2015/08/22 記
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(前回のつづき)
破傷風の初期のうちに治療を受けることが出来た娘は、発災後3日目にDMATが到着し、ヘリではなく病院の車で陸路を使い、親戚のいる隣接県の病院に移送された。健康回復まで、親戚が世話を引き継ぐことになった。
破傷風発症頻度は、それほど高くはないが、異常を察知し治療をうけるまでの間にすでに重症化していることが多く、潜伏期間が3~21日と幅があり、早期発症者ほど重症化している。今回の事例は発症が速く、破傷風治療経験者の看護師さんがいたので、早期治療に結びつけることが出来たのだ。
娘は中学校校庭に流れ着いた瓦礫撤去に協力し怪我をした。そこから破傷風菌が侵入したと見られる。錆びた古クギなどで負傷したとき感染することがある。日本の場合、被災後の瓦礫撤去に機械や道具を使うことが多く、汚染泥や瓦礫に対する衛生観念があるので、素手の作業や危険個所への立ち入りの可能性が低いが、発達途上国などでは、感染率は比較的高くなる。発症すると治療できる医療機関が少なくなるので、注意が必要。強直性痙攣から呼吸困難を起こし死に至る。
父親の内臓損傷と骨折の場合は、手術の経過を見て、早期転院を求められる。大規模災害のとき、病院のベッドは満床状態が続くため、処置を終えた患者さんは、ヘリなどで被災地周辺の病院に移送される。震災津波の被災では、転落・瓦礫圧傷と骨折・溺水・感電・火傷などが複合して現れる。船上火災被災者のように、流出オイルの発火や、家屋火災の被災者が火傷負傷を負っていた。前者は火傷が瓦礫海水に曝されている。
陸前高田で聞いた話だが、津波の溺死者をひきあげたとき、衣服が破れ、激しい擦過傷の中心部が火傷を負っていたという。津波の波速が激しいため、海底と衣服の摩擦で火傷になったらしい。津波のエネルギーの大きさを示す話である。
避難所には、知的障がい者施設の、職員含めて10数名ほどの団体が到着した。戸外に出歩かぬよう、体育館避難所中央にスペースが与えられた。ところが、自閉症の子の反復行動の外見の奇行と立ち歩きが、見慣れていない避難者の警戒を引き起こし、昼夜を問わず奇声を発して、翌日には追い出された。
福祉避難所は数が少なく、寄宿可能な他施設の受け皿が準備できず、中には、バス会社と交渉してバスを避難所として利用した例もあったときく。
精神障がいの方の場合は、もともとストレスに弱い特性もあり、常用薬の確保が大きな課題となった。異常緊張・不眠から始まり、統合失調症の方のせん妄・幻聴などの症状や、てんかんの方の発作なども危惧された。行政を通じ、小規模避難所の開放をお願いし疎開、その間に精神科を捜して薬を確保した。交通事情の制約もあり、精神科・心療内科などの関係科の医師と接触がとれない場合、救急科扱いとして処方箋を得たり、常用薬に限り薬局が法外緊急措置として、処方箋なしで薬を出した例もあった。
障がい者が負傷して、家族などの仲介者がいないため、治療には様々な試行錯誤があった。在日外国人等の治療で用いられる「評価スケール」を持ち出す例が多かった。視覚化は評価できても、質問の目的理解は、理解困難だろう。やさしい言葉に翻訳すれば通じるという迷信に気付かなくては、良質な治療は生まれないだろう。
(つづく)
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後期夏期講習の準備をしている。エアコンを使うお宅には無縁だが、室温が高い我が家では扇風機に頼っている。古い日本家屋は隙間だらけで、エアコン設置しても効率は悪い。
庭があるせいで、虫が多い。蚊のように口器が注射針状の虫ではなく、ブユのように強いアゴを持ち、糜爛性(びらんせい)の毒で肉を溶かしすすりとる、食いちぎり型の害虫が増えて困っている。まさに「噛まれた」跡が赤く腫れ、いつまでも痒く、跡が残るのだ。
見難いPC画面を、片目の視野外周部で読み取る私は常時緊張と集中を強いられるのだが、これらの虫が集中を妨害する。一般の殺虫剤は一切効かないので、掌に、弱いピレスロイド系忌避剤を塗って、虫を避けている。生態が分かれば駆除するのだが。
「急性期シリーズ」は、あと数回で終わる。「慢性期」資料を準備している。ただ視覚障がいと聴覚障がいの方の生活体験資料が少ない。困っている。
特定検診を受けている。しかし合計2千円程度のオプションをつけたが総額1万円弱は高い。いい加減な総合診療科の**医師がいなくなったのだけは、ほっとしている。
夜間傾聴>ふたり
(校正2回目済み)