水木しげるは妖怪だった?

2006-11-09 00:00:15 | 書評
432a7a95.jpg毎年100冊を目標に読書をしているのだが、今年は微妙。現在71冊。あわてて図書館で本を借り込み、読みまくりはじめる。その中で、今年読んだベストワンがあった。「生まれたときから『妖怪』だった」水木しげる氏の自伝である。

水木しげる氏と言えばゲゲゲの鬼太郎。日本人で鬼太郎を知らないのは「もぐり」だ。その作者、水木しげるは戦争で左手を失い、右手一本で、数あるユニークな妖怪たちを描き上げる。出身地は北朝鮮貿易で有名だった鳥取県の境港。そこに博物館もできている(近くに行ったことはあるが、まだ・・)。そして、彼の一生を自身で振り返った著が2002年に出版された本書である。

さて、古今東西、優れた伝記というのは、面白いものなのだが、第三者が時代を経て、世間の評価が固まった頃、書くのが通例である。その人の一生を縦糸にし、様々なエピソードを横糸に織り込んでいけばいい。読者もこどもの頃からのできごとを順に読んだほうが因果関係が理解しやすい。

ところが、一般に、自伝は当の本人が書くから始末が悪い。人に知られたくないことは書かない。また、あまりに人生と言うのは主観的なもので、後で考えれば非合理の塊なわけで、それを自分勝手に合理的に説明しようとするから無理がある。さらに、中には「自慢話」を並べて、講演会で売りつけたりする人間までいる。記憶と言うのは、新しい方が鮮明なので、新しいほうから古いほうへ時間が進んだりする。

しかし、本書は珍しい例外として、非常に感動的に仕上がっている。まず、奇妙なのは、自分の呼び方だ。普通は、「私」とか「わたくし」、「僕」、「俺様」、「朕」、「小生」、「筆者」とかになる。では、水木しげるは本書の中で、自分を何と呼んだか?

「水木サン」だ。もちろん、大部分は「私」を使っているが、時々、自分を強調するときに「水木サン」が登場する。要するに、主観を避け、なるべく客観的に書こうとしている。

では、彼のこども時代は、というと、絵が得意なだけで勉強のできない子だったそうだ。しゃべるのも遅れ、小学校は1年遅れで入学。絵が得意なので、山下清少年と比較され、大いに傷ついたそうだ。勉強ができないといっても、山下少年と一緒では・・と言うことだったらしい。そして、彼の絵画の実力は小学校の先生方にも大いに理解されていて、その人たちが色々と骨を折ってくれていたそうだ。

しかし、時は戦争に向かっていて、絵の勉強をするためと、学校に行けば徴兵年齢が遅くなることから美術学校を目指すことにしたのだが、受験するためには中学を卒業しなければならない。が、それが難航する。小学校のように融通を利かしてくれる学校がなく、どの中学も途中で追い出される。そして、どこでもいいからといって夜間中学に在籍するのだが、しばらくしてついに赤紙がやってくることとなる。

そして、戦争は南方ラバウルへ二等兵として送られるのだが、調子ハズレの彼は、何度も上等兵から殴られる。彼の言葉で言えば、なぐられることによって「私は、コイツラが死んでも、ぜったいに生き残ってやるぞ」という強い気持ちを持ち続けたそうだ。

そして、米軍の爆撃を受け、左腕を負傷。左腕を切除することとなる。本来、それで、本土送還となるはずだが、既に島は孤立、というか戦場から取り残されてしまう。現地住民と交流をしながら、生き残った兵隊たちは、終戦を迎えることになる。

この腕を失った話の裏側に本書最大の感動エピソードがある。

実家で、彼の生還を信じていた母親は、左腕を失ったという手紙を受け取った後、しばらく左手だけで炊事をしていたそうだ。こどもの苦しみを分かち合うことであり、また、帰国後、片手で生活をする時に困ることを事前に調べておこうということだったそうだ。読んで、思わず熱くなってしまった。この親にこの子ありということだ。

そして、帰国後、ほとんど行かなかった夜間学校の卒業証書を入手し、美術学校に入る。その後、あれこれあるのだが結局本人のこどもの時のあだ名である「ゲゲゲ」に到達する。

ところで、絵がうまいだけではゲゲゲの鬼太郎は創れないのだが、ラバウルの森林の中での原住民とのつきあいに始まり、その後、日本国内、世界のあちこちと、実は「妖怪さがし」に行っているそうである。わたしなど、あちこち行くのだが、妖怪にあったことなどないのだが、さすがに大豪は違う。ネズミ男も塗壁も子泣きジイも創作ではなく、発見だというのだ。

たまには、おおたサンもまじめな話を書けば、20世紀後半から思想史的には、「自分さがしの旅」とか「美しい国さがし」とかアイデンティティの復権の時代とも言えるのだが、「青い鳥」の寓話と同じようにそれはどこまで行っても閉鎖曲面の内側を撫でるような結果に陥っているわけだ。水木さんの目に、我々の日常を超えた妖怪が見えるということは、「既に、自分探しの旅などとうに終わっていることだ」と下駄が飛んできそうである。

ならば、水木氏にあやかり、おおたサンもこれから出張の時は、必ず「妖怪」を発見することにしよう、とは思うのだが、夜の街で妙な捜索活動をしていると、逆に「奇人」とか「変質者」とか呼ばわれそうな気が、しないでもない。  


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