冥王星、イマイチ

2006-11-27 00:00:04 | 音楽(クラシック音楽他)
4b0b7830.jpgホルスト・組曲「惑星」(マシューズ作曲「冥王星」付き)をアサートン指揮/BBCウェールズ・ナショナル交響楽団で聴くというか観るというか・・

最近、クラシックもDVD盤を探している。といっても、まだ少数派だ。名演というのはマスターテープに残っているが、ヴィデオ画像が残るものは僅かだし、古い画像は画質にも問題がある。カラヤン物が先行してシリーズ化されて発売されているが、個人的にはカラヤンが好きでもない。バーンスタイン/ニューヨークフィルのシリーズが出てきたので期待しているが、ちょっと高い。この組合わせのモーツアルトの交響曲40番のCDは絶品なのだが、DVDで発売されるのだろうか。

さて、有名な「惑星」に、最近、惑星失格宣告された「冥王星-再生の神」がおまけに演奏されることが多くなっていたのだが、DVDを入手。「冥王星」はマシューズさんという現代の作曲家の手になるのだが、このDVDでは6分14秒である。火星、金星、水星、木星、土星、天王星、海王星と7つの星をイメージした各曲とほぼ同じ時間である。つまり、もともと、この組曲の最後に付け加えるために作られたものなのだろう。

ところが、この「冥王星」だが、評判が悪い。「ない方がいい」という声が多い。そして、実際に聴いて見ると・・・

「ない方がいい」。

もともと、冥王星のことなどほとんど解ってないのにイメージを形成しようとうのが無理な話。他の惑星は、1曲ずつに覚えやすい基本的主題があり、安心して聴けるのだが、この冥王星は短い時間内に、いくつかの主題が登場し、忙しい。早い話が組曲の中の一つではなく、自己完結型になっているように思える。もちろん完成した組曲の後ろに追加する、と言うのも寄生虫的なので、作曲家マシューズの沽券もあったのだろうか。いや、冥王星だけを作ったのだから、寄生虫的という範疇であるのは疑いがない。

4b0b7830.jpgだいたい、ホルストは組曲を完成させた段階で、海王星の最後に、組曲の締めを置いたわけだ。誰であれ作曲のツボの一つは、最初と最後である。交響曲であれば、第一楽章の冒頭の部分と第四楽章のクライマックスとエンディングである。その後に誰かが書き加えたらおかしいではないだろうか。

さらに、年譜を追って考えると、ホルストは1874年生まれで没年は1934年。「惑星」は1914年から1915年にかけて作曲されている。惑星の発見順で言うと、目視できない惑星では、天王星が1781年の発見。海王星が1846年。そして冥王星は1930年である。これらを並べて考えてみると、ホルストは40歳の頃に海王星までの作曲を行っていたのだが、56歳の時に冥王星の発見を知るわけだ。つまり、自分で作曲することができたにもかかわらず、追加しなかったわけだ。

それを、2000年になって、冥王星が追加されたのだから、違和感があって当然。「商業的配慮」なのだろうか。

案外、この曲ができたことが理由で、冥王星を惑星からはずしてしまえ、という暴論が通ってしまったのではないだろうか、と邪推までしてしまう。たぶん、音楽の世界でも、この「冥王星」はなくなるのではないだろうか。冥王星が惑星であったのは76年間ということになるのだが、冥王星が太陽の周りを一周するのは249年かかるのだから、僅か30%ほどの期間だった。また、マシューズの冥王星は2000年から2006年までの6年間ということになってしまう。耐用年数は公転周期の2.4%だった。


ところで、冥王星が惑星からはずれることが報道された時に、”銀河鉄道999”の作者である松本零士氏は、「それでも、冥王星の存在を信じる」との迷言を残したのだが、槙原敬之と盗作裁判を始めるようだ(裁判官も多趣味でないとやってられない)。どうでもいいような話がこじれた原因なのだが、槙原側から不用意に出たある発言「銀河鉄道というタイトルだって・・(宮沢賢治を指すのだろう)」で頭に血が上ったのだろう。