近づきたくないこと

2009-08-17 00:00:27 | 市民A
昨日、六本木ヒルズで発生した押尾事件のことに僅かに触れたが、最近起きたいくつかの事件の関係箇所に、なんとなく近づいているような、嫌な感じがしている。

単に、自分の記憶の整理としてまとめてみると、

1.押尾事件(六本木ヒルズレジデンスで発生)
 7月25日、おおた氏、六本木ヒルズ森タワーの「スカイ・アクアリウム」へ行く。
 その帰りに、六本木駅に行かずに麻布十番駅に行こうとヒルズレジデンス横を歩くが、なぜか、少し道を間違える。

 その10日後、8月2日午後3時頃、事件発生。同日午後9時、押尾容疑者逮捕。


2.西新橋耳かきレディ襲撃事件
 8月3日午前9時過ぎ、おおた氏、事件現場を通りかかる。110番でかけつけた警官が単騎で建物に突入寸前であったが、住民から「一人では危ない」と制止される。

 その後、容疑者の方が外に出てきて逮捕される。

3.酒井容疑者事件
 8月3日未明、渋谷のホテル街の路上で、高相容疑者逮捕。逃走(というか、行き先ランダムの小旅行)開始。

 8月5日、おおた氏、お台場の日本科学未来館での講演会に行くが、到着時間が30分早かったので、周辺の散歩をする。科学未来館に隣接する湾岸署を発見。ここが、ドラマで有名な警察署か・・と、単に思う。

 8月8日夜、容疑者出頭。9日未明に湾岸署に移送される。


tokei2つらつら、考えると、7月中旬だったか、2の西新橋事件の現場から数軒隣にある年季の入った時計店に、長く止まっていた懐中時計を持ち込んで直してもらったことを思い出す。理由は、腕時計の電池が切れ、夏なので腕時計は嫌だな、と思ったこと。10年ほど前に記念品でもらった時計を机の奥から引っ張りだしてみた。

なにか、村上春樹ワールドみたいだが、1の六本木ヒルズへ行った際に、森タワー5階にある菜食レストランに入り、カウンター席に座るとき、思い切り頭を目前のコンクリートの下がり天井にぶつける。一瞬、目の前が白くスパークし、意識が遠くなる。その時、違う世界に行ってしまったのだろうか。

yasaiyameiそのレストランは、メイ(mei)という名前なのだが、そういえば村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」にも、『笠原メイ』という女性が登場するわけだ。


さて、事件現場に近いところに自分が登場するのは一向に構わないのだが、事件そのものに登場するのは、遠慮の極みである。とりあえず、満員電車に乗ることだけは、避けることにしておくが、そういう時に限って、目の前に、夏の制服の巨乳女子中学生が登場したりするのだろうか。

艾未未(アイ・ウェイウェイ)展-何に因って?

2009-08-16 00:11:03 | 美術館・博物館・工芸品
wei4六本木ヒルズにある森美術館にアイ・ウェイウェイ展-何に因って?(7月25日~11月8日)を覗く。

六本木ヒルズといえば、押尾学氏が亡くなった愛人にもらったMADAを飲んだと自供して、逮捕された場所として有名で、数多くの「ヒルズの呪い」に一項目を追加した。心臓の止まった全裸の愛人に心臓マッサージをした、といわれるが、マッサージの前に何をしていたのか、報道されない。

ヒルズ族といっても、単に森タワーの事務所で働いているだけの人もいれば、心臓マッサージが行われたマンションエリア(六本木ヒルズレジデンス)に住んでいるだけの人もいる。押尾容疑者の場合は、「住んでいた」、というより、「出入りしていた」、という程度のものなのだろう。

wei2話がすっかり、はじまらないが、艾未未(アイ・ウェイウェイ)は現代中国を代表する芸術家である。世界各地で展覧会を巡回している。1957歳生まれ。

父親は、有名な詩人で、艾青氏。どうも調べていると、艾未未(アイ・ウェイウェイ)が生まれてまもなく、中国政府の方針で、新疆ウイグル自治区に移住しているそうだ。現代に糸を引く民族同化運動である。そして、文化大革命。その後、沿海部の都会に逃げ出したそうだ。ある意味、被害者でもあれば、加害者でもある。

wei1現代美術を解説するのは、難しいが、「伝統と流行」のぶつかりあいというのが、よくあるパターンである。日本では、この手の造形はほとんどないのだが、米国では1930年ごろから50年代にかけてブームになっていた。思うに、米国も中国も、こういう物体をつくることにより、精神的なものを表現したのだろう。日本だと、「物」より前に「心」といったところがあって、あまり、こういう作品はでてこない。


会場には木製の大型ベンチがあったが、作品ではあるが思わず座ってしまいそうになった。

ところで、副題である「何に因って」だが、意味がよくわからない。

これの英語は「ACCORDING TO WHAT?」というのだが、さっぱり意味がわからない。

width="320" height="313" border="0" alt="wei3" hspace="5" class="pict" align="left">中国語では「起因干何?」というが、さらにわからなくなる。

かくして、現代芸術は、よくわからないことが多いが、会場で元気になる場合もあれば、単にイライラするだけもある。今回は、まあ、微妙。

先を読む頭脳

2009-08-15 00:00:02 | しょうぎ
羽生善治名人が、インタビューに答える形式で「思考法」「勉強法」について語り、さらに脳科学の研究ということで、アマチュアからトッププロまでが実験台になって、盤面の記憶の仕方や視線の動き、読みの内容などを科学的に解析しようとした内容が書かれている。



ちょっと残念なのは、分析・検討された二人の方が、あまり棋力が高くないように感じたのだが、実際はどうなのだろう。主に分析のカテゴリーとしては、「初級者」「中級者」「上級者」「プロ棋士」「羽生」という五段階になるのだが、「初級者」というのは、あまり参考にならないのではないだろうか。弱い人だけではなく、本当はこれから強くなる人も含まれているわけで、脳の使い方も玉石混交だろう。

中級者以上になれば、将棋の読みというのは、「しらみつぶし法」ではなく、まあ、ありそうな手を順に少しずつ読んでいって、現在の局面に対しての有利度を比べること、といった原理はわかっているはずだ。(詰む場合は別)

その基本原則に加えて、不利なときに、「大胆な勝負手を放って、一発勝負にでる」か、「決定的に悪くなる手を指さず長期化して相手のミスを待つ」か、とかそういう作戦的な考慮を加える。さらに、相手の動作とか視線とかから判断して、事前に相手の次の一手を察知し、対応策を準備しておき、相手の着手後すぐに指して、時間攻めにするとか、わざとあきらめの表情を作って、気の緩みを誘発させようとか(ネット将棋では使えない手口だ)。

そのあたりの、脳が行う様々な選択についての科学的分析が少し不足しているように思えた。なぜ、プロは「あっさり読むか」ということだろうか。

ちょっと納得できなかったのが、読む速度ということで、羽生名人は1分間に20~30手を読むということになっていたが、実感としては私でも1分間に60手以上は読んでいると思うわけだ。もしかしたら実験に使った局面そのものが、20~30手読んだら結論が出るような局面で、10秒読んで結論が出てしまって、残りの50秒は何も考えなかったというのではないだろうか。

この本に「将棋のほとんどの手はマイナス」ということが書かれていると話題になったが、1ページにわたって、語られるのだが、本当によくわからない内容である。

私の考えでは、一手指すことがプラスに働くことはむしろ非常に少ないのです。・・・

だからこそ将棋では形勢逆転が頻繁に起こるのだということも言えると思います。・・・

ですから、いい形を作り上げることを目指すのは無論、重要なことですが、それと同時に、有効に動かすことができる駒をいかに数多く残しておくかということにも、かなりの神経を遣わなくてはならないのです。


まあ、それくらいの意味と思っておけばいいのではないだろうか。

しかし、本当は、この本の中の羽生名人の話で、もっとも驚いたのは、彼が高校生の時に考えていたこと。

高校に進学した当初は、大学へ行くつもりで学校に通っていました。相変わらずあまり勉強はしなかったのですが、大学へ行くのが当たり前と思っていたのです。

彼は15歳でプロにあったのだから、高校生の頃は名人に向かって驀進中で恐怖の高勝率を上げていたはずだ。

なぜ、そんなつまらないことを考えていたのか、かなり謎である。いくら地頭がいいといっても、まったく勉強しないで入学できるレベルの大学に行ったところで、早い話が「時間の無駄」というか「将棋が弱くなるだけ」ということだったのかもしれない。

進学をあきらめたのは、対局が過密になって高校に通うことすら困難になってきたということらしい。

大阪で対局があると、翌日の新幹線で東京に戻り、三時間目から授業に参加する。そんなハードなスケジュールになってしまい、やがて大学は諦めざるを得なくなりました。

当時、勝ちまくっていた羽生名人と大阪で対局をしたというのは、彼の存在で最も痛い目にあったと言えるある棋士だろうか。

17世永世名人。

今思えば、深夜まで粘らず、夕食前に対局を終わりにして、感想戦もあっさり片付け、当日の新幹線で東京に返してあげて、結局、二流大学に押し込んでしまえば、こんな怪物的棋士にならずにすんだのではないだろうか、などと思っているのではないだろうか(本を読んでないような気もするが)。

8月1日出題作の解答。



▲3四角 △同金 ▲2三金 △1一玉 ▲2二金 △同歩 ▲2三桂不成 △2一玉 ▲1一香成まで9手詰。

2手目に、△同馬は、▲2三桂成 △同玉 △1四金 ▲1二玉 △2四金の7手詰である。

小さくまとまった作品と思うが、類例は多いのだろう。



動く将棋盤は、こちら



今週の問題も、最後は手筋の応用。何か、こういう収束が好きなのだ。

わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と手数と酷評を期していただければ、正誤判断。

その政党、動静不明につき、

2009-08-14 00:00:33 | 市民A
あまり、大きな選挙話じゃないけれど、仮に1議席でも獲得し、その1票がキャスティングボードにでもなれば、『もっとも重要な政党』になりかねないと思っていた「幸福実現党」の動静が、不明朗である。8月13日午前中は、こんな情報だった。

宗教法人「幸福の科学」を母体とする政治団体「幸福実現党」(大川隆法総裁)は13日、衆院選の全立候補予定者の擁立を取りやめる検討に入った。断続的に役員会を開催し、立候補予定者との調整を進めている。同日中に結論を出し、14日に記者会見で正式に発表する。

同党は今年5月に結成。これまで300選挙区と比例代表11ブロックに347人の出馬を発表し、選挙準備を進めていた。このため、選挙区と比例代表を合わせ供託金11億8200万円が必要になっていた。


そして、午後になると、こう変わった。


幸福実現党が選挙活動続行を発表
2009.8.13 15:00

 宗教法人「幸福の科学」を母体とする「幸福実現党」(大川隆法総裁)は13日午後の記者会見で、衆院選から撤退しない方針を明らかにした。




実は、少し前に東京駅前で演説カーを見かけた。少し時間があったので、聴いていたのだが、公約的には、もっともましではないかと思った。確かに、高い政治目標に至る実行過程と歳入のすべが弱いように思えるのである。まさか、個人資産が一億円を超える人は財産没収とか言わないだろうとは思う。(言ってもいいが)

個人的には、当選しそうな候補に一票を投じることにしているので、たぶん別の政党の名前を書くことになると思う。

なにか十数年前に、大挙して立候補した山梨県にあった団体を思い出すのは、私だけなのだろうか。

名古屋城主、ご乱心!か

2009-08-13 00:00:52 | The 城
民主党は「脱ハコモノ政策」と言っていたのではないかと思うのだが、党の配下の名古屋城主が、ご乱心気味である。

名古屋城 「木造に建て直す」河村市長
8月10日12時26分配信 毎日新聞

名古屋市の河村たかし市長は10日の定例記者会見で、名古屋城天守閣を現在のコンクリート製から木造に建て直すことを本格的に検討すると発表した。計画を考えるプロジェクトチームを24日に発足させ、2010年度予算案に調査費を盛り込む考え。

名古屋城は1945年の空襲で天守閣や本丸御殿などが焼失したが、これらの詳細な図面や写真は戦災を免れた。天守閣は59年に再建された。

河村市長は「多くの市民から、名古屋には自慢するものがないと言われ、非常にさびしい思いをしている。市民の精神的基柱をつくり、1000年先でも自慢できるものを残す」と述べた。

市名古屋城整備室は「消防法や建築基準法に適合するかや、現在の石垣の強度が十分か調査しないといけない」と説明している。

また、再検討を表明していた本丸御殿再建事業は継続する方針を明らかにした。

事業は2017年完了を目指して進められている。河村市長は市長選で事業見直しを訴えていた。会見では「(6月14日の)公開討論会では、誇りになるものがほしい、という気持ちは参加者みんなが持っていた」として事業を継続する意向を表明した。

ただ、事業規模については「いくら何でも高過ぎるという声があるのも事実だ」として、削減できないか引き続き精査する考えを示した。


mokuzo名古屋城は、江戸時代の城郭番付を見ると、江戸城、大阪城につぐ第三位になっている。ちなみに第四位が姫路城というところ。番付は数多く見つかっているが、この上位4位までは不動である。

うち、江戸城の天守閣も大阪城の天守閣も、江戸時代の初頭に焼失し、以後再建されていないので、天守閣という意味では、名古屋城は、日本一の規模である。姫路城は現存しているので、その姫路城よりは立派であったことから立派さが想像できる。

しかし、木造の名古屋城は、米軍の爆撃で焼失。金の鯱も高熱で溶解してしまった。

一足先に、歴史上の考証をまったく無視して、山田風太郎的アバウトさで再建された大阪城とは異なり、鉄筋コンクリートで再建された名古屋城は、意匠的には、オリジナルにかなり酷似して再建された。

また、金屏風で有名だった本丸御殿の方は、現在再建計画が進行中である。開府400年事業の一環らしい。こちらは木造である。

本丸が木造なのに、天守閣がコンクリートではアンバランスと思ったのだろうか。

あるいは、鳩山党首が、「ハコモノコンクリート行政からの転換」と演説するのを勘違いし、「ハコモノ木造行政」を目指してしまったのだろうか。


nagoyajo個人的意見としては、「建替えるなら大阪城の方だ」と思っているわけだ。


あるいは、オリンピック誘致記念で深く密かに進行している「江戸城天守閣再建計画」というのもある。幸か不幸か、江戸城の正確な復元図がなく、なかなか前に進まないわけだ。


それならば、名古屋城を建替えた場合、要らなくなった鉄筋の城の方は、東京都に寄付されたらどうだろう。江戸も尾張も同じ徳川家だ。

ただし、運送費が巨額になりそうである。むしろ、名古屋市の負担で旧江戸城跡地に木造の名古屋城を建ててみたらどうだろう。「東京名古屋城」とか「尾張藩東京支城」である。


ところで、記事の中で、

>河村市長は「多くの市民から、名古屋には自慢するものがないと言われ、非常にさびしい思いをしている。」

とあるが、名古屋人は、自慢するものを、各自、自宅に隠し持っている、ということではないだろうか。要は、「ケチ」である。

実は、この件で注目していることがある。

よく見るテレビ番組に、テレビ東京の最高人気番組である「なんでも鑑定団」があるが、10月11日に名古屋に出張して、番組収録が行われるそうだ。

でるか千両箱、でるか金シャチ、でるか金屏風である。

kanteiたぶん、江戸時代末期の、『味噌煮込みうどん鍋』とかハウマッチなのだろう。

埋もれるなら、何に?

2009-08-12 00:00:02 | 市民A
この記事を見つけたのだが、地震によって、本に埋もれたのか、あるいは別の理由なのか、確定されていないようだ。

【静岡地震】静岡市で43歳女性が本に埋もれて死亡
2009.8.11 15:37

11日午前9時ごろ、静岡市駿河区の女性会社員(43)に連絡が取れないと、女性の母親から119番通報があり、消防隊員と県警静岡南署員が女性宅に駆けつけたところ、室内で大量の本に埋もれた状態で死亡している女性を発見した。女性は1人暮らしで、同署は女性が地震で倒れてきた書籍に胸を圧迫され、窒息死した可能性もあるとみて死因を調べている。

同署の調べでは、女性はふとんの上であおむけに倒れていた。発見時、女性は大量の書籍や約30冊の本を収納したプラスチック製ケースに埋もれていた。

同署によると、女性方は天井に届くほどの高さまで、数千冊の書籍や雑誌が平積みにされていた。室内に侵入された形跡や女性に目立った外傷はなかった。ただ、死後硬直が進行しており、女性が地震前に何らかの原因で死亡していた可能性もあるとして、同署は同日中に司法解剖を行い、死因の特定を急いでいる。

同署によると、母親は女性に持病などはなかったと話しているという。


たぶん、地震が原因なのだろう。地震以外で、本に埋もれることは考えにくい。あるいは、書棚が倒れた衝撃で地震が引き起こされたとでもいうのだろうか。

そういえば、数日前にも地震があったのだから、その時に事故が起きたのかもしれない。あえていえば、たくさんの本を重ねる場合、重い本は下の方に、軽い本(雑誌)は上の方に積んだ方がいいだろう。もっとも、即死ではなく、本の海の中で動けなくなって餓死するとかもっと悲惨な状態になる可能性もある。

ところで、何かに埋もれて亡くなるというケースを考えた時、何に埋もれてみたいかな?と考えてみたのだが。

やはり、お札かな・・


ふと思い出したのだが、数年前に、ある知人がゴルフ中にバンカーの中で転び砂まみれになりながら、「窒息するなら、この人の胸の中に顔を突っ込んで・・・」と言っていたのを思い出した。

norika今、最高に話題の映画に無償出演中の女優と一文字だけ異なる。日本赤十字のポスターに登場している。

親の所得と学力の相関関係は?

2009-08-11 00:00:08 | 市民A
文科省の委託研究で、親の所得と学力とは相関関係があるとした推定には、もっと要因分析が必要と思う。

<学力>年収多い世帯の子供ほど高い傾向…文科省委託研究
8月4日19時32分配信 毎日新聞

年収200万円台の世帯と1200万円以上の世帯では、昨年の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の平均正答率(小6国語B、算数B)に約20ポイントの差があることが、文部科学省の委託調査で分かった。一方、年収にかかわらず、親が「ニュースや新聞記事について子供と話す」「家に本がたくさんある」などと回答した世帯の子供ほど学力が高い傾向もみられた。

文科省の委託を受けた耳塚寛明・お茶の水女子大教授らの研究グループが、昨年12月~今年2月に全国の5政令市の小学校100校を対象に保護者約5800人にアンケートし、昨年4月のテスト結果との関係を調べた。

調査によると、基礎問題(A)と活用問題(B)のいずれも、年収が高い世帯の子供ほど正答率が高い傾向があった。最も差がついたのは算数Bで、200万円未満の世帯は42.6%、200万円台は45.7%に対し、1200万円以上1500万円未満は65.9%、1500万円以上も65.6%に達した。

塾や習い事など学校外教育への支出額と学力にも相関があり、全く支出のない世帯は、月5万円以上支出する世帯と比較して正答率が23~27ポイント低かった。

また、親自身の普段の行動を尋ねたところ、高学力層では「クラシック音楽のコンサートに行く」「お菓子を手作りする」などの回答割合が高く、低学力層では「パチンコ・競馬・競輪に行く」「カラオケに行く」などの回答割合が高かった。

耳塚教授は「家計だけが学力を決めるわけではないが、影響力は相当大きい」と分析する。


gakuryoku2まず、この耳塚教授だが、いわゆる「GOYO学者」のようだ。本件にとどまらず、いくつかの文科省の研究を請け負っている。


記事とは別途、グラフを入手したので、比べてみると、確かに、一見比例的に見える。が、一見比例的に見えても、原因と結果ということではなく、別のところに原因があって、その原因と比例的な相関関係があると、関係ない二つの事柄が相関しているように見えることがある。

gakuryoku1たとえば、グラフだけみても、例えば年収500万円前後と、900万円前後と1500万円前後には、穴があることがわかる。正答率が0%からのグラフでなく40%からのグラフなので、必要以上に差が大きく見えるが、大きくいって、年収500万円以下のグループ(X)と500万円から900万円のグループ(Y)と、年収900万円以上のグループ(Z)に分かれるように見える。

少し、角度を変えて考えると、小学校6年生の学力を考えるに、最大の差は、「受験」である。私立中学を受験する児童と公立高校に行く児童がいる。早い話が、大数の論理で考えるなら、所得格差の前に、私立中学か公立中学の進路差があるわけだ。当然ながら、一般論としては、私立中学を受験するためには、受験勉強をしなければならないのだから、学力は高くなるのが当然である。ただしあくまでも小学6年生の話だ。

論理的には、その後に私立中学に行くには所得が高くなければならないということになるのだろうが、それは直接的原因ではなく間接的原因である。所得が高くても公立にいって勉強もしない子もいるだろう。

さらに別角度で考えてみる。小6と言えば12歳である。親の年齢は40歳代前半だろうか。では、その年代で900万円以上(Y層)ということになると、大企業の下級管理職といったところだろう。1500万円以上(Z層)となると、特定の政策的保護業種ということになる。テレビ・大新聞・銀行・航空会社とかだ。

その人気企業に入るには、特定の優秀大学(大学院)を卒業しなければならないのだから、遺伝的要素も含まれるのかもしれない。

逆にいえば、500万円未満の層(X)は、こちらも遺伝的要因で、親の収入が少ない可能性がある。

上の層は遺伝的要因+中学受験のダブル効果があり、下の層はネガティブ要因が重なる。人数としては大多数であるY層は遺伝的要因はあまり関係なく、どこまで無理して私立中学に入れられるか、というところに、こどもの将来がかかっている、ということになる。


となると、抜本的な構造が変わらない場合は、Y層の親はどうすればいいかというと、どうやって学費を捻出するか、という腕前にかかってくるわけだ。こどもが生まれた時から中学に入学する日は決まっているのだから、その間にどのように学資を貯めたり、祖父から頂戴したり、有利な奨学金を手に入れるための研究をするとかだ。


一方、これを政策的な課題と考えるなら、ある一つの方法がある。

中学校を義務教育からはずすことである。ただし、中学校バウチャーみたいなものを配布して、ほぼ同額(あるいはなだらかな傾斜)で中学教育が受けられることにすること。

現在、義務教育でもないのに高校進学率は97%である。実質的には高校も義務教育なのである。だから中学校を義務教育からはずしたところで、ほとんど、何も起きないだろう。ただし、受験勉強を行わなければ、レベルの低い中学に行くわけだから、基本的には受験勉強は行われる。その場合、私立中学の学費そのものが安くなるのだから、収入と学力の関連性は、かなり弱まるのではないか、と思えるのである。

ところで総選挙。夏なのに大型サンタクロースが二人もいて、子供のために(こどもの親の二票が目当てだ)プレゼントのバラマキ政策が行われるのだろうが、せいぜい私立中学の授業料が値上げになるだけではないだろうか。

フランス絵画の19世紀

2009-08-10 00:00:47 | 美術館・博物館・工芸品
横浜美術館で開催中のフランス絵画の19世紀展(6月12日~8月31日)に行く。人口360万人の大都市横浜にふさわしい現代的な中に古典的なデザインを織り込んだ巨大美術館だが、本当はチマチマと展示品を買い集めているようだ。何しろ、緊縮財政だ。(もちろん、中田市長の責任ではなく、ずっとずっと前の首長のせいだろう)



この展覧会も開港150年記念の一環らしいが、ペリーが横浜にきたことと、19世紀フランス美術には、直接的には何の関係もないだろう。時期はきわめて重なるのだが。

フランスといえばルノアールを筆頭にした印象派というのが、頭に浮かぶが、本展は、その印象派に至る直前のフランスにフォーカスがあるということが特徴である。当時のフランスは美術では後進国だった。

もともと西欧の絵画は教会のプロパガンダから発生したようなところがあり、壁画や天井画、そして絵画にしても、聖書に登場する逸話を題材に、「教会に行けば、きれいな女性や筋肉たくましい男性や、無残に血を流したSM的な描写をみることができる」ということだったようだ。しかし、そのうち種が尽きていくわけだ。



そして次に登場したのが、ギリシア神話。これがなかなかロマンティックかつスペクタクルで絵画にぴったりだった。さらに、ギリシアは暑いところだから女性も薄着だったり、森の中で入浴したり、海辺で裸のまま、うっかり眠ったりする。素材の中で、人間(神様)の部分は神話から頂戴し、バックの情景はフランスの海や森になっていく。

そうなると、徐々にフランス人の得意な世界に入っていくわけだ。やがて、下書きにギリシア神話を使うこともなくなり、いきなり現実の風景や、人間たちの心の中に入っていくわけだ。



その先に印象派があった、となれば自然なのだが、実は別の事情があった。

ローマ賞。

どの国でも、役人が権力と予算を持つとロクなことにならない。当時のフランスは、自国が美術後進国であるという認識を持っていて、若手の画家たちのコンテストをして、優秀者を官費で海外留学させていた。行く先は、「ローマ」。ローマの美術学校への入学費の肩代わりである。

そして、留学から帰ってくると、「ローマ帰り」として、もてはやしていたわけだ。

そのうち、このローマ賞も若手ではなく、何度も何度も挑戦しては破れ、というように芸術家になって素晴らしい絵画を後世に残そうという本来の目的からずれていくわけだ。日本の裁判官制度みたいなものである。



そして、印象派は芸術家たちの大集団として突然のようにパリを大席巻し、無数の名画を地球上に残し、そして画家たちはパリを離れ、自らの好みの風景を求め、それぞれ郊外に散っていったわけだ。

そして、誰もいなくなったパリにやってきたのは、日本人画家たち。官費留学である。

短すぎる逃亡は終了

2009-08-09 00:00:48 | 市民A
解散から総選挙まで長すぎると思っていたが、選挙公約よりももっとドラマティックな寸劇が行われていた。6日間だった。

もっと隠れていると、すっかり選挙報道もかすんでしまうだろうから、目標逃走終了日は、総選挙の日、またはその翌日で、「政権交代」にぶつけて、注目をそらす作戦だろうと思っていたのだが、あまり選挙妨害を続けると後で檻に入る率が高くなると考え直したのだろうか。

一ヵ月隠れていれば、後々、逃亡映画のヒロイン役、あるいは自ら「実録逃亡小説」を上梓して、こどもの高額教育費にあてることができたのだろうが、ちょっと冴えない結果だ。下着を買い込んだというのは、女性宅ではなく男性宅に隠れたということだろう。女性宅なら、かくまった人物が下着を買うのも不自然ではないが、男性だと怪しまれるだろう。

しかし、自宅に証拠品を残したままの逃走では、具合が悪かったわけだ。こういうのは、ユーザー側がアマチュアで、バイヤー側がプロということである。プロはなかなか起訴されないものだ。あまり妙なことを書くと、怒られそうだが、アマチュアであるユーザー、特に著名人を捕まえると、いかにも警察が活躍しているように見えるが、実際は、地下茎の繋がった雑草の地上の葉をつまんでいるだけである。

もともと、この種の容疑者といっても、ある程度は被害者の側面もあるわけだ。「やめられない」というのは心の病気であるわけだ。さらに言うと、世界的には常習者の数字があるレベルを超えると犯罪として立件することすら困難になる。例えば、5%とか10%とかだ。

たぶん、たばこも常習者が10%を切ると、たばこの価格や医療保険や生命保険で懲罰的な課徴金方式が導入されるだろうし、5%を切ると、たばこ・大麻等取締法とかに組み込まれて、禁止されるのだろうか。

「女優A、自宅から、たばこ吸引器発見」とか「参議院議員B、議員宿舎トイレに灰皿を隠し持つ」とかだ。

そして、来週からは、やっと選挙モードに入るのだろうが、民主党が当初のマニフェスト(案)にあった「米国とのFTA」を骨抜きにするようだ。要するに、日本は、米国から農業製品を輸入して、工業製品を輸出しているのだから、FTAというのは、農業の自由化ということになるが、そうなれば対米国だけの話ではすまなくなる。個人的には賛成だが、ずいぶん大胆な方向転換というか、オザワイズムだな、と思っていたが、あっという間に粉砕された。

手前味噌だが、民主党マニフェスト発表後、直ちに書いた7月28日の弊ブログ「候補者A」の中段に、この問題を取り上げている。

もう一つの手前味噌だが、渡辺喜美氏が立ち上げた「みんなの党」だが、候補者15人のうちの一人、野屋敷いと子氏だが、先日の船橋市長戦で惜敗している。6月16日「千葉市長選よりも面白い?船橋市長選挙」の中で、「>仮に落選しても新党として迎える次期総選挙での有力候補なのかもしれない」と予言しておいたことを追加しておく。

なお、手前味噌という言葉は、「自家製の味噌」を意味するようだが、なぜ現代のような使い方になったかは、わかっていないようである。ブログって、自家製味噌みたいなものだろうか。

一出版社の終り

2009-08-08 00:00:07 | しょうぎ
夏休み中なのに、あれこれと電話をかけたり、場所を選ばずしょっちゅうメールをチェックしなければならなくなったのは、仕事の関係先が倒産したのかしないのかはっきりしないからなのだが、このご時世そこまで行けば、まずだめだ。政権交代までもたなかった。もちろん政権交代しても資本主義をやめるわけじゃないので、関係ないか。

ところで、以前、「近代将棋」誌を発刊していたナイタイ出版が破産したそうだ。

帝国データバンクの大型倒産速報より。

ナイタイ出版(株)(資本金1000万円、新宿区新宿2-6-4、代表佐藤圭司氏)は、7月31日に東京地裁より破産手続き開始決定を受けた。

当社は、1988年(昭和63年)2月に設立された出版会社(株)ナイタイ(新宿区)の営業部門を引き継ぎ2001年(平成13年)3月に設立。芸能・スポーツ・風俗情報を掲載した「ナイタイスポーツ」(月2回)、月刊「ナイタイマガジン」などの発行のほか、同情報を配信するインターネットサイト「ナイタイネット」の運営のほか、同媒体へ掲載される風俗・飲食店を中心とした広告収入や北陸・中国地区のフランチャイズ店からの収入などで、2003年5月期には年売上高約25億円をあげていた。

しかし、景気低迷の影響により雑誌販売が落ち込んだことに加え、広告収入が伸び悩んだことから、2008年5月期には年売上高は約15億2500万円に落ち込んでいた。このため、不採算誌の休刊や人員の削減、また本店事務所の移転など経営改善に努めたものの、業況に回復が見られず、5月20日に債権者より東京地裁へ破産を申し立てられ今回の事態となった。

負債は2008年5月期末時点で約20億9100万円だが、その後、変動している可能性がある。


確か、母体は「内外タイムス」といってアダルト系の情報誌だったような気がする。一度も読んだことはないが、その方面で遊ぼうという場合、あらかじめ駅でこのペーパーを買ってから、作戦を立てることになっていた(らしい)。

「IT化」とか「紹介所」によって、駆逐されたのだろう。いや違うかな?

いずれにしても、近代将棋誌が廃刊になった時も、「原稿料が払われていない」とか、「印刷代が期日通り払われない」とかのクレームがあったようで、その後、どうなっていたのだろう。あきらめずに、請求を繰り返していたならば、債権者の一員に名前を連ねることはできただろうが、現実的には残った資産がいくばくかもなければ、何の意味もない。

しかし、「近代将棋」という雑誌も、どうもトランプのJOKERみたいな存在だったのだろうか。

さて、7月25日出題作の解答。



▲3九角 △同と ▲7三角 △2七玉 ▲3七角成 △1六玉 ▲2七金 △同歩成 ▲1五龍まで9手詰

初手は、2八の地点のと金の利きをはずすため。7手目の金打ちが、「スッキリ」とした正統派の手である。全体としては全然正統派ではないけど。

動く将棋盤は、こちら

ところで、7月25日におまけで出題した一作は、▲2二飛まで29手詰めである。棋譜を書く気力がないので、動く将棋盤で鑑賞してくだされ。途中、1二で清算する時、角からでも香からでもOKなのが痛い。



さて、今週の問題。

古くて新しい筋である。

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評を記していただければ、正誤判断。

人類は、どこから来たのか?

2009-08-07 00:00:13 | 歴史
現在、「ジェノグラフィック・プロジェクト」が進行している。人間のルーツ探しと言えばそれまでだが、大雑把にいえば、現在の人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)が東アフリカ(ケニアのあたりのサバンナ)に誕生したのが20万年前から6万年前の頃。そして、6万年ほど前に、人類が移動をはじめる。おそらく気候変動だと思われているそうだ。



その何らかの理由で、人類の数は減少し、約2000人程度にまでなったらしい。かつての二足歩行の今は亡き旧人類と同じ運命に近かったようだ。そして、ソマリアから紅海を渡りアラビア半島へ。その後、インド、インドシナを経て日本にまで到着したグループもあれば、中東から中央アジアに向い、その後、欧州に向かったグループもあればシベリアからベーリング海峡を渡って、北米、南米と広がっていったグループもいる。

そのロング・ジャーニーの軌跡を個人別に調べてみようというわけだ。家系図探しもどきといってもいい。



なぜ、そんなことができるかというと、遺伝子の中のY染色体は男から男へと引き継がれるものであり、またミトコンドリアの中に入っている環状のミトコンドリアDNAは女から女に引き継がれるものであり、結局、父の父の父の・・・父というように直系の男たちがどのように歩いたのか、あるいは、母の母の母の・・・母がそのように歩いたかを統計的に知ることができるそうだ。ただし、父の母の父の母がどこからきたか、などはわからない。



そして、このプロジェクトの中心にいるのが、米国ナショナル・ジオグラフィック協会の研究員であるスペンサー・ウエルズ博士。その講演会が日本科学未来館で行われる。ナショジオの定期有料購読者はタダで参加できる。



しかし、まず会場設営のトラブルでホールへの入場時間が遅れる。約30分間、会場の外の廊下に列を作らねばならなかった。イタリアみたいなアバウトである。さらに、本番でもパソコンとスクリーンの接続不良で時間がロスしてしまう。つけは講演時間の短縮となる。

ともあれ、講演会は始まる。スペンサー教授が、こういった科学的手法で人類の歴史を調べようと思ったのは、もともと彼が「歴史」に興味があったことが原因だそうだ。ギリシア・ローマなど。ところが、母親の関係で、向かった針路が科学だったそうだ。そのため、その二つを組み合わせて、「科学を使って人類の歴史をひも解こうとした」とのこと。

似たような組み合わせでも、凡人博士は、科学者の歴史(科学史)みたいな方向に行ったりする。

そして、当日のコメンテーターの一人が、文化人類学者の竹村真一氏(京都造形芸術大学教授)。彼のルーツを調べると、アラビア半島から南インド、インドシナ方面から南周りで日本に来たそうだ。いわゆる縄文人で日本の40%ということだそうだ。確かに色が黒い。



もう一人のコメンテーターが元ミス日本の知花くららさん。沖縄出身の彼女のルーツがスクリーンに投影されると、会場から驚愕の声が上がる。まず、ケニアからすぐにアラビア半島に渡ったのではなく、いったんアフリカの中をさまよった後、中東方面に向かう。そして中央アジアで一旦待機した後、シベリア方面に向かう。そして、ついにはベーリング海峡を渡り北米大陸から南米大陸に到達。

つまり、矢印は日本に向かわないわけだ。

ところが、このパターンは、日本人の20%というそうだ。いわゆる弥生人なのだろうか。しかし、彼女は沖縄県人独特の風貌を色濃く残している。まあ、そんなことは会場の多くが考えたのだろうが、ようするに、母の母の母の母を探しただけなのだから、父親が沖縄系で母親が弥生系なのかもしれないし、まあ個人のルーツというよりも民族のルーツのようなものを調べているということなのだろう。

そして、あとでこのグループの研究をホームページなどで調べると、やはり中国から朝鮮、日本あたりは、今一つクリアになっていないようである。

さらに、最近わかってきたのは、この時間差によって人類があちこちの方向に移動している(正確に言うと、その他の方向に移動したグループは死滅した)という歴史が、背景にある地球の自然現象(つまりスマトラ火山の爆発による氷河期到来とか温暖化による砂漠化とか)を遺伝子の中に反映しているということだそうだ。

さて、そういうことで、このルーツ探しだが、実は大々的に一般に公開されることになり、すでに英語版では、ホームページから、99.95ドルで申し込める。参加キットが送られてくるので、歯ブラシみたいに頬の内側の粘膜をこすって、指定の場所に送ればいいらしい。

そうすると、男性ならば父の父の父の・・・父が、女性なら母の母の母の・・・母が、アフリカからどうやって、この温帯の楽園である日本まで逃げてきたかがわかるわけだ。

もちろん、詳しく読むと、「あなたの家系図を作るわけではありません」ということなので、誤って(あるいはわざと)親子で申し込んで、父親が(母親が)別人だったことを知っても、がっかりしてはいけないということなのだろう。

ところで、オバマ大統領の場合、父親はケニア人ということだそうだから、世界中で、もっとも生活の苦労を知らない家系にある、ということができるのだろうか。

にざかな

2009-08-06 00:00:42 | マーケティング
nisakana『にざかな』といっても、『煮魚』ではない。

『似魚』

晋遊社から出版されている「似魚図鑑」という奇書がある。そこからの話。

本来は、似魚というのは似ている魚なので、姿かたちのことなのだろうが、紹介するのは、味が似ている魚ということ。とたんに怪しい話になっていく。

ただし、魚というのは天然資源である。人間の欲望が拵えるブランド品のイミテーションとは少しだけ異なる。およそ、人間の食べるもので、天然資源をそのまま食するのは魚介類くらいだ(一部の養殖物を除く)。穀物はじめ植物は無論のこと、肉類だって、野生動物を捕まえて食べるのはきわめてレアケースだ(鯨)。

そういう意味では、本来は天然魚介類を食べること自体が環境破壊行為にあたるのだから、全面禁止となってもおかしくないが、今のところは、まだそこまでには至っていない。国連のデータなどで確認すると、世界的には魚介類というのは、人間の必要カロリー計算の外数みたいに微少値になるのだが、日本だけは魚介類からも一定のカロリーを得ているようになっている。つまり、魚を主食の一部にしている例外的な国ということだ。

横道にそれてしまいそうなので、かろうじて引きもどすと、日本人がほぼ独占的に食べていた高級な魚介類が、欧米はじめ東アジアの金持ちの口に入るようになって、「こりゃ、うまい」ということになる。本来、東アジア人の得意技は「模造」「偽造」技術なのだが、さすがに魚の偽者は難しい。カニカマは一つの技術なのだろうが、誰もカニカマの正体が蟹であると思うわけもない。

そこで登場(というか、多くは深海から引きずり上げられた犠牲者だが)したのが、「似魚」ということになる。

maguroまず、アカマンボウ。

これは最高級魚のクロマグロの代用である。アカマンボウというのはマンボウとはまったくことなる大型魚だそうだ。

北海道以南に住み、体長は2メートルほどになるそうだ。体の部位によって脂身の量が異なっているそうで、背中の方は脂が少なく、カルパッチョやフライになるそうだ。一方、腹身の方は脂がのっていて、「トロ」になる。

特に、ネギトロになると、元の姿を気にする人がいなくなるので、さらに重宝するらしい。まあ、味が同じならいいんじゃないかという考え方もある。








ebi次に、ウチダザリガニ。ロブスターではない。

これは、イセエビの代用品である。もちろん、外見の大きな違いは、「はさみ」である。ザリガニであるから巨大なはさみが付いている。(まったく余談だが、以前、理由不明で怒鳴る重役がいて、周りからは、「ザリガニ」と呼ばれていた。脳みそがなく、はさみをメチャクチャに振り回すところが似ているからだ)

このザリガニは、日本での歴史は古く元々、食用として阿寒湖などにいるそうだが、特定外来生物として嫌われているようだ。生命力が強く、共食いすることが多いようだ。旨いからだろうか。ウチダザリガニはロブスターより旨いといわれるが、元々、ロブスターとイセエビは味が違う。

味が同じならいいじゃないかという説もあるが、味は違うのではないだろうか。これにだまされるようでは、寿司屋に行く資格なしだ。





anagoそして、和名「マルアナゴ」。

カタカナ一文字多いが、「マアナゴ」の代用品である。

実のところ、アナゴは好物である。江戸前の代表。寿司屋の定番である。全長1メートルあるのがクロアナゴで、マアナゴはそれより小型で、味はすぐれる。

実際、全国各地でアナゴは獲れるのだが、ややあぶない話も聞く。水の濁ったところがいい、と言われている。例えば食肉精肉場の近くで海水に血の成分が放出される場所とか、工場排水で汚れていて水温が高いところとかだ。

しかし、マルアナゴとなると、そういうことはない(はず)。外国製である。ペルー産らしい。本名はアンギーラとラテン系の名前がついている。現地では姿が気持ち悪いので食用にされず、内臓を抜き取って牙だらけの頭を切り取ってドレス加工し、蒲焼にすると、見分けがつかなくなり、アナゴの蒲焼になる。

味は、あなごだが、少し小骨が多いのと、皮がゴムのようなのが違いだそうだ。

こちらは、味が同じならいいじゃないかということにはならないようだ。

なにしろ、アンギーラの正体は、「ウミヘビ」だからなのだ。

アナゴの代わりにウミヘビを食べるわけだ。

もちろん、ヘビでも何でも食ってやるという人もいるし、ヘビを食うよりもヘビのように執念深い人間と付き合うほうが嫌だという人もいるだろう。

ヘビのような性格というのは、執念深いということだが、本当にヘビに性格があるのかどうかよくわからない。たぶん雄と雌の交尾時間が長いから、そういうことになったのだろうが、交尾時間といっても24時間も行為を楽しむヘビはごく一部だそうで、大方は1時間から2時間程度ということで、皆さん方と同じくらいだろう。


ところで、このアンギーラがウミヘビということなのだが、妙な記載になっているのだ。

分類上はウミヘビと同じだが、ウミヘビ科は爬虫類の仲間と、ウナギ目に含まれるものに分かれている。このアンギーラは後者なので、ご安心を。

これを読むと、ウミヘビという科が爬虫類のウミヘビと魚類(ウナギ)のウミヘビとに分類できるように読めるのだが、そんなわけはないわけだ。爬虫類のヘビの仲間で、海に住むものをウミヘビと呼ぶ一方、ウナギの一族の中にもヘビに似た形のウミヘビがいるということの訳だ。

爬虫類は呼吸しなければならないので、水中で長時間交尾することはないだろうし、一方、魚類の生殖活動には、楽しいところはどこにもないだろう。というよりも、アナゴの生態はウナギと同様に、まだはっきりとは解明されていないそうである。

木之下晃写真展<音楽の決定的瞬間>

2009-08-05 00:00:05 | 音楽(クラシック音楽他)
川崎のミューザ川崎併設展示室では、サマーミューザ開催中、写真展が開かれている(7月26日~8月26日)。

d音楽写真家として著名な木之下晃氏が、ミューザ川崎で演奏したマエストロ(巨匠)たちを被写体とした一連の作品展である。ミューザの歴史は5年間。その5年を振り返るには最高の機会かもしれない。

ところで、人物像を写すというのもいくつかパターンがある。例えば、俳優の写真となると、写されることが普通の仕事である。逆に、自然な姿ということにはならないだろう。

それから作家。こちらは写されることが仕事なのではないが、結構、作品をフォローするコマーシャルみたいなものが多く、本人よりいい男(女)に写っているものが使用される。さらに、ニコッと笑った顔の写真は皆無で、みな世の不幸を自分のペン一本で支えているような仰々しさがある。写真の重みに負けたのが自殺の原因ではないかと思うほどの小説家もいる。

そして、スポーツ選手。こちらは、スポーツをする時の表情以外は、間違いなくだらしない。証券会社のコマーシャルに登場する野球選手やカレー好きな若過ぎるゴルファーなんか見苦しい限りだ。スポーツ選手はスポーツの中で一瞬現れる表情以外は、記録に残すようなものじゃない。

gそして、音楽の世界だが、どちらかと言えばスポーツに近い。表情は再現性がなく、刹那的である。指揮者は恍惚の表情になったり、苦しそうにいらついたり。ヴァイオリニストは口元をひんまげることになったり、ピアニストは汗のしぶきを飛ばす。

もちろん、スポーツと異なるのは、一応、楽譜に従って演奏するので、写真家も、およその見当は付くわけだ。この指揮者がこの交響曲を振ると、どこでどのような表情になるかなど。

デュトワやゲルギエフというのは、指揮棒を持たなければ、単に「人相の悪い国際詐欺団の一員」みたいだ。デュトワは2005年11月の撮影。ゲルギエフは2006年1月の撮影である。



sまた、ソリスト、特に女性の場合も、ONとOFFの表情の差は大きい。あまり女性の容姿容貌について記すのは危険が大きいので、男性の「国際詐欺団」にあたる言葉を、「女性なら○○○」と具体的に書くことはやめるが、サラ・チャン(2007年11月)、ソル・ガベッタ(2007年7月)など演奏中の表情は豊かだ。

ミューザの大幹部でもあるピアニストの小川典子さんはじめ日本人女性ソリストも多数が被写体として登場である。おカネに余裕のある方には、写真集も各種販売されているが、演奏会のチケット代まではつぎ込まないほうがいいだろう。

総選挙与太話1号は

2009-08-04 00:00:57 | 市民A
選挙戦が始まっているのかどうかよくわからないが、発表されている各党のマニフェストは、まだ「仮」のものらしい。正式版は、選挙の公示に合わせて発表されるものだそうで、特にわかりにくいと評判の悪い民主党のマニフェストは若干の修正も予想できる(さらにわかりにくくなるかもしれない)。

何か、マニフェストを勘違いしているのか、各党が予定しているバラマキをリストにしただけで、基本的な政治的方向性が書かれていない。前に行くのか後ろに進むのか右に行くのか左に行くのか。だから民主党は、米軍の基地見直しと書きながら米国とFTAを締結し、だからといってコメなどの農作物は例外とするが、農家には金をバラマクというのでは、全然わからない。

金持ち優遇をやめるといっても、日本には税源となるような金持ちはほとんどいないのだから、しょせんは中堅サラリーマンの所得税と大企業の法人税に頼るしかないはずだ。だから、国の成長戦略を書かないと、誰も財源なんか出してくれないはずだ。

幸い、円高効果で、GDPが中国に抜かれるのが今年ではなく、来年以降にずれたのではないかと思うが、時間の問題だ。

マニフェスト書き直しが必要なのではないだろうか。自民党の方は、マニフェストというより、現在の延長なのだろう。できるものはできるが、できないことはできない。

ところで、民主党が連立政権を組むとすると、国民新党と社民党と言われるが、大臣の椅子にまで座るとなると、大問題である。だいたい言っていることが同じといっても国民新党は民主党と目標方向が違うし、だいいち国民からたいして支持されていないから小政党なのである。社民党は、もともと「理念の上の想像の中の政党」みたいな存在で、リアリティのある政治には不向きなのである。別に党首だって、スウェーデンになろうと思っているわけではないだろう。

ところで、与太話1号だが、
衆院選静岡7区に出馬予定の城内実氏(44)の選挙ポスターにタレントの眞鍋かをりさん(28)が起用されていた問題で、眞鍋さんの所属事務所である「アヴィラ」が公式ホームページを2009年8月1日付で更新し、「掲載許可は一切出しておりません」と完全否定した。スポーツ紙など一部では、眞鍋さんの所属事務所が城内氏の後援会に対して事前に使用の承諾をしていた、と報じられたが、これに反論した形だ。


事態は、「言ったとか言ってない」という世界に入っているようだが、雑誌のグラビアではないのだから、本人が支持してもらえるかどうか確認くらい必要だろう。

なんとなく、落選第一号みたいである。


それから、青森1区の津島家のひとびとだが、世襲制と言われ、自民党公認がもらえそうもない。どうも小泉の息子が公認されるのに不平等ではないか、ということらしい。

そのこと自体はどうでもいいが、太宰治の孫である。太宰治は政治家一家に生まれたが、その家が嫌いでしかたなく小説家を目指し、兄は県知事になる。ところが政治家の家系を継ごうとするのが太宰治の末裔というのも、因果なものである。

混乱に乗じて、「美しすぎる議員」も市議から一転衆議院を目指してもいいのではないかと思うが、彼女の地元八戸は旧南部藩。津島家のベース1区は旧津軽藩である。結構、仲が悪い。

凶悪事件発生

2009-08-03 12:58:31 | 市民A
jiken午前中から、会社の周りでパトカーや救急車やテレビ局や上空のヘリや大騒ぎだ。ヘリは東京地裁の裁判員制度の方だろうが、意味不明だ。そして、そのうちこの裁判員制度の対象になると思われる事件が、大騒ぎの原因である。

凶悪事件が発生した。

昼休みの現場は、警察が黄色いテープであちこちを通せんぼしているが、このあたり一帯は食堂街である。特定の食堂に行きたい人だけは、テープの内側に入れてもらえる。

テレビ局では、フジがもっとも出しゃばって、あちこちの商店にカメラを持ち込んで取材している。

殺人未遂 女性刺されて1人死亡1人重体 男を逮捕…東京
8月3日11時24分配信 毎日新聞

3日午前9時ごろ、東京都港区西新橋1のYさん(78)方の近くを通り掛かった人から「包丁を持った男と女がけんかしている」と110番があった。警視庁愛宕署員が駆け付けると、住宅内で芳江さんと孫で耳かき店従業員の女性(21)が血を流して倒れていた。2人は病院に搬送されたがYさんは間もなく死亡、女性は意識不明の重体。室内にいた男が「自分が刺した」と認めたため、愛宕署は殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。

愛宕署によると、逮捕されたのは千葉市美浜区幸町2、会社員、H(こうじ)容疑者(41)。同署の調べに「殺そうと思ってやった」と容疑を認めているという。

H容疑者は女性の勤務する耳かき店の客だった。同署は7月19日、女性から「変な男につきまとわれている」と相談を受けていた。署員は異常があれば至急連絡するよう伝えていたという。

愛宕署の調べでは、H容疑者は最初に応対に出たYさんの首などを1階で刺し、2階に上がって女性を刺したとみられる。Yさんと女性の体には複数の刺し傷があり、室内から血の付いた包丁が見つかった。Yさん方は5人暮らしで、事件当時、自宅に他に家族2人がいたが、無事だったという。


実は、記事にあるように警察への通報は午前9時過ぎとなっているが、9時8分頃現場を通りかかったわけだ。

まだ野次馬は10人程度だったが、木造二階建ての民家の前には近所の人たちの他に若い警察官が一人いて、警棒をもって民家に突入する寸前だった。

当然ながら、単なる通行人の目撃者の私には、くわしい状況はわからないのだが、明らかに民家の中に異変が起きていることがわかる。頭に浮かんだのは、人質監禁か一酸化炭素自殺。

さらに、一人で突入しようとした若い警官に、近所の人たちは、「危ないから」と引き止めていた。そう、突入は二人一組が基本だ。後で思えば住民は、建物の内部に危険な人間がいることを察していたのだろう。

実は、そこでデジカメで写そうかと思ったのだが、事件の粗筋が読めないこと。武器がピストルだと近づいていること自体が危険。

さらに、道路に出ている人の中にパジャマの男性がいる不自然さ、などからして、事件そのものに組み込まれると厄介だ、と判断し、立ち去る。(ちょっと遅刻していたし)

その後、パトカーや救急車、なぜか消防車まで登場してしまう。

後で思えば、事件現場を通った時、まだ被害者は生存していたのだろうが、何かできることがあったのかどうか、考えてもよくわからない。

しかし、最近、自分の行くところに、色々と事件が起こるのだが、単に「世間に事件が増えただけ」ということなのだろうか。