んでいるのも抵抗がある。現代教育の質的な問題をつきつめていない。社会人になって、解決力を持つための就労というといかけからすれば、今の社会は所属からはずれた者の道を認めるほど寛容ではないことを前提にすれば、進学と就労は重要だが、障がい者運動から問われる「生きていることの価値」という地平からは、ひとを問いながら、不登校・引きこもりの問いかけに答えていないということにもなる。次回の番組を観てから、再度考える。

時間切れ。

夜間傾聴>開店休業

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/3 懇話会ゲスト探し資料チェックに 他

2015-08-04 05:16:25 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/03 記
--------------
事前に資料の所在を調べた上の図書館訪問だったから、効率よく調べられるものと思い込んで、某大図書館に行ったが、とんでもない、研究者用カードが期限切れで更新手続きに、身分証明書を持っていかなかったので、大騒ぎ。結局身体障害者手帳で通してもらった。しかし言っては何だが、カードはそのまま、原簿が更新しただけ。ケチだなあと思いつつ…。

資料は単行本ではないものが多く、冊子を束ねてある中から探し出す。しかもその冊子の一部が目的論文だ。しかも雑な話だが資料の吟味というより、著者・記載関係者を選び出して、論文の中から、その方の現場の仕事を探って行く。邪道といえば邪道だが、逆に全文読み取りしているわけではないので速い。

所蔵資料は案外少なく3点のみ。すでに探っていた人ばかり。しかし目的はもうひとつあった。ここの図書館を中継して、関西系の図書館2館から資料コピーを依頼する。しかしページ数が多いので、出費がかさむ。夏休み中でもあるので、取り寄せに時間がかかる。到着時に連絡してくれる。複写防止のため、電子データで提供はしないという。

帰りは異様に乗り継ぎがよく、市社協の時間内にすべりこんでビッグイシューを配達。サポセンにも寄る事ができた。急ぎ駅前で買出しをして帰宅。専用携帯に何通もの留守電あり。何と帰りに立ち寄ったなか卯にカードを落としたとのことで、そこに記されていた教室に電話が行ったとの話。なか卯に連絡をいれて、明日上取りに行くことに。相模大野校のパスだった。何か失態を起こす癖、暑さで加速か。

今日の朝日新聞のトップに「原発避難計画、半数が未整備 周辺の医療機関と社福施設」「(再稼働を問う)原発避難、動けない 川内原発・東海第二・泊原発」が取り上げられていた。(記事のリンクは、朝日の登録者用なので、通らない方は、asahi.com HPから、見出し検索してください。)原発事故対策という枠のアンケートだが、社福施設等の防災避難計画の寒々しい実態が浮かんでくる。推して然り。私の提案や調査等も、届かない状況であることは覚悟しておかなくてはならない。

夜間傾聴>ひとり
(人数、戻ってしまった…)

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/2 文書資料から懇話会ゲスト候補を搾り出す 他

2015-08-03 05:22:11 | 地震津波災害ボランティア

2015/08/02 記
--------------
某医療福祉系大学の図書館に資料閲覧の仲介依頼またはコピー依頼をしに行く予定でいた。日曜日開館が気になってHPを調べたら休館になっていた。無駄足をするところだった。改めてJR相模原の塾に行く前に、明日立ち寄る。

資料は、神戸に出かけるか、国会図書館を探らないと出てこない。気になっている資料を2つほどあげると…

●「災害時の保健活動報告集 : 阪神・淡路大震災から20年間の保健活動 : 阪神・淡路大震災20年事業 no1」
阪神・淡路大震災伝承事業実行委員会
2015.3

●「阪神淡路大震災研究集録 : 在宅高齢者の被災後の生活状況をいかに理解するか」
神戸大学医学部保健学科高齢者震災研究グループ
1997.9


などだ。この他にも、もっと地域範囲の広いものやら、関係団体の大会資料などがある。現在も活動継続している団体や、記載されている執筆者などから、懇話会ゲスト候補を決めて行く。大概は有料部分コピーを仲介してもらうが、中には先方から資料を借りて、取り寄せ側図書館内限定の閲覧が出来るものもある。

今のところ3+1名に絞っているが、前回の赤十字調査依頼のときのように、保育の担当者だったというような食い違いを起こすこともある。保育がいけないのではなくて、この間の懇話会参加者が障がい者・高齢者関係の方ばかりだったからだ。

もし宿泊の金銭的ゆとりができたら、当時の地域災害FMを訪ねてみたい。

--------

ビッグイシュー個人分1冊を配達。釜ヶ崎支援経験者で、現地のつてをひとり教えてもらった。彼自身は10年ほど前の支援者だから、震災体験をしているわけではないが、紹介してもらった方は、当時フードバンク的な内容の戸別訪問活動をしたひとだという。さきほどネット検索をかけたが、何もヒットしなかった。無念。

---------

**子の電話の意味がわかった。横浜アリーナで8/2にライブがあったらしい。横浜は神奈川県だから、茅ヶ崎はすぐそばだと思い込んでいた。東京地付きの方は、三崎も小田原も神奈川県だから近いというような感覚でいるひとがいるので、注意しないとひどい勘違いを生む。

とにかく暑い。我が家は古い和式のぼろ家だから、エアコンが効かない。亡き父が倒れる直前は甲状腺機能亢進症をやって、暑いとわめいて、エアコンをつけたが、それもガス抜けのまま型式が古くなってご臨終状態。もっぱら扇風機に頼っている。なおさらだ。父が棒のように厨房で倒れ、救急車騒ぎをやったときの救急処置をした際の、父の体臭と重さがよみがえってきた。父が亡くなって1年半になる。緊張の糸が切れるというか、手ごたえが突然なくなる喪失感のようなものが、シロアリが柱を食うように感じられる。

8月は、あがいても相手と空転する。単独作業を積み上げて行く。拡大読書機は火曜日に。

夜間傾聴>ひとり

(校正1回目済み)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする