将棋界でもM&A(将棋倶楽部24の譲渡)

2006-11-10 22:22:06 | しょうぎ
a272e365.jpg無料将棋サイトである将棋倶楽部24が、オーナーの久米さんから将棋連盟に譲渡されたそうだ。対価は秘密ということだが、かなりの高額ではないのだろうか。
会員数20万人(そのうち二人は私なのだが)。

問題は、
1.いずれ有料化されるのだろうか?
2.将棋連盟の段位より約二段辛い段級位の認定レベルの統一はあるのか?
といったところか。
そして、将棋連盟は会社ではなく、社団法人なのだが、会計、税務上の問題はないのだろうか?まったくわからない話だ。

既に、将棋倶楽部24のトップページに将棋連盟のフレームが早くも組み合わさっているが、ちょっとデザインが重いような・・  

ウィーン美術アカデミー名品展(~11/12)

2006-11-10 00:00:07 | 美術館・博物館・工芸品
bf667078.jpg新宿の損保ジャパン美術館で11月12日まで公開されている「ウィーン美術アカデミー名品展」へ行く。この展覧会では、ルネサンス以降、絵画が宗教画として教会の客寄せの看板から脱却し、芸術として確立していった段階から、ルーベンスやレンブラントの時代を経て黄金時代を迎えていく継ぎ目の部分の作品を中心に展示している。芸術性が段々と輝いていった時期で、肖像画だけでなく、風景画や題材を虎などの動物にとったりしている。

そして、絵画史がまさに動き出したのが、オランダであるのだが、それらのコレクションを100年後に、ウィーンが収集したのは、そこが欧州の富の中心だったからで、その権威の中央に君臨したのが、ハプスブルグ家である。

地図をみると、ウィーンは地理的には欧州の中央とはいえない。かなり東よりだ。周りは森ばかりで、パリなどの大都会に行くには、深い森の中の街道を進まなければならない。そして、その天然要塞が、ハプスブルグ家を650年間も君臨させた理由なのだろう。

この美術アカデミーが完成した頃のウィーンでは、モーツアルトやシューベルトが活躍している。では、この町が音楽の都である一方、美術の都にならなかったのはなぜか、といえば、音楽と美術の質の違いによるのだろう。当時、音楽は、じかに演奏を聴くしか方法はなかった。CDもテープもない時代だった。演奏者を集めて、そこで貴族たちは生演奏を楽しんだはずだ。

一方、美術の方は、絵画はどこで描いてもいい。オランダに行って、完成品と札束とを交換して、馬車で運んでくればいいわけだ。

そういうことで、どうしてもウィーンは音楽の町になっていったのだろう。

話をウィーンからオランダに移せば、そこは当時日本と細い糸で貿易を行っていたわけだ。よく北斎の浮世絵を欧米の画家が参考にした、とされているが、逆に広重の53次など、オランダからの影響を受けているのではないだろうか(と、小さな声で・・)。コレクションを見ながら、ふと思った。