アリストテレスの鼻の意味

2006-11-15 00:00:21 | 市民A
数週間前のニュースで、アリストテレスの鼻がワシ鼻だったことがわかった、との報道があった。


哲学者アリストテレスの胸像を発掘
【ローマ26日共同】アテネの古代遺跡アクロポリスの発掘調査を続けているギリシャ文化省は26日までに、哲学者アリストテレス(紀元前384―322)がわし鼻だったことを示す胸像を発掘したと発表した。
 発掘責任者のアルキスティス・ホレミス博士によると、胸像は1世紀末から2世紀初めに作られた複製。これまで同じオリジナル像からの複製が19点見つかっているが、いずれも鼻が欠けていた。今回のは鼻の部分が残っており、オリジナル像がわし鼻だったことが初めて分かったという。
 ホレミス博士は「文献には彼はわし鼻と書かれており、記述通りの像が出てきたことは意義深い」と話している。
 像は高さ44センチの大理石製。パルテノン神殿があるアクロポリスの丘のふもとから2005年に発掘され、分析が続いていた。 

6d34cb3b.jpgおりしも、世界史の未修問題が話題になっているのだが、仮に、人類がナショナリズムとレーシズムを克服できないとすれば、あと100年後には、このアリストテレスの鼻の形は、歴史認識の裏側で大きな意味を持つのかもしれない。

まず、アリストテレスはプラトンの弟子。そしてプラトンはソクラテスの弟子である。登場したのはギリシア時代の終わりの方だ。何しろ、紀元前1200年前に、ギリシアは「トロイの木馬」戦法で小アジアを制圧。その後、アテネ=スパルタ対決など経て、長い長い都市文明を築いていたわけだ。皮肉なことに、その末期に至って、この3人の哲学者を得る。

哲学といっても、現代的な意味では少し違うかもしれない。社会学、物理科学、歴史など総合科学である。畏れ多くもこの3人を比較すると、「あーでもないこーでもない」と問題をあれこれ悩んでいたのがソクラテス。その疑問に概念的な解を与えたのがプラトン。そしてそれを体系化し、さらに実証してみたのがアリストテレスということだ。そして、アリストテレスはマケドニアの王、アレクサンダー大王の家庭教師だったわけだ。

6d34cb3b.jpgこの二人のうち、プラトンとアリストテレスの思想が、少し方向が異なっている。そして、この二人の差が、それ以降の世界のできごとに微妙に影響を残している。プラトンは都市国家アテネの盛衰の中から、デモクラシーという政治形態の長所と短所を多く論じ、アリストテレスはポリス至上主義に近い。(英国と米国の政治体制の差のようなものだ)

高校の世界史は、広く浅く習うものと相場が決まっているのだが、世界史というのを、「起きた事象の暗記」ではなく「歴史のダイナミズムの基本法則を学ぶこと」と考えれば、このプラトンとアリストテレスを学ぶだけで十分と考えられるのだ。


基本構造から言えば、プラトンの説くデモクラシーとは、独裁政治、多頭政治の弱点を補うため、「優れた独裁者のいない場合の次善の政治体制」と定義している。日本語訳として、民主主義ではなく”衆愚主義”とする場合がある。そして、優れた独裁者というのは、まず、いないわけだから民主主義が安定しているということだ。

一方のアリストテレスは、その市民たちを束ねる「国家」を規定する。いわゆる国家主義のはしりである(ただし、小国家)。ところが、アレクサンダー大王は家庭教師の言うことがよくわからなかったのか、あえて無視したのか、国家膨張に走る。

そして、大王は、「哲学も重要だが、科学技術も重要である」と説き、国家予算のかなりの部分をアリストテレスの研究施設につぎこむ。そして、哲学者は、当時としては革命的な原子論(水・金・火・木・土)を展開する。

そして、その後、世界の国家はこの二人の師弟関係の哲学者の二つの考え方である民主主義と国家主義の間をいったりきたりする。

米国が民主主義なのか国家主義なのかは読みにくいところもあるが、現代は、多くの国民が国家主義で一部の人が市民主義ということだろう。「星条旗の元で人々は平等だ」というようなプチ国家主義が多いように思える(民主党若手にその気配を感じている)。


そして、再び鼻の話に戻ると、アレクサンダーはマケドニアの王である。つまりギリシアより東方の人物である。そしてその師であるアリストテレスもやはりマケドニアから来たのだろうと考えられていたのだが、元々、ギリシア系なのかトルコ・アラブ系なのかということははっきりしていなかった。

そして、わし鼻ということになれば、簡単に言えば、要するにヨーロッパ系ではない、ということになるわけだ。だから、アジア人は民主主義が似合わないんだ、というようになるのだろうか。  


最新の画像もっと見る

コメントを投稿