社長も大変!?

2006-11-17 21:47:42 | 市民A
セイコーインスツルが創業者会長(55)を解任した。取締役会の臨時動議によってである。要するに、取締役は株主総会で決めるものだが、代表権は取締役会で決めるものだから、解任といっても平取締役になったわけだ。今後の取締役会に出席するかどうかはよくわからないし、たぶん創業者なので大株主だろうから、巻き返しがあるかどうかよくわからない。解任の理由は、ワンマン経営ということらしいが、本当の真相はなかなかわからない。

最近読んだ本で、関口房朗「金持学」というのがあって、名古屋にパルテノン神殿を建て、住居にしているオッサンなのだが、その他、六本木ヒルズ、プライベートジェット機、日米ダービー優勝馬、40万円のネクタイなど所有しているらしい。彼は今を時めく技術系派遣会社「メイテック」の創始者。ゼロからスタートして上場に至り、巨額の資産が転がり込んだと思ったら、臨時取締役会で社長を解任。似ているのは解任のところだけかもしれない。

そして、このニュースは目を疑う。

本間ゴルフ工場を放火した疑い、4人逮捕 前社長も
2006年11月17日20時00分
 ゴルフ用品大手「本間ゴルフ」(本社・東京)の酒田工場(山形県酒田市)の研究棟が全焼する事件が2月末にあり、山形県警は17日、同社の前社長本間秀一容疑者(43)=大阪市浪速区湊町2丁目=ら4人を、建造物侵入、非現住建造物放火などの疑いで逮捕した。
 逮捕したのは、ほかに韓国籍の大阪市浪速区湊町2丁目、会社役員劉文度容疑者(65)と、息子で名古屋市中区新栄1丁目、風俗店員劉成植容疑者(37)、成植容疑者の妻で無職稲田美香容疑者(39)。
 調べでは4人は、2月27日深夜から翌日未明にかけて工場に侵入、鉄筋プレハブ平屋建ての研究棟に灯油などをまいて全焼させ、別棟もガソリンなどで焼失させようとした疑い。本間容疑者は「関係ない」と全面的に否認しているという。
 酒田工場は同社の国内生産拠点。同社は昨年6月、東京地裁から民事再生手続きの開始決定を受け、本間容疑者は3月7日、社長を退任。県警は社内でトラブルがあったとみて調べている。
この本間の倒産については、以前、2005年09月28日本間ゴルフは再生できるかなあ??で取り上げたのだが、投資ファンドがはいって、創業者を追い出さないと再建困難だろう、と当時、予測したのだが、事実はそうなっていた。しかし、日付を確認すると、放火をしてから8日後に解任されている。保険金?韓国籍の容疑者と、なぜ、放火に走ったのか?もう少し続報が知りたい。

それにしても、2004年12月には「世界バリバリバリュー」に登場したのにわずかな間にこのありさま。奢れる者は・・酒田で本間と言えば・・そして、これで終わりなのだろう。 

JUDY KANGさんを聴くには

2006-11-17 00:00:31 | 音楽(クラシック音楽他)
2006年10月5日韓国交響楽団は韓国的だったの中で、韓国系カナダ人女性ヴァイオリニストのジュディ・カンさんのことを書いたところ、コメントで彼女の友人といわれる「ハシモトナオコ」さまから、「シベリウスの協奏曲のCDがある」との情報をいただいた。

そうなると、性格的に、何とか入手して聴いてみたいと思ってしまう。なんとなくCDなど何万枚もプレスするのだから、手に入れられないわけないだろうと思って探し始めるが、そう簡単にはいかない。まず、Amazonを探すが、見当らない。「Judy Kang」「ジュディ・カン」などにヒットしない。さらに「シベリウスのヴァイオリン協奏曲」から攻めても、出てこない。その曲は○大ヴァイオリン協奏曲という範疇の大名曲で、幾多のアーティストのCD中から探すのは、大変な苦労だ。大演奏家 Kyung-Wha Chung さんは何枚も出しているが、それは私も何枚か持っている。古い世代と新しい世代の演奏方法の差は大きい。

もとろんCDを売っているのAmazonだけではない。HMV、タワーレコードなど色々ある。例えば、こういうリストがあり、片っ端から調べても新品も中古も出てこない。どうも日本国内版はないし、輸入版もネット上には、見当たらない。そこで、次に渋谷に行き、タワーレコードで探してみる。なぜ、ここに狙いをつけたかというと、本家アメリカのタワーレコードがつぶれたからだ。在庫品が宙を舞っているのではないかと、見当をつけてみたのだ。しかし、そんなものはどこにもなかった。十数年前に日本に上陸したときのように、ダンボールにCDを詰め、並べて売っていたような雰囲気はどこにもない。その代わり、他のDVDやCDを衝動買いしてしまった。この作戦も失敗。

それではと、アメリカ版のAmazonを調べていたら、新品はなかったのだが、やっと1枚15ドルの中古CDを見つけた。品質はGOODと書かれていた。

しかし、誰かわからない米国人と中古CDの取引をする気にならないのと、それを買ってもジュディ・カンさんの手元には1ドルも入らないだろうし、応援にならないわけだ。

a6797a60.JPGそして、さらに調べていると、ネットの中の思わぬところに出た。

まず、ホームページがあった。これがなかなか手のかかったものだ。演奏付きである。何もしなくても5曲ほど演奏のさわりを聴くことができるのだが、色々とやっていると、iPOD の表示がでてきて、3曲の完全演奏を聴くことができる。シベリウスのセレナーデは絶品である。シベリウスと彼女のマッチングはかなりいい。高音部を、変に落としたりずらしたりしないで滑らかに弾いていく。シベリウスの故郷であるフィンランドと彼女の出身地カナダのオタワは気分の似た町なのだろう。森と湖と深い霧というイメージで白い霧の中から聞こえてくるちょっと寂しさのある調べ。

ただ、大きなきがかりは、画像が、ずいぶん感じが違う。同じ人物かと思うほど違って見えるのは、何かタネがあるのかな・・・

そして、さらにMyspaceに彼女のスペース(と言い方がいいのかよくわからないが)があった。こちらでも何曲か聴けるし、どうもいくばくかを支払うと、ダウンロードできるような感じだ。少し読んでみると、現在はニューヨークに住んでいて、派手な友達が多いようだ。なんとなく、大演奏家への道から遠ざかっているのではないかと心配になってしまう。しかし、こういうのがMyspaceなのだろう、と感心してしまう。押しの強い人向けのSNSだ。

a6797a60.JPGそして、日本語版への加入を促す表示が現れ、さっそくβ判に登録してはみたものの、まだ、どのグループも希薄で1名とか数人しかいない。ブログのコーナーもあるのだが、これから、少し考えてみようかな?というところ・・よく読むと、90日間、雨ざらしにすると、消去されるらしいのだが、・・・冬休みの楽しみにしておく(もし休めれば)。Your Network のところには129,069,382とすごい数字が書かれている。  

ビーノ・ノヴェッロ到着

2006-11-16 00:13:51 | マーケティング
2e71dab2.jpgビーノ・ノヴェッロ=ワインの新酒である。ということはボジョレ・ヌーボーと同じかといえば、似たようなもので、イタリアの新酒である。1ケース6本1万円で、今年も到着。11月15日夜。

ボジョレ・ヌーボーの方は、今年は11月16日が解禁日なので、なんとか出し抜けた。もともとイタリアでは11月6日が解禁日だったそうで、9日目に到着。ボジョレは、100機以上の専用機で数日間に大量が日本に到着し、解禁日を倉庫で待つのだがイタリアノヴェッロは地味もいいとこだ。あっさり、さっぱりのフランスヌーボーと較べると、ノヴェッロはしっかりとした深みと渋みを持ち、その色も濃い。そして日持ちもいいので、お正月用にと思いながら、クリスマス前までには全部飲んでしまう。

14日に検診で胃部レントゲンを撮影したのだが、他の受診者より、時間長めで念入りに撮影が続いたので、「まずいなあ、ワインが飲めないかも」と愚かな観念をしたのだが、今のところまだお咎めはない。さっそくコルクを抜く。腸の方でバリウムと赤ワインが混じってしまい、明日が楽しみである。

さて、3年も続けてこのケースで注文しているのだが、3年前は為替の方は1ユーロ100円強だったのが、今や150円。商品価格に転嫁しているのだろうか?あまり上がっている感じがない。なかなか苦しいはずだ。ユーロ切り替え前はイタリア・リラは欧州最弱通貨と言われていたのだから、ユーロになって大成功である。輸入業者もリラの時代に先行き10年分くらい為替予約していればよかったのだろうが、どうなのだろう。

ところで、日本と欧州の経済が3年間で1.5倍も力が離れたという実感はまるでないわけである。それなのに、この為替の変動幅の原因は何か、と言われてきちんとした説明など聞いたことがない。ということは、ユーロを導入した時から、次々とユーロ圏を拡大したことに起因していると考えられる。つまり欧州内の弱い通貨が駆逐され、強いユーロに牽引されているということである。事実、スペインなどはかなりの経済成長を拡大している。一方、マルク・フランなどの御威光はそれほどでもないのだろう。

そして、一般的に欧州の巨大企業は、ユーロ圏内での新販売市場を手にいれ、一方で、相対的に安い労働力を使うことにより、さらに収益を増加させている。

ただし、ポーランドに構築中の「ミサイル迎撃システム」はある大国を怒らせているので注意が必要である。ポーランドの先にあるのはロシアであり、そうなると仮想敵国はロシアということになる。日本海とは違うのだから。  

アリストテレスの鼻の意味

2006-11-15 00:00:21 | 市民A
数週間前のニュースで、アリストテレスの鼻がワシ鼻だったことがわかった、との報道があった。


哲学者アリストテレスの胸像を発掘
【ローマ26日共同】アテネの古代遺跡アクロポリスの発掘調査を続けているギリシャ文化省は26日までに、哲学者アリストテレス(紀元前384―322)がわし鼻だったことを示す胸像を発掘したと発表した。
 発掘責任者のアルキスティス・ホレミス博士によると、胸像は1世紀末から2世紀初めに作られた複製。これまで同じオリジナル像からの複製が19点見つかっているが、いずれも鼻が欠けていた。今回のは鼻の部分が残っており、オリジナル像がわし鼻だったことが初めて分かったという。
 ホレミス博士は「文献には彼はわし鼻と書かれており、記述通りの像が出てきたことは意義深い」と話している。
 像は高さ44センチの大理石製。パルテノン神殿があるアクロポリスの丘のふもとから2005年に発掘され、分析が続いていた。 

6d34cb3b.jpgおりしも、世界史の未修問題が話題になっているのだが、仮に、人類がナショナリズムとレーシズムを克服できないとすれば、あと100年後には、このアリストテレスの鼻の形は、歴史認識の裏側で大きな意味を持つのかもしれない。

まず、アリストテレスはプラトンの弟子。そしてプラトンはソクラテスの弟子である。登場したのはギリシア時代の終わりの方だ。何しろ、紀元前1200年前に、ギリシアは「トロイの木馬」戦法で小アジアを制圧。その後、アテネ=スパルタ対決など経て、長い長い都市文明を築いていたわけだ。皮肉なことに、その末期に至って、この3人の哲学者を得る。

哲学といっても、現代的な意味では少し違うかもしれない。社会学、物理科学、歴史など総合科学である。畏れ多くもこの3人を比較すると、「あーでもないこーでもない」と問題をあれこれ悩んでいたのがソクラテス。その疑問に概念的な解を与えたのがプラトン。そしてそれを体系化し、さらに実証してみたのがアリストテレスということだ。そして、アリストテレスはマケドニアの王、アレクサンダー大王の家庭教師だったわけだ。

6d34cb3b.jpgこの二人のうち、プラトンとアリストテレスの思想が、少し方向が異なっている。そして、この二人の差が、それ以降の世界のできごとに微妙に影響を残している。プラトンは都市国家アテネの盛衰の中から、デモクラシーという政治形態の長所と短所を多く論じ、アリストテレスはポリス至上主義に近い。(英国と米国の政治体制の差のようなものだ)

高校の世界史は、広く浅く習うものと相場が決まっているのだが、世界史というのを、「起きた事象の暗記」ではなく「歴史のダイナミズムの基本法則を学ぶこと」と考えれば、このプラトンとアリストテレスを学ぶだけで十分と考えられるのだ。


基本構造から言えば、プラトンの説くデモクラシーとは、独裁政治、多頭政治の弱点を補うため、「優れた独裁者のいない場合の次善の政治体制」と定義している。日本語訳として、民主主義ではなく”衆愚主義”とする場合がある。そして、優れた独裁者というのは、まず、いないわけだから民主主義が安定しているということだ。

一方のアリストテレスは、その市民たちを束ねる「国家」を規定する。いわゆる国家主義のはしりである(ただし、小国家)。ところが、アレクサンダー大王は家庭教師の言うことがよくわからなかったのか、あえて無視したのか、国家膨張に走る。

そして、大王は、「哲学も重要だが、科学技術も重要である」と説き、国家予算のかなりの部分をアリストテレスの研究施設につぎこむ。そして、哲学者は、当時としては革命的な原子論(水・金・火・木・土)を展開する。

そして、その後、世界の国家はこの二人の師弟関係の哲学者の二つの考え方である民主主義と国家主義の間をいったりきたりする。

米国が民主主義なのか国家主義なのかは読みにくいところもあるが、現代は、多くの国民が国家主義で一部の人が市民主義ということだろう。「星条旗の元で人々は平等だ」というようなプチ国家主義が多いように思える(民主党若手にその気配を感じている)。


そして、再び鼻の話に戻ると、アレクサンダーはマケドニアの王である。つまりギリシアより東方の人物である。そしてその師であるアリストテレスもやはりマケドニアから来たのだろうと考えられていたのだが、元々、ギリシア系なのかトルコ・アラブ系なのかということははっきりしていなかった。

そして、わし鼻ということになれば、簡単に言えば、要するにヨーロッパ系ではない、ということになるわけだ。だから、アジア人は民主主義が似合わないんだ、というようになるのだろうか。  

名古屋城を探索

2006-11-14 00:00:23 | The 城
名古屋に行く機会は何度もあるが、関東からだと日帰りで、仕事が終わるとサヨウナラということで、なかなか名古屋城に入ったことがなかった。無理に行こうとも思わなかったのは、現在の天守閣は再建だし、エレベーターまである。それに、城にまつわる有名な話は本で色々読んでいて・・つまり、「本物の価値」は大きい、ということの裏返しの気持ちだ。しかし、城に登るにちょうどいい時間が余ったため、ちょっとのぞきに行く。行けば色々考えることがあった。

ce954891.jpgまず、屋外で菊人形展をやっていた。派手なポスターがあちこち出ているのに、すごく小さな展示なのだが、これがすべてだったのかどうかはよくわからない。全然、予想と違った。電動で菊人形が動く。もちろん、主役は、徳川宗春公。尾張の中興の祖である。現代の名古屋独特の文化の多くは、この殿様の時代に発現した(八丁味噌は江戸初期)。松平健主演の「暴れん坊将軍」では、紀州出身の吉宗を、将軍争いのライバルの尾張の宗春が暗殺しようと刺客を放つというのが、基本テーマの一つで、すっかり悪役になっているのだが、緊縮財政の吉宗でなく、高度成長派の宗春が将軍になっていたとすると、間違いなく、日本史は大きく変わっていただろう。もっと早く、開国して、現在のアメリカのような大国になったかもしれないし、最盛期の清国と大戦争をして敗北を喫し、現在の台湾のようになっているかもしれない。

そして宗春公の傍らに侍るのは「側室」と書かれていて、名前も書いてもらえないのだが、では由緒正しい出の正妻はどこに行ったのだろうと思えば、御三家といえども妻は江戸にいるわけだ。そして、江戸は政治都市で堅苦しいのだが、地元にいれば殿様は無敵の存在。あちらこちらと教養より美貌という基準で女性を侍らせ、跡継ぎを作っていたわけだ。これでは、大名の遺伝子的レベルが下がる一方で、幕末には、知能の優れた大名は、きわめて少なくなっていた。15人の徳川将軍の中でも、正妻の子は家康、家光、慶喜の三人だけである。そして、徳川尾張家も宗春の後は、江戸徳川本家によって、養子などを強要され、家系をめちゃめちゃにされる。

ce954891.jpgそして、現地ではわからなかったのだが、城全体の縄張(設計図)を書いたのは、私のご贔屓の藤堂高虎だったようだ。1610年。関が原の後、大坂の陣の前だ。私の知る限り、既に藤堂高虎は、城の縄張には、飽き飽きしていたと思うので、ラフなスケッチを書いたのではないだろうか、と想像。堀割りは北西側には大きな水堀で防衛力を強化しているが、東南側には空堀もある。西からの攻撃に備えた相手は豊臣勢なのだろう。なお、空堀があることについて、「名古屋人はケチだから堀の水も節約した」と言われているのだが、あたっているかもしれない。

次に、天主閣の石垣だが、これは大問題である。遠目で見て、「アレは!」という声が出そうになる。まさに加藤清正である。石垣が急角度で反っている。清正が大石に乗って、運搬員を扇子で激励している銅像があるが、あえて、ある重大な事実を無視している。

ce954891.jpgこの石垣の積み方こそ、韓流である。石垣の裾の傾斜は緩いが、上るにつれ急角度となり、最後はほぼ直角で、よじ登れない、という構造。熊本城にその例を見る。また韓国の蔚山市に残る倭城は清正が作ったものだが、ここが、熊本城、名古屋城の石垣の基本モデルである(なんだか、書いていて、ウルサンに現物を見に行きたくなる。現代自動車の本拠地だ)。朝鮮戦役で日本から持っていった唐辛子との交換で持って帰ったのは強制拉致した有田焼きの陶工とアケガラスだけではなかったのだ。石垣築城術もそうだったわけだ。

余談だが、江戸時代以降、全国数百の天守閣のうち、実戦で攻防戦があったのは、大坂城、原城、五稜郭、そして熊本城(西南の役)と言われるが、熊本城だけは落城しなかった。

そして、ここで、右脳感覚で考えてみると、この韓流石垣だが、一方で、石垣の上にのせる天守閣の設計も並行して行われているはずである。何しろ戦闘用の城なので、ぐずぐずできないから同時並行作業だったはずだ。ところが、石垣は無論、下から石を積むわけだ。そうすると、この曲面城の石垣を組み終わらないと、天主閣をのせる天主台の大きさが決まらないはずだ。天主台ができてから上物の設計を始めると、全体の完成が遅くなる。同時作業が進むためには、まず天主台の大きさを決め、そこから石垣の底面積とその位置を決めてから石を積み始めるはずだ。同時に材木や瓦の調達を始める。どうやったのだろうか。

こういう資料の乏しい問題を考えるのには、想像力が必要なのだが、つい最近思いついたのは、縄を使ったのではないだろうか、ということだ。この加藤流の石垣のカーブは、縄をたるませた場合のカーブとほぼ同じように見える。結構、確信している発見だ。材木で天主台の枠組みを空中に仮組みしておいて、そこの四隅から八方に縄を伸ばして、自然重力のカーブをとり、それにそって石を積む。

藤堂高虎の高石垣と対照的な、この曲面城の石垣について、韓国渡来と書かないのも、歴史認識課題だろう。

ce954891.jpg次に、空襲で焼けた本丸はただの広場になっている。襖絵など数々の美術工芸品とともに、燃え尽きた。天守閣も一緒だ。そして、金の鯱も一緒だ。あれだけ目立つ建物なのだから、空襲の目印に使われたのだろうと、嘆く向きも多いが、その分、市街地へ落ちる爆弾を身代わりに浴びて犠牲者数を減らしたのだと考えれば、清正にとっても高虎にとっても本望なのかもしれない。

そして、天守閣は大きい。展示は、下階から順に上ぼりながら見ていく構造なのだが、軟弱にも嫌いなエレベーターで上までいってから、逆順に時代を追うことにした。日本の各地には、江戸時代に作られた城番付というのが残る。城というのは、主に天守閣と本丸の合計で評価すべきものだが、だいたい、名古屋と大坂が両横綱になっていて、東大関が姫路城というのが多い。そして江戸城は番外ということで、中央の行司の欄に書かれていたりする。一方、江戸時代はどんな風狂な城好きでも、全国城行脚など認めてもらえないわけだから、こういう番付は、隠密の手(知識・意見)によるものと考えるべきなのだろう。




ce954891.jpgそして、この巨大な鉄筋コンクリート名古屋城を一巡りして見ると、もっと巨大な江戸城天守閣を原寸大で再建するなど、やめたほうがいいだろう、という思いになるのだ。これで十分だ。どっちにしろ歴史上、失った本物は戻ってこないのだ。  

芸術家にふさわしくない県

2006-11-13 00:00:47 | 美術館・博物館・工芸品
週末に千葉方面に行ったので、大急ぎで寄ろうと思った場所が二ケ所あった。その一つが、JR京葉線”千葉みなと駅”近くにあるはずの、千葉県立美術館。千葉県の高校生の美術部の展覧会。どうして、こういうところに行ったかと言えば、以前、近代的な千葉市立美術館で、たまたま目にした千葉南高校美術部の作品を観て、「群を抜いている」と書いたところ、その高校生たちから、今回の展覧会の情報をいただいたからである。もちろん、別件で千葉方面に行ったからというのも現実的な理由なのだが。

ところが、よく調べずに行ったものだから、大変なことになる。場所がわからないのだ。何しろ、駅には右と左の矢印だけで、県立美術館が左側(海側)ということは表示されているのだが、地図はない。地図はなくても、こういうのはすぐわかるものなのだが、左に進むと、しばらくして海に突き当たってしまう。少し、見当をつけ、歩いてみるが、そのあたりは、役所や外郭団体やギルド的同業者団体(建設業や、税理士や水道工事業者など)の大きな敷地とビルが並んでいるだけである。そして、それらの建物は週末は休みなので、歩行者も誰もいない。

そして、致命的なのは、駅を含め、道路上にも、どこにも地図がないということ。さらに、やっとの思いで、歩行者や自転車の人、合計3名に聞いてみたが、誰もすぐそばにあるはずの美術館のことを知らない。ようするに、美術なんか興味がない人には美術館は見えないのだろうか。しかし、興味がなくても美術館というのはどこでも目立つ建物なので、存在を知らないというのは、どういうことなのだろうか、と思ってしまう。そして空しく時間が過ぎていき、やっと1枚の電柱に取り付けられた小さな看板を見つけたのだが、これが路地の中にあって、その矢印が、近くの大通りを曲がることを意味するのか、看板そのもののそばのさらに小さな路地を曲がるのかもよくわからない。

大通りを少し行ったところに、かなりデザインの入ったガラス張りのいかにも美術館風の建物があり、そこかと思うと、「VOLVO」のショールームなのだが、赤字経営でVOLVOに払い下げたのだろうか、と本気で思ってしまいそうだ。

44258622.jpg結局、もっとも行きたくない場所に道を聞きに行くことになる。「千葉中央警察署」。一瞬、自首に来た容疑者のような視線を浴びる。

要するに、美術館は、この官庁や談合の温床となるだろう同業者ビル群のさらに奥にあった。さらに、その建物に近づいてからもどこが正門かわからず、駐車場マークの出ていない方へ進むと、裏口から入ることになってしまった。建物も、だいぶ古いのだろうが、全国県立美術館ランキングでは、最下位候補なのではないだろうか。千葉県の芸術家は公共的支出の優先度合いで、虐げられているということだろう。

そして、狭いスペースに各高校美術部から大量の出展があり、展示は賑やかなのだが、生徒は少ない。おそらく、世界史や家庭科の補習をしているのだろう、と同情(本当は、無料で追加的にたくさん授業を受けられるので、被害者のように同情することはないのだろうが)。

44258622.jpg千葉南高校はやはり大量出展していて、作品の画風もさまざまであり、多くの部員が優秀な先生に指導されていることがわかる。芸術は個性の表現であるわけだから、基礎をほどほど終えたら、好きなようにすればいいわけだ。現代は様々な芸術が自由である。

受付で、撮影してもいいかと聞いたら、奥の方から、大人がでてきて、「撮影している人はいますよ」と、いかにも教師的なお言葉をいただく。まあ、それで著作権がいいわけでもないことは十分知っているので、数枚の撮影画像は、撮影技術が悪いこともあり、コチラコチラコチラに隠しておくので、クリックのこと。最初の1枚は井澤明希子さんの作品、後の2枚は小坂梨絵さんの作品。

でも、芸術家を目指すなら、この芸術に冷たい県を捨てて、寺山修司のように東京に出ていかなければなければならないかも知れないとは思う一方、わずか数十分で都心に着くベッドタウンであるわけだし、パリに対して南フランスの柔らかな陽光を持つアルルがあるように、この千葉県の南側には、絵画向きの太陽があるのも事実だ。


さて、町を疲れ切るまで歩くのは嫌いではないが、どう考えても無駄歩きをしてしまったので、二番目の目的地はあきらめるしかなくなった。千葉市動物園で、直立レッサーパンダの風太クンの二頭のジュニアが公開される時間は16時までだったからだ。次のチャンスに行くしかないが、可愛い動物の赤ちゃんはすぐに育ってしまい、大人になってしまうよ・・  

西武の売り物

2006-11-12 00:00:56 | マーケティング
73e98b3c.jpg松坂投手に対するポスティングが終わり、超高額金額の提示があったようだ。この制度も奇妙なルールで、球団に支払うべき金額が決まったとしても、本人の交渉がまとまらないと、すべてナッシングとなる。入札する方だって、合計金額が支払えるかどうかというのが最大の問題なのに、球団と選手と二分割して札を入れなければならない。そして、選手との交渉がうまくいかないと、結局、バッシングされることになる。ただし、松坂を基準と考えれば、今後数年は、これ以上の物件があるわけではないので、上値を限定する意味があるかもしれない。球団も、巨額を払うなら、何か、想定勝数にならなかった場合を想定して保険でもかけたい、と思うかもしれない。

ところで、1年前を思い出すと、西武グループの経営再建問題で、この球団売却の話があった。確かIT系企業とか名前が出ていたような記憶がある。そして、その時は、売却の話は流れたのだが、今、振り返ってみると、西武は球団と松坂と別々に切り離して売るつもりだったのではないだろうか(一応、過去形で書いてみたが、現在形かもしれない)。

逆に、西武球団を買おうと思った企業があったとしても、松坂がいるかいないかで、球団の価値も変るし、またポスティング権の含み益があるのかないのか、はっきりしない。そういう意味で、松坂がいないならいないで、不確定要素が減少したほうが、球団買取価格も算定しやすいだろう、と思う。

そういう意味で、松坂問題が終了したあとは、西武球団売却問題が湧き上がる可能性があるのではないかと、少し思う。


一方、西武グループは不良資産の売却を進めていて、プリンスホテルをだいぶ処分した。結構、妙な場所に巨大ホテルを建てている。それぞれのホテルができたときには、それなりの合理性があったのかもしれないが、どう考えてもよくわからないものも多い。

そして、そのうちの一つ、幕張プリンスを「APAグループ」に売却している。APAといえば元谷芙美子さんという方が名物社長で、富山とか石川とか、北陸発のビジネスホテルチェーンだったと記憶している。富山で泊まった気がする。実は、その「元幕張プリンス、現APAホテル&リゾート東京ベイ幕張」に小さなパーティの会場探しの打ち合わせに行ったのだが・・

少し、現地に早めについたので、以前、何度か利用したことのある50階のスカイラウンジで昼食でも済ませようかとシースルーエレベーターで50階に上がったのだが・・・

まあ、最低最悪だったわけだ。現地集合でバラバラに集まるからしかたないのだが、一人でくるお客というのは完全に無視。今年最大の不愉快になった。詳しく書く気にもならないが、ののしりのコトバが半ダースほど思い浮かんだのだが、口には出さないことにする。ちょっとサービス業としては信じられない態度だ。冷静に考えれば、最近、ゴルフ焼けなので、日本語の話せないアジア系の人間と思われたのかもしれない。あるいは、ホテルのことは知らないが英語だけができる、という社員をあわてて集めたのではないだろうか。サービスの基本の前にクレーマー対策でも教わったのだろうか。どうみても檻に関係する公務員の方の眼光と同質の視線を感じた。結局、怒りがこみ上げてきて、何も食べずにホテルを出る。

『絶対にこのホテルでパーティーをしてはいけない』ことがわかったことだけが、前向きに評価できる。ついでに書くと、ホテルの47階から49階までは改造工事中だったのだが、海の見える大浴場になるようである。浴衣でホテル内を闊歩するのだろう。今後、あらゆる用途で、絶対にこのチェーンをつかうことはないと思う。


そして、昼食は、JR海浜幕張駅の前の「ロッテリア」で「ボビー・バーガー」で済ませることになってしまうのだが、比較優位論により、すばらしいサービスに思えてしまう。ここのロッテリアのユニフォームは、ロッテの野球チームの黒いユニフォームと同じデザインだったのだ。要するに、すぐそばにロッテのホームグラウンドの千葉マリンスタジアムがあるからだろう。

ボビー・バーガーはパイナップルを使ったテリヤキ仕上げなのだが、もしかして2月にはチョコレート入りのバレンタイン・バーガーとか発売するつもりなのだろうか。もっとも、チームの中で、監督が一番有名というのでは、セリーグのあるチームのようでもあり、ハラハラする。

強欲な名人戦交渉と将棋博物館閉鎖

2006-11-11 00:00:09 | しょうぎ
名人戦主催問題は、朝日、毎日の対決構造から一転して、朝日・毎日共催の方向に進んだのだが、それで解決したわけではなかった。今度は、将棋連盟×朝日・毎日連合という新しい対決軸に変っていた。スポンサーが二社なのを狙って、将棋連盟が高いことを言い出したわけだ。NIKKEI NETでは新提案について、以下のとおり報じている。


(11/8)<表>朝日・毎日両社に対する連盟の提示額
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8日分かった日本将棋連盟から朝日・毎日両社に対する提示額は次の通り。

◆将棋連盟の提示額
・朝日・毎日両社に対し
 名人戦契約金 年 各 2億円(5年契約)
 名人戦振興金 年 各 3000万円(5年間)
 普及協力金  年 各 1億円(5年間)
    (小計 年  6億6000万円)
・毎日に対し
 王将戦契約金 年 7800万円以上
・朝日に対し
 朝日オープンに代わる新棋戦契約金 年8000万円

◎両社合計 年8億1800万円

◆現状
・毎日
 名人戦契約金 年3億3400万円
 王将戦契約金 年7800万円(スポーツニッポン新聞社と共催)

・朝日
 朝日オープン契約金 年1億3480万円

◎両社合計 年5億4680万円

(参考)朝日が今年3月に提示した名人戦単独主催の契約金額
 名人戦契約金  年3億5500万円(5年契約)
 普及協力金   年1億5000万円(5年間)
 臨時棋戦契約金 年 4000万円(5年契約)

合計 年5億4500万円

実は、手前ミソだが、今年5月16日「毎日・朝日共催案」は妙手か悪手かにほとんど同じようなことを予測して書いたのだが、コメント欄で非難されたように、「そんなことありえないはず」が「あり得るはず」のような交渉展開に実際になってきた。

要するに、毎日に対しては、今も4億1200万円払っているのだから、一度失いかけた名人戦が掲載できるのだから、4億0800万円払いなさいというものだ。今より400万円少ない。(ただし、王将戦には7800万円以上と「以上」の文字が付け加えられているのが少しおかしい。払うわけないだろう)

朝日に対しては、もともとの提案は5億4500万円なのだから、4億1000万円ですむのだから1億3500万円も得ではないか、と言っている。

要するに、三方一両得ではないかと言いたいのだろうが、どうも一方千両得の構造のようだ。さらに名人戦のレートが6億以上になることを、竜王戦主催の読売にぶつけて、「名人戦より安ければ、棋戦順位一位の座は返上していただきたい」とか脅して2、3億のプラスアルファーを要求するのだろうし、産経、日経が主催の安い棋戦の主催料も少しずつ上積みしようということなのだろう。

もう少し、良識がある人たちではないかと思っていたのだが、これではバブル貴族と同じように思える。

そして、以前、問題定義した将棋博物館は、10月末で、突然、閉館してしまった。こちらも説明抜きだ。儲からないから、やめるのだろうが、そんなものでいいわけないだろう。要するに、おカネ以外興味なしということだろう。

さらに、将棋博物館には、目録がないということで、コレクションの中心であった、江戸の家元大橋家に伝わる大橋コレクションと、14世名人木村義雄氏が私財で集めた木村コレクション、そしてその他の小品などが、混ざってしまって、誰から貰った物かわからなくなってしまっているそうだ。しかし、目録のない博物館など聞いたことがない。少なくても、一点ずつの写真とかでもあれば分離できるのだろうが、「全部混ざったこどものおもちゃ箱」になっているということだ。

b04fe834.jpgそして、もちろん実社会のバブル紳士はすべて全滅してしまったのではあるが、将棋連盟の強欲プランはどうなるのだろうか?おそらく、難航するだろうとは予測できるのである。



さて、前々回出題の詰将棋の解答は、こちらへ。

指しにくい手が3連発になる。理想的には、美しい筋の手と、重く指しにくい手と、気付きにくい好手をすべて取り込んだ作品がいいのだが、そうもいかないのが浮世の常である。

b04fe834.jpg今週の問題のヒントは、糸口をつかむことと、6手目の変化を解決すること。以前、ネット上で某氏の作品を改造していたところ、まったく似てもないものになってしまったもので著作権1/2、ここだけで発表。

解けたと思われたら、コメント欄に最終手と手数をいただけば、正誤判定。  

将棋界でもM&A(将棋倶楽部24の譲渡)

2006-11-10 22:22:06 | しょうぎ
a272e365.jpg無料将棋サイトである将棋倶楽部24が、オーナーの久米さんから将棋連盟に譲渡されたそうだ。対価は秘密ということだが、かなりの高額ではないのだろうか。
会員数20万人(そのうち二人は私なのだが)。

問題は、
1.いずれ有料化されるのだろうか?
2.将棋連盟の段位より約二段辛い段級位の認定レベルの統一はあるのか?
といったところか。
そして、将棋連盟は会社ではなく、社団法人なのだが、会計、税務上の問題はないのだろうか?まったくわからない話だ。

既に、将棋倶楽部24のトップページに将棋連盟のフレームが早くも組み合わさっているが、ちょっとデザインが重いような・・  

ウィーン美術アカデミー名品展(~11/12)

2006-11-10 00:00:07 | 美術館・博物館・工芸品
bf667078.jpg新宿の損保ジャパン美術館で11月12日まで公開されている「ウィーン美術アカデミー名品展」へ行く。この展覧会では、ルネサンス以降、絵画が宗教画として教会の客寄せの看板から脱却し、芸術として確立していった段階から、ルーベンスやレンブラントの時代を経て黄金時代を迎えていく継ぎ目の部分の作品を中心に展示している。芸術性が段々と輝いていった時期で、肖像画だけでなく、風景画や題材を虎などの動物にとったりしている。

そして、絵画史がまさに動き出したのが、オランダであるのだが、それらのコレクションを100年後に、ウィーンが収集したのは、そこが欧州の富の中心だったからで、その権威の中央に君臨したのが、ハプスブルグ家である。

地図をみると、ウィーンは地理的には欧州の中央とはいえない。かなり東よりだ。周りは森ばかりで、パリなどの大都会に行くには、深い森の中の街道を進まなければならない。そして、その天然要塞が、ハプスブルグ家を650年間も君臨させた理由なのだろう。

この美術アカデミーが完成した頃のウィーンでは、モーツアルトやシューベルトが活躍している。では、この町が音楽の都である一方、美術の都にならなかったのはなぜか、といえば、音楽と美術の質の違いによるのだろう。当時、音楽は、じかに演奏を聴くしか方法はなかった。CDもテープもない時代だった。演奏者を集めて、そこで貴族たちは生演奏を楽しんだはずだ。

一方、美術の方は、絵画はどこで描いてもいい。オランダに行って、完成品と札束とを交換して、馬車で運んでくればいいわけだ。

そういうことで、どうしてもウィーンは音楽の町になっていったのだろう。

話をウィーンからオランダに移せば、そこは当時日本と細い糸で貿易を行っていたわけだ。よく北斎の浮世絵を欧米の画家が参考にした、とされているが、逆に広重の53次など、オランダからの影響を受けているのではないだろうか(と、小さな声で・・)。コレクションを見ながら、ふと思った。  

水木しげるは妖怪だった?

2006-11-09 00:00:15 | 書評
432a7a95.jpg毎年100冊を目標に読書をしているのだが、今年は微妙。現在71冊。あわてて図書館で本を借り込み、読みまくりはじめる。その中で、今年読んだベストワンがあった。「生まれたときから『妖怪』だった」水木しげる氏の自伝である。

水木しげる氏と言えばゲゲゲの鬼太郎。日本人で鬼太郎を知らないのは「もぐり」だ。その作者、水木しげるは戦争で左手を失い、右手一本で、数あるユニークな妖怪たちを描き上げる。出身地は北朝鮮貿易で有名だった鳥取県の境港。そこに博物館もできている(近くに行ったことはあるが、まだ・・)。そして、彼の一生を自身で振り返った著が2002年に出版された本書である。

さて、古今東西、優れた伝記というのは、面白いものなのだが、第三者が時代を経て、世間の評価が固まった頃、書くのが通例である。その人の一生を縦糸にし、様々なエピソードを横糸に織り込んでいけばいい。読者もこどもの頃からのできごとを順に読んだほうが因果関係が理解しやすい。

ところが、一般に、自伝は当の本人が書くから始末が悪い。人に知られたくないことは書かない。また、あまりに人生と言うのは主観的なもので、後で考えれば非合理の塊なわけで、それを自分勝手に合理的に説明しようとするから無理がある。さらに、中には「自慢話」を並べて、講演会で売りつけたりする人間までいる。記憶と言うのは、新しい方が鮮明なので、新しいほうから古いほうへ時間が進んだりする。

しかし、本書は珍しい例外として、非常に感動的に仕上がっている。まず、奇妙なのは、自分の呼び方だ。普通は、「私」とか「わたくし」、「僕」、「俺様」、「朕」、「小生」、「筆者」とかになる。では、水木しげるは本書の中で、自分を何と呼んだか?

「水木サン」だ。もちろん、大部分は「私」を使っているが、時々、自分を強調するときに「水木サン」が登場する。要するに、主観を避け、なるべく客観的に書こうとしている。

では、彼のこども時代は、というと、絵が得意なだけで勉強のできない子だったそうだ。しゃべるのも遅れ、小学校は1年遅れで入学。絵が得意なので、山下清少年と比較され、大いに傷ついたそうだ。勉強ができないといっても、山下少年と一緒では・・と言うことだったらしい。そして、彼の絵画の実力は小学校の先生方にも大いに理解されていて、その人たちが色々と骨を折ってくれていたそうだ。

しかし、時は戦争に向かっていて、絵の勉強をするためと、学校に行けば徴兵年齢が遅くなることから美術学校を目指すことにしたのだが、受験するためには中学を卒業しなければならない。が、それが難航する。小学校のように融通を利かしてくれる学校がなく、どの中学も途中で追い出される。そして、どこでもいいからといって夜間中学に在籍するのだが、しばらくしてついに赤紙がやってくることとなる。

そして、戦争は南方ラバウルへ二等兵として送られるのだが、調子ハズレの彼は、何度も上等兵から殴られる。彼の言葉で言えば、なぐられることによって「私は、コイツラが死んでも、ぜったいに生き残ってやるぞ」という強い気持ちを持ち続けたそうだ。

そして、米軍の爆撃を受け、左腕を負傷。左腕を切除することとなる。本来、それで、本土送還となるはずだが、既に島は孤立、というか戦場から取り残されてしまう。現地住民と交流をしながら、生き残った兵隊たちは、終戦を迎えることになる。

この腕を失った話の裏側に本書最大の感動エピソードがある。

実家で、彼の生還を信じていた母親は、左腕を失ったという手紙を受け取った後、しばらく左手だけで炊事をしていたそうだ。こどもの苦しみを分かち合うことであり、また、帰国後、片手で生活をする時に困ることを事前に調べておこうということだったそうだ。読んで、思わず熱くなってしまった。この親にこの子ありということだ。

そして、帰国後、ほとんど行かなかった夜間学校の卒業証書を入手し、美術学校に入る。その後、あれこれあるのだが結局本人のこどもの時のあだ名である「ゲゲゲ」に到達する。

ところで、絵がうまいだけではゲゲゲの鬼太郎は創れないのだが、ラバウルの森林の中での原住民とのつきあいに始まり、その後、日本国内、世界のあちこちと、実は「妖怪さがし」に行っているそうである。わたしなど、あちこち行くのだが、妖怪にあったことなどないのだが、さすがに大豪は違う。ネズミ男も塗壁も子泣きジイも創作ではなく、発見だというのだ。

たまには、おおたサンもまじめな話を書けば、20世紀後半から思想史的には、「自分さがしの旅」とか「美しい国さがし」とかアイデンティティの復権の時代とも言えるのだが、「青い鳥」の寓話と同じようにそれはどこまで行っても閉鎖曲面の内側を撫でるような結果に陥っているわけだ。水木さんの目に、我々の日常を超えた妖怪が見えるということは、「既に、自分探しの旅などとうに終わっていることだ」と下駄が飛んできそうである。

ならば、水木氏にあやかり、おおたサンもこれから出張の時は、必ず「妖怪」を発見することにしよう、とは思うのだが、夜の街で妙な捜索活動をしていると、逆に「奇人」とか「変質者」とか呼ばわれそうな気が、しないでもない。  

上原彩子のチャイコンライブ2002

2006-11-08 00:00:07 | 音楽(クラシック音楽他)
d7127336.jpg上原彩子は気になるピアニストだ。まさに賛否両論。安部総理のようなもので、新旧世代間の芸術観の差のようなものがある。1980年生まれの彼女が、2002年に開かれた4年に1度の第12回チャイコフスキー音楽コンサートのピアノ部門で優勝した時のライブ盤である。

先に補足しておくと、ピアノ部門では、女性で初の優勝者、そして日本人で最初。そして特筆すべきは、音楽大学出身者でないのも初めてということだ。CD収録は、コンテストのファイナルの選曲であるラフマニノフ「パガニーニの主題による変奏曲」、予選で弾いたチャイコフスキー「ロマンス」、その他シューマンのピアノソナタやショスタコービッチのソナタなど。

まず、ラフマニノフは自分でも大ピアニストであったわけで、躁鬱と闘いながら美しい名曲をたくさん創りだしているのはご存知のとおり。フィギュアスケートの選曲で困ったときは、彼のレパートリーを探せば何とかなる。その生涯最後のピアノ曲がこの変奏曲。24回にわたって変奏が続くラプソティー。途中で間違えるわけにいかない。集中力の中に、非常に細やかな感情のゆらぎが感じられるのと同時に、あちこちに一瞬のひらめきが輝く。当時22歳。ライブの好演である。

そして、チャイコフスキーのロマンス・へ単調は大豪チャイコフスキーが28歳という若さをぶつけた、珍しく熱っぽいメロディ。チャイコフスキーには熟した果実のような名曲が多いが、その中で、この若さが噴き出すような曲を選んだのは、相当の自信の演奏ということなのだろう。彼女に対しての、「平板」という批判を知っているかのようにロマンスではピアノが歌い出す。うまい。この2曲は、彼女の生涯を通しての、記念的演奏となるのだろう。72分の録音を、続けて3回も聞いてしまった。

そして、彼女は音楽大学など行っていないのだが、それではピアノはどこで弾いていたのかというと、3歳の時から「ヤマハ」なのである。ヤマハ幼児科を卒業以降、ずっとずっとヤマハに所属。もちろん、専属の調律チームが同行し、世界のどこへもヤマハのピアノを担いでいく。コンサートがテレビに映ることで、ヤマハの世界進出に加速がつく。長い間、ヤマハの思い描いていた理想のビジネスモデルがついに完成したわけだ。そして、そういう構造がまた頭の中がクラシックなクラシック評論家のお気に召さないわけだ。時に、鬼のような酷評を浴びることがある。

つまり、演奏がプレインで、感情が足りず、自動ピアノのようだという言い方だ(もっとも自動ピアノの腕前はソフト次第だろうが)。そして、案外この評は遠くもなく、最近の若い演奏者たちに特有の、「勝手流の解釈を入れずに、作曲家の原曲に近い演奏をすることにより、作曲家と演奏家が対等に対決し、新たな感動のステージに近づいていく」というようなスタイルであるのだろう。最近、聞いている多くの若手演奏家はすべてそうだ。別に、大家の演奏が嫌いと言うことではないが、それにこだわっていると、そのうち、皆が介護保険の年齢になった時に、聴くものがなくなってしまう。今から、こういう僅かな揺れのある演奏スタイルに慣れておくべきということだろう。

余談1:チャイコフスキーコンクール史について
 曽我ひとみさんの誘拐犯として指名手配されたキム容疑者の弟は有名なヴァイオリニストと報道されたのだが、これは「キム・ソン・ホー/Kim,Sang Cho氏」と思われる。1978年のヴァイオリン部門4位。同率4位のダニエル・ハイフェッツというのは、有名なハイフェッツのこどもなのだろうか?よくわからない。そして、5位は日本人で清水高師氏、同年のチェロ部門の2位は藤原真理さん。
 このコンクールでの日本人優勝者は上原さんの他、1998年の声楽部門の佐藤美枝子さんと1990年の諏訪内晶子さん。諏訪内さんは当時17か18歳の最年少記録を持っている。ハイフェッツ氏が使っていたストラディバリウスの「ドルフィン」を入手しているそうだ。

余談2:チャイコフスキーコンクールが1年延ばされた理由
 本来なら2006年はコンクールイヤーだったのだが、1年延期された。理由は諸説あるのだが、主会場の工事のため、という説がある。また、ワールドカップに話題をとられないため、という説もある。さらに、審査員にサッカー好きが多く、サッカー観戦のため、まともな審査ができないからという説まである。自分で出場するわけではないので、理由はどうでもいい。

余談3:ヤマハのこと
 上原さんが広告塔になっているヤマハなのだが、創業は1887年で、オルガンの修理から事業を興す。同年、国産オルガン1号機を製作。アップライトピアノは1900年、グランドピアノは1902年に完成(つまり上原さんの優勝は、100周年記念だったということ)。当時は、まだ欧州や米国のオルガンに対してまだまだだったようである。例の「赤い靴をはいていた女の子」の主人公のきみちゃんの養父母ヒュイット師夫妻は1905年、北海道地区のメゾヒスト教会の幹部として、旭川豊岡教会に設置する高額なオルガンを買いに、欧州に向かっている(私は、きみちゃんも同行したのだろうと睨んでいるが証拠がない)。もし、当時、ヤマハ製のオルガンの性能が欧米レベルになっていれば、赤い靴の実際の筋書きもだいぶ変っていただろうと想像できる。  

余談4:同姓同名の上原彩子
 ピアニスト上原より3歳年下に同姓同名のプロゴルファーがいる。賞金ランキング40位。今まで2005年の2位が最高順位である。契約先はウィルソン。私と同じクラブだ。ヤマハはゴルフクラブも作っているのだから、いっそこちらの上原さんにもクラブセッティングチームを派遣したらどうなのだろう。何か相乗効果があるかもしれない。

トンネル内女性殺人の現場(2)

2006-11-07 00:00:47 | 市民A
そして、事件現場は、近づくとすぐにその場所がわかる。

89020195.jpgまったく理不尽な形で短い一生を終えなければならなかった女性の無念を祈るべく、多くの人たちが現場に生花やぬいぐるみ、飲みものなどを捧げている。トンネルの中なので、雨に濡れることもなく、事件の解決を待っているかのようだ。かなり胸が痛くなる光景だ。(私が同じ目にあったらどうなるのだろうかと、頭をよぎったが、考えないことにする)

常識的に考えれば、深夜のある時間、彼女がそこをとおることは予測しにくいため、無差別殺人ではなかっただろうかとは思うが、刺されたのは片刃の包丁とのことで、下腹部の刺し傷は背中まで届くほどの力で刺されていて、「強い殺意」を感じるそうである。強い殺意は、「怨念」の時が多いそうだ。

ここからが警察の調査なのだが、彼女はアルバイトとして、東京駅近くの会社に、週一回勤めていたそうだ。アルバイトである。以前から、こういう状況だったのではなく、6月までは川崎市内のIT大手に日勤していた。そして、何らかの理由で退社し、8月22日から新しい職場に勤めていた。週1出勤なので、まだ4回しか会社には通勤していなかった。そして、金曜日である9月22日は、勤め先の送別会に出席し、東京駅周辺で飲んだ後、11時頃解散になり、ちょうど11時40分に東急梶ヶ谷駅のビデオに姿が写っていた。

そして、その後、帰宅するのに梶が谷駅から自宅まで一本の道を携帯を見ながら徒歩で帰っていたか、あるいは11時45分発の深夜バスに乗ったかはわかっていないようだ。実際に駅まで歩いてみると、20分といったところだった。11時40分に駅を出て、歩くと、ちょうど時間は計算どおりになる。バスだと11時53分頃に現場に到達することになり、少し早いし、バス代も深夜バスだと400円となる。さらに、仮にバス停で降りると、問題のトンネル内では、道路左側を選択するのが自然である。梶ヶ谷駅から現場まではゆるやかな下り坂で、歩くのに苦労することはない。単に想像だが、勤め先の宴会といっても、週1出勤でまだ4回しか行っていない職場で、宴会の華になって飲みすぎることも考えられないだろう。

そして、この梶ヶ谷は住宅が密集しているのだが、いくつかの場所には暗い空間が存在している。私が気になったのは、梶ヶ谷駅からの道沿いにある西福寺である(バス停もある)。ここには夜の闇がある。長い時間潜むことは可能だろう。仮に怨念説とすれば、彼女がトンネルの中を通ることは判っているのだから、ここから尾行すればいいわけだ。そうして、トンネル内右側歩道を歩く彼女とは逆の左側を小走りに進み、出口で向きを変え、彼女の正面に回りこむ。後ろから追いかければ当然気付くだろうが、反対側なら可能だ。

89020195.jpgあるいは、無差別殺人であるなら、トンネルの出口側で待つのだろうが、そううまくいくのだろうか。出口は道路に直角にぶつかるT字路型交差点。ほとんど夜間の通行量はないとは言え、10分に1台、あるいは一人とかは通るだろう。このトンネルの後ろ側一帯に住む住人にとって、このトンネルを通らないと、5分は遠くなる道路構造だ。また住宅も多い。ここも長時間潜むことは難しい。

ということは、殺意を持ってここへ来て、たまたま通りかかった女性をいきなり刺した、ということが考えられる。いつも凶器の包丁を隠し持って、危険地帯を徘徊し、チャンスがあれば人を殺そうと思っていた、というように解釈ができる。実は1年前にも近くで女性が刺され重傷を負う事件があり未解決だそうだ。

しかし、トンネルの中で殺人を犯しても、逃走ルートはかなり難しい。どこに行っても人やクルマの通りの多い場所に出てしまう。うまく逃げ出したということは、現場の裏手の複雑な道を知っている地元の人間ではないかと考えられる。


ところで、事件後1ヵ月半が経つが、もうすぐ犯人は逮捕されるだろうと思っている。現場で見つけたのだが、このトンネルの出口であるT字路の交差点に神奈川県警の捜査員二人がいたのだが、かなり余裕の表情で談笑していた。おそらく、既に犯人を特定し、確かな証拠を固めて逮捕直前ということなのだろう。そこに立っているのは地元へのポーズなのだろう。くれぐれも、真犯人を捕まえないと後で複雑なことが起こるので、慎重にお願いしたいものだ。


そして、事件解決後は、このトンネルについて、もっと安全対策を議論してもらいたいものだ。例えば、車道をかさ上げして、歩道と同じ高さにし、低いガードレールにして密閉感をなくすとか、左右にある歩道のどちらかは、プライベート道路として、予め地区の住民に発行した個人認識カードがないと通れないようにするとかだ。「落書きは文明成熟度の証」とは言うものの、この場所だけは不適切と思える。人の目が届かない証拠だからである。

このトンネルから200メートルほど西側に、同じ構造で、やはり落書きだらけのもう1本のトンネルがあるのだが、まったく無警戒な10才くらいの少年が一人でコミック雑誌を読みながら歩いていた。
(完) 

トンネル内女性殺人の現場(1)

2006-11-06 00:00:35 | 市民A
89020195.jpg2006年9月23日に発生した「宮前区梶ヶ谷トンネル内女性殺人事件」が、非常に気になっていた。事件発生から1ヵ月半になる。昨年、港北ニュータウン鴨池公園で起きた女性絞殺事件もまだ未解決のままである。梶ヶ谷の事件は、以前、近隣のロードサイドビジネスに関係していたときに、大通りから直角に暗いトンネルに入っていく道があり、「ああ、あそこで起こったのだろう」とおよその予感がつく場所だ。

さらに、この件は10月10日には、テレビ朝日の報道ステーションの中でも特集されたが、事件解決に向けての報道ではなく、要するに「夜のトンネルは危険だ」という一般論として扱われただけだった。事件は深夜に発生したのだが、そう遅い時間は、それこそ物騒。日没後まもなくの時間に行く。

ところで、たいへん困ったことに、犯人そのものが、犯行の詳細をブログに書き、社会に挑戦するという事件がいくつか起きている。伊豆長岡のタリウム事件やクマエリ放火事件だ。事件について書いて、疑われてはどうにもならないので、慎重に書き進める。多くの情報は、ネット上のマスコミ配信記事や地元新聞、また口コミを基にしたと思われるブログによるが、当然ながら、一つしかない真実に対して、いくつもの説があり、うかつには断定できない。ここに、どのサイトからの情報とか書くとまた迷惑になるので、あえて書かないが、簡単に検索できる範囲だ。また、書くにあたり、「真実」と「類推・仮定」とかはできる限り分離しておく。想像で書いた部分が「犯人しか知りえない重大な情報」であったりすると、困ったことになるからだ。

まず、事件だが9月23日(土)、ちょうど0時0分頃。川崎市宮前区の梶ヶ谷トンネルの中の歩道に女性が出血し倒れているのが発見された。発見者は、報道によると、通りかかった45歳の男性という説と、二輪車で通りかかった女性という説があるが、いずれにしてもそのまま病院に運びこまれたが死亡が確認された、とのこと。正面から右胸と下腹部を刺されたということだ。被害者はそのトンネルの出口からすぐ先のマンションに両親と同居していた27歳の女性であった。マンションから女性の悲鳴を聞いたという二件の証言もあるようだ。襲われたときに手に持っていた携帯電話が歩道に残され、財布などもそのままだったそうだ。

89020195.jpgまず、予見を排するため、詳しい情報をあまり調べずに現場に向かうことにする。とはいっても、おおまかの事前勉強では、「怨念説」か「無差別殺人」かというのが特定されていないようだ。ただ、犯行時間が深夜だし、「怨念」とすると、ずっと張り込まなければならないし、あるいは、何らかの被害者の女性の動静についての情報を知りうる立場でなければならない。ところが、「無差別殺人」としても隠れる場所や、逃走ルートについての計画が必要だろうし、夜0時というのもまだ通行人も少しはいる時間である。さらに、嫌な予感だが、怨念を持った女性を殺害しようとして、「人違い」をしてしまった、というおぞましい可能性だってある。何しろ、夜は暗い。犯行はトンネル出口近くで発生し、刺された女性はトンネルを戻るように逃げていて、力尽きたらしい。

まず現場の位置だが、川崎市の内陸部分にある梶ヶ谷という町。被害女性は東急梶ヶ谷駅から自宅へ帰宅途中だった。道は一本で、トンネルの直前に「尻手黒川(しってくろかわ)線」という幹線道路を渡らなければならない。尻手黒川線はJR川崎駅方面から内陸の東名川崎インターにつながる大動脈で、深夜でも車は途切れない。ガソリンスタンド、レストランなど深夜営業の店も多い。

そして問題のトンネルは、丘の上をJR貨物武蔵野線が走り、ちょうど現場の上に巨大な貨物駅がある。東京都内であまり貨物列車を見ないのは、この武蔵野線で都心を迂回させているからだ。この武蔵野貨物線は大部分が地下を走るのだが、何ヶ所かで地上に出て貨物の集散を行う。駅なので、引込み線が多数あり、横に広がった丘を利用しているため、その下のトンネルの距離が長くなる。丘の下には2本の道路が掘られていて、現場は東側のトンネルである。

89020195.jpgそして、このトンネルだが、車道と歩道の高低差がある。片側1車線道路の両外側に歩道はあるのだが、車道よりも1メートル高いところに歩道がある。車道との間は高さ1メートル程度の柵があり、横に逃げることができず、密室感がある。奇妙なことに、未解決なのに「情報を求める立て看板」は表示されていない。現場保存の観点なのか、物騒な看板が周囲の地価を下げるという地元の反対からなのかはよくわからない。「夜の一人歩きは危険」と書かれた看板はあるが、トンネルの中では、夜も昼も同じだ。

トンネルの長さは170メートル。歩道は両サイドだが、被害女性は右側を歩いていた。出口まであと25~30メートルのところで襲われたらしい。携帯電話を操作しながら歩いていたらしく犯人に気付かなかったのだろうと思われている。トンネル内は暗いが、照明の個数は多く、しばらくすると目が慣れる。壁面には、大量の落書きが書かれていて、警備が手薄であると思われることが犯行現場に選ばれた理由という可能性もある。
(つづく)  

不健康?マージャン大会

2006-11-05 00:00:02 | 市民A
e98f4d5d.jpg妙なダイレクトメールが時々やってくる。「不健康マージャン大会のお知らせ」

マージャンは、とうの昔に辞めたので、ルールもほとんど忘れてしまったし、再開する気もまったくないので、すぐにシュレッダーに入れればいいのだが、あまりによくわからない内容である。まあ、マージャンやらない人間に送るのだから、手に入れている住所録もターゲット精度が1マイルもずれているようなのだが、封書ならともかくハガキで送るというのも大胆不敵・・

まず、不健康という文字から想像すると、「ギャンブル」であり、「賭け事」であって、賭博禁止法に違反しているということを明示しているのだろうか。あるいは、単に、「賞金付き大会」ということを意味しているのだろうか。賞金付きの将棋大会というのも、いくつかあるが、「不健康将棋大会」などということはない。疑問が残る。

さらに、、レートとルールが書かれて、「ピンのワンツー」とか「アリアリ」とか専門用語が書かれているが、「ルール」の方は点数を計算する方法を示しているのだろうが、「レート」というのは、点数と金額の交換レートのような気がする。またも疑問が増す。

そして、参加費は昼食込みで一人6,000円。つまり、昼食代を500円と仮定すると、5,500円の財源である。そして、賞金は優勝50,000円はじめ準優勝などで、約100,000円必要。ということは、参加者は20人以上なのだろうと予想。さらにトーナメント四回戦というのは、点数の高い順に32人→16人→8人→4人とか絞っていくのだろうか??

しかし、何となくだが、この「不健康」という内容をカムフラージュするために、「賞金」というのがあるような気もするが、何となく、「いさぎよくない」語感を感じてしまう。

まあ、行かないものを深い詮索をしてもしょうがないので、この話はこれ位にしておく。


ところで、この「不健康」というコトバの反対語は「健康」のはずなのだが、実際には、「健康と不健康」とが直接に対峙的に使われているわけではない。例えば、都内のいくつかの地区では「健康マッサージ」という看板が見られる。これは、四谷三丁目や新橋周辺のように、不健全なマッサージ店がはびこる地区で、「おカネをもらって不健全なサービスをするマッサージ店」ではない、ということを明示するためらしいが、健康マッサージ店で健康マッサージコースを選択すると、不健全サービスが行われるという噂も聞いたことがあるので注意が必要である(何に注意するかは、目的によって違うだろう)。

さらに、驚くことに、関東東部の県のある地区では、タクシーに乗るといきなり、「サウナ行きますか」と聞かれることがあるわけだ。「サウナ」という意味がわかっていないと、多少困ったことになるわけだ。その地区のサウナというのは、不健全の上にも不健全なサービスを提供する場所のことなのだそうだ。そして、その地区で、普通のサウナのことはどう呼ばれているかといえば、「健康サウナ」ということだそうなのである。