2015/08/08 記
--------------
塾長がネパールにいくことが決まり、教室から姿を消した。奥さんが切り盛りしているが、来週いっぱい夏休みなので助かったと電話がかかってきた。その電話の中で、雑談は医療福祉系災害ボランティアの立脚点について話が及んだ。
赤十字的博愛精神という話ではなく、ミッション、何を見つめているのかという話だった。要するに私が行っている災害ボランティアの狙いについてだった。
確かに私は高齢者だらけの家庭で介護の一翼を担ってきた。私自身病弱で呼吸器疾患でせいで、子どものころひととことなる生死の淵をくぐってきた。そのことから、人の命と、十全たる生にこだわるがゆえの孤立を味わってきた。そういう意味で、自営業としての私塾とか、社会的弱者への共感と諸活動という既存コミュニティに属さぬ生き方をしてきた。だからバウンダリーの領域の障がい困難を抱える既存組織活動にはしっくりいかない青少年への共感なり、必要にかられるような意味での高齢者生活支援なりを自分ではひとつのこととして、考えていた。
しかし、塾長の奥さんの指摘するように、他者からは「教育活動」・「障がい者支援(就労・災害ボラ)」・「高齢者支援(災害ボラ・路上生活者支援)」は別々のもので、他の領域のことは平常、興味ないものだという指摘があった。本当にここ十年の間に手帳を持たないボーダーの青少年たちが、発達障がいのくくりの中で、ふところ広く受け入れられるようになってきたが、私が不登校・引きこもりの中の心身の困難を抱える青少年と活動してきた経過では、いわゆる手帳のある方の活動との活動は、全く行き来のないものだった。不登校・引きこもり領域の活動からは、障がい者の活動は別物で、いっしょくたにしないで欲しいという差別的応答も公然とまかり通っていた。逆もまた、障がいの困難の種別によって、全く別個の活動が進行しており、周辺領域との接点や横断的な関わりをもとめることは、理解されなかった。
その意味で、3.11ショックは私にとって大きかった。災害ボランティアは、私が名づけた第一の波「いのちの危機」を基準に「自分の出来る範囲で『お手伝い』する」という関わりが拡がった。しかしそれは支援者の心の中の共感の基いを問うものではなく、今を充実させるためにかかわるというものだった。内的な根拠を求めるベクトルは弱いという意味で、被災者を一律にくくってしまう難を感じていた。
健常者の影に、いつも沈黙の災害弱者がいること。私が言う「第二の波」・「無理解と差別」の波を意識化している支援活動をどう進めて行くかという意味で、障がい者・高齢者を中心にした災害弱者支援(防災を含む)と、一度社会から切り離された青少年に被災弱者支援活動に、社会的な仕事と居場所を提供するフィールドを考えるという二重化した活動を提供している。奥さんのイメージしている「『いのちの危機』脱出への『お手伝い』」という線とも違う活動は、ベクトルが違うのでわかりにくいだろうと思う。「医療と生活支援は専門家に任せて」という発想ではなく、圧倒的に不足する、特に「災害弱者」への支援は、専門職と当事者家族に切り捨ててはならず、むしろ周辺協力の形作りを行うべきと考えている。その出発点の形をつくることが私のミッションだと思う。
奥さんは、私の活動が「ヒューマニズムの体現」が目的ではないということに戸惑っていた。http://www.asahi.com/
先ずは、災害から何とか避難所にたどり着いたところから、そこかしこにおきる問題の中から、活動の形を切り出して行く。そのために、手始めにハイ・ストレスと感染症の切り口から話を始めて行くが、実のことを言えば、阪神訪問を前に、テーマをクリアにしておきたいという内情もある。
奥さんとの電話では話さなかったが、都市型の障がい者被災のデータが、阪神淡路大震災は20年前のこともあり、さぐる手立てが無くて困っている。被災高齢者の課題のほうは現在に続く課題を抱えており、それなりの接点は見出しているが、障がい者の方は、歴史ある関係施設の職員にあたる以外手がかりが無い。「施設避難と生活再建」の都市的な特徴を踏まえた課題が出てこないか探っているところでもある。
--------
水曜日に東京の通夜に出かけた母の体調がよくない。東海道線の往復の席を譲ってもらえなかったことが響いているという。帰りは私と一緒だったが、優先席を小3・5位の子の家族連れが占領していたことを繰り返し愚痴っていたが、家族という聖域にはなかなか立ち入れない。いつもの私なら譲ってほしいというのだが、母が「大丈夫」を繰り返していたので、そのままにしていた。年をとると、翌日ではなく一日おいて疲労が出る。金曜日、疲労を訴えていたが、市内の趣味仲間に通夜のことを伝えたいと出かけた後、夕食を残して寝床に入り、土曜日午前中、かかりつけの地元医のところに行って、帰宅後ずっと寝床に入りっぱなしになった。病気というより疲労。これからもっと、このようなことは頻繁になっていくだろう。
夜間傾聴>開店休業
(校正1回目済み)