備中高松城跡での実感は・・

2005-06-20 21:50:42 | The 城
b351ec1d.jpg本稿を”お城シリーズ”blogと考えていいのか、ちょっとためらう。なぜなら、備中高松城は、まったく現存していないからだ。遺構はほとんどない。しかし、日本史上は、かなり重要な城であるともいえる。

また、備中松山城とも近いため、勘違いする人もいる。岡山市からは近いのだが、ローカル線なので、ダイヤは調べておかないと、朝一の飛行機で東京からきて、仕事前に寄り道をしようという向きにはおおわらわになる。

備中高松城は、最後の城主が清水宗治。例の羽柴秀吉の水攻めである。秀吉は兵糧攻めにするため、城の周りに足守川から水を引きこみ外部からの食糧などの搬入を封鎖したわけだ。その結果、清水宗治としては、粘るだけ粘って、援軍である毛利輝元がくるのを待っていたのである。そして、城内の将兵5,000人、秀吉軍30,000人、毛利軍40,000人がこの周辺に集結することになる。時に1582年5月頃である。そして、秀吉は、領地割譲要求と清水宗治の切腹を要求し続けて、さらに信長に大軍の増強要請を行ったのである。

そして事態が大きく動いたのは1582年6月2日の本能寺の変。織田信長が謀殺されたことだ。翌3日には、明智光秀から毛利への密書が途中で秀吉に捕まり、直ぐに切り捨てられる。秀吉としては、いつまでもダラダラと包囲戦を続けることはできなくなったわけだ。早く、京都へ戻り、明智光秀をやっつけないと自分が光秀と毛利の間で、バンズに挟まれたハンバーガーの肉汁状態になってしまう。

ここから、モードを切り替えて、超特急になるのが秀吉の才なのだろうが、即日、講和条約を締結し、城主清水宗治以下数名のA級戦犯の切腹と引き換えに領土の割譲要求を取り下げ、毛利戦終結とする。そして、翌4日の日には水堀から小舟で城外へ出てきた城主以下に腹を切らせて、首を塩漬けにしてしまったわけだ。実際に切腹した場所は城跡の記念碑から僅か200メートル位の場所なので、城内に残る将兵からはすべて、見えてしまうだろう。残された5,000人の将兵は、非常に不安だったろうと想像できるが、もとより秀吉は、あっと言う間に翌5日には京都に向って出陣し、9日からは明智掃討作戦を展開するわけだ。

しかし、明智光秀がいくら「信長のいじめ」にキレてしまって、クーデターに走ったとしても、事後での毛利との連携は考えていたはずで、それがため早馬を飛ばしたのが、結果として裏目に出て、串刺しになった上、塩漬け頭になってしまったのだろう。もし、諜報部員がイチローのようにすばしこい奴だったら、毛利側は和平に出なかった可能性も考えられる。もちろん毛利家は関ヶ原の時のように優柔不断な態度で逆に秀吉と最強連合を組んだかもしれないが、よくわからない。あとで「信長の野望」でシミュレーションしてみることにする。

ところで、ここからはモグラ的な歴史の読み方なのだが、少し違和感を感じていたのだ。つまり、数日、講和を遅らせていたら、いずれにしろ本能寺の変は備中(岡山)にも伝わったはずである。そうなれば、事態はまったく異なる展開になったわけで、少なくとも、水堀を解くことはなかったと思われる。となると清水宗治は愚将ということになる。現地での雰囲気はどうなのかというと、何となくネガティブ感が漂うように感じたのだ。最寄駅(備中高松駅)では、特に案内表示も目だたないし、途中の道も何とはない農業地帯の中の道で、歩いていて不安になる。「歴史的事件の現場だから目印だけにしておこう」というような状態だ。「歴史の恥」というのだろうか。

そして、ネガティブ感がさらに強くなるのが、清水宗治の切腹場所にある供養塔付近である。石塔自体は清水家の末裔の方々が管理されているようだが、その敷地に何棟かの古寺が立つのだが、建屋内に人の気配はない。どういう事情かわからないが複数の寺院の名が読み取れるのだが、その内の一棟は、既に屋根も破れ、自然倒壊寸前の状態である。当時の遺構をほとんど何も残さないこの城にふさわしいといえばそれまでだが、遠く423年前に詠まれた辞世の句もまた暗示的である。

 浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して

蒼穹の昴(浅田次郎)に苦戦

2005-06-19 21:55:24 | 書評
beff337d.jpg浅田次郎は短編作家かと思っていたが、長編も書く。それもかなり長い。蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)は、上下二巻で、かつ二段組になっている。全763ページ。中国の近代史の1ページを彩る多くの登場人物のスタンディングポジションをそれぞれの事情で書いていく。本当の主人公は「春児」と呼ばれ、貧農から出世していく青年であるのだが、主人公不在の章もあり、周辺登場人物も多岐にわたる。念のため、登場人物カードも用意され、確認しながら読むことができる。本当は、登場人物が多いのは苦手だ。できれば、モノローグだけの作品なんかの方がいいのだが・・

作者にケチをつけるではないのだが、上巻と下巻ではテンポが変わっているように思える。上巻は、果てしない中国の時間の淀みの中に科挙制度の話が進展していき、一体、清朝のいつごろの話かわからない。そして、例の「ちょん切る」描写が精緻をきわめ、ちょっとキワモノ的になる。「イヤダナー」「痛いだろうなー」って。この制度、いったい何が目的なのか?とか考えてしまうが、考え過ぎると前に進まないので、まあしかたないとする。

そして、一転、下巻では日清戦争から辛亥革命前後の混乱期に話が進んでいく。つまり時世は、清国最末期であるのだ。ここからは、山田風太郎の中国版のような早いテンポで進み、日本人も少し登場する。そして、革命、反革命が入り交じり、本の片隅に毛沢東少年が登場することで、フルキャストが揃い、閉幕に向う。

残念ながら、自分的には、少し消化不良だったかなと思う。まあ、中国人作家の現代文学も読んだことはあるが、やはり少し乗り切れない感性の差は感じる。「蒼穹の昴」の題名の意も掴めなかった。蒼穹は青空。昴は流星。青空に流星では見えない。隠された意味があるのか?しばらく、浅田次郎はお休みにする。

ところで、毛沢東が登場したことで思い出したのは、1976年に失脚した「四人組」の一人である張春橋が、4月に死去したことか。88歳。1980年から81年の間に判決が言い渡された。江青、張春橋には死刑(猶予2年)、王洪文は無期懲役、姚文元は懲役20年。江青、張春橋はその後、懲役18年に変更になったが、1991年に江青自殺。王洪文は1992年に病死。一方、姚だけが存命で1996年に刑期を終え出所している。なぜ、罪の重い江青と張春橋が18年になり姚は20年のままだったかはまったくわからない。

四人組が失脚する前は、中国にとって最大の敵はアメリカだったはずなのだが、その頃から日本を敵視するようになる。唯一評価できるのは、自国内の政治問題を自国で裁いたことではないだろうか。

もうすぐ、フセイン裁判が進みだす。

仮面兄弟、親子関係、家族も大変だ

2005-06-18 21:56:40 | 市民A
家族関係って大変だ、というのがあちこちに噴出している。

1.花田家の人びと
  二子山親方の葬儀が終わらないうちから争いが噴出す。そして、よくわからない。単なる兄弟の相続争いなのか、母親がかんでいるのか不明。十数年前のいじめ問題やら、次々に出てくる。ついに両者の妻まで登場。そして、なぞの家政婦。家政婦がどうして預金通帳の中身まで知っているのかわからない。行方不明の年寄株の謎(年寄株ってどういう形のものなのだろうか?)。「戸籍をわける」と謎のことば。そして、先代の若貴の女性のカゲ。遠い記憶では、先代は体重増加のために医薬品を愛用していたはずだ。そして、若いときからの兄弟の発言を見ていると、「本当の兄弟だったのか」と思わず考えてしまう。まだ重大な問題が眠っているような予感がある。

夫婦は合法的に別れることは可能だが、兄弟は別れたくても関係は清算できない。「仮面兄弟」ということか。

歴史上、兄弟争いは数多くあり、兄が勝つことのほうが多いような気もするが、若貴兄弟の場合は、まだ、問題の争点が不明なのだ。ところで、貴ノ花とかマイケル・ジャクソンの変なヘアースタイルもずっと露出しているうちに、「見慣れてきた」のはどういうことなのだろうか。

2.ジェンキンス氏の場合
  私は、ジェンキンス(65)氏は数年(3年)後に日本国籍のパスポートを取得し、出国するしかないかと思っていたが、米国籍パスポートを取得し、渡米(というか帰米というか)した。母親のパティ・キャスパーさん(91)と対面したのだが、総じて米国民の態度は冷たい。あれだけ用心深い男だったので、米国パスポートのあぶなさを感じていたのではないかと思うのだが、誰かが、「パスポートを急遽、失効させたりはしない」との確約を与えているのだろう。あまりに米国社会に拒否反応があれば、予定(22日)より前に、帰ってくるのだろう。

日本政府が、彼になぜ直ぐにパスポート(国籍)を出さないかというと、結婚してすぐの男性(女性)には通常、国籍を認めないからだ。まして、まだ日本語も堪能ではない。この問題はややこしいので、そのうち・・・

3.アナンの場合
  不肖の息子というわけだ。サッチャーの息子も最低の詐欺師だが、アナンの息子はもっとひどい。何しろ、親を巻き込んだのだから・・
  それで、アナンがどうなるかはわからないが、国連改革も頓挫する可能性もある。そうすると国連自体が頓挫することになるかもしれない。予想されるシナリオは、例の日独インブラ4ヶ国+仏ロという何となく中二階グループと米英中のグループとが分かれて、第一国連、第二国連になるかもしれない(ぶっそうな話になる)。第一グループの本部が(国連分担金未納の)米国ニューヨークであるなら、第二グループの本部は、日本かフランスかに設置が必要になるのだろうか。案外アジアでも日本側につく国の方が多いように思われる。日本嫌いは、中、韓、インドネシア、シンガポールくらいかな。私の意見としては、国連本部を沖縄に誘致する方が、核融合実験炉をむつ小川原に誘致するよりいいと思うのだが。

しかし、国連が分裂するような事態になれば、遠からず世界大戦争がおきてしまうだろう。アナンのこどものために・・

北斎と広重展(6/7-6/19)

2005-06-17 21:57:32 | 美術館・博物館・工芸品
138ab9fb.jpgはろるど・わーどさんのblogで紹介されていたこともあり、会期後半にあわてて日本橋三越に行く。6月19日まで連日19:30まで開館。900円。浮世絵ということで年配者が会場には多い。そして全240点と非常に出展数が多い。「冨嶽三十六景」もあるし、「東海道五拾三次」もあり、さらに数多くの作品がある。狭い展示会場に詰め込んでいるため、なかなか容易でない。年金生活の方々が多く、遠慮とかしないので、自分の好みの錦絵の前でずっと立っているので、大渋滞になる。回復運転するには自分で飛ばしていくしかない。

そして、なぜ日本橋三越で開催されたかと言うと、一つの理由は、富嶽も東海道も原点が日本橋だからだろう。そして、さらに何らかの経済学的合理性が理由だろうが、よくわからない。

北斎と広重、どちらが好きか?といえば、評価はわかれるだろう。緻密な構成はどちらも五分だろう。写実性なら広重で、創造性なら北斎か。個人的には、以前は広重の描く江戸(他)の町並の人間描写が好きだったが、どちらかといえば北斎のダイナミック性の方が好みに変わっている。そして、この両者、生まれは北斎の方がだいぶ前だ。1760年。広重は1797年生まれなので37歳年上。しかし、北斎はかなりの長寿であり、冨士を描いたのは1831年のこと。72歳。一方広重の東海道は1833年。37歳。この二つの浮世絵シリーズはわずか2年の間に、世に評を問うことになったのだ。そして、両者ともさらに作を重ねていくが、おそらくこの二作を超えることはできなかったと考えてもいいだろう。

北斎は1849年に数え90歳で没。広重は1858年に62歳で没。ペリーの黒船がEDO-BAYに侵入したのが1853年であり54年には日米和親条約が締結されたのだから、広重の存命中である。黒船の図などもなしたのだろうか?

ところで、このコレクションの所有者は原安三郎氏といって、元日本化薬会長。北斎より長生きである(1884-1982)。97歳か98歳。念のため。日本化薬HPを見ると、浮世絵の記載はなし。個人所有なのだろう。ついでに日本化薬がさいたま市の社宅用地を売却したり、子会社の不動産会社を清算したりしていることがわかった(何をやっていたのだろう??)。

そして、個人所有の美術品の問題の一つではあるが、画質(紙質)が劣化してきているように見えてならない。保存方法にはどうしても不安が伴う。

以前、少しだけブログに取上げたが、北斎の冨嶽には、深みのある藍色が多用される。その藍色は、長崎を通じて正規ルートで輸入されるドイツ製の合成染料なのである。和名で「べろ藍」。べろはベルリンを意味する。ベルリン・ブルーとかプルシアン・ブルー(プロシアの青)とも呼ばれる。調べてみると1704年にドイツで発見されている。化学品の名前はフェロシアン化鉄。現在でも普通に化学の染料として使われている。18世紀初頭に発見された絵の具が世紀の後半には日本にまで伝わっているわけだ。文化の伝播速度は共産主義と同じくらい速かったのだ。

ところで、このベルリン・ブルーだが、現代でも見ることができる場所がある。それはシティバンクである。シティーのシンボルカラーである。ところが、最近、私が発見した意外な事実があるのだ。そのシティからの郵便物には、そのベルリン・ブルーらしいシンボルカラーが使われているのだが、それをスキャナーで読み取ろうとすると、直ちに色は変質し、限りなく黒色に近くなってしまう(あるロックスターみたいだ)。偽造防止策なのだろうが、あの銀行にとって、その前にやるべきことことは、たくさんあるのだろうが・・

早起きは、健康のもとか?

2005-06-16 22:01:08 | 市民A
278a3c81.jpg与太話で恐縮だが、来年のワールドカップドイツ大会のこと。まずは、世界最速で代表になったこと。特筆もの。もしかしてリーグ3位になり、さらに5試合やって世界最後の代表かと思っていたのだが、よかったのか悪かったのか。ジーコ続投は決まった。

フランス大会予選での岡野の決勝シュート(中田のシュートがGKを強襲し、おこぼれシュートになった)は、まだ記憶に残っているが、実はもう一つ感動したのは、その試合で負けたイランが最後の最後の試合でオーストラリアホームで同点に追いつき、最後の代表になったこと。最後の席にも感動はある。この先のバーレーンに注目だ。

ところで、既に旅行社はドイツ大会のシートの確保に躍起になっていると思われるが、大部分の日本人は日本にいたまま応援あるいは観戦したいはずだ。それに、なるべく長期に会社を休みたくはない。となればテレビかビデオ(DVD)ということだが、録画では・・・すぐにネット上に結果は公開されるし、結果を知ってからでは楽しみは10分の1だ。しかし、日本とドイツではかなりの時差がある。少し計算してみよう。

もちろん詳しい試合時間は発表されていないので一般論だが、日独の時間差は、ドイツのサマータイムを計算すると7時間だろう。そして。キックオフは現地時間で午後7時頃で終了が午後9時半頃とテレビに合わせてあるだろうと推測してみる。そうすると、日本時間では朝の2時開始で4時半終了となる(注意:コンフェデ杯は1時間前倒し)。そこから眠って会社に行くのは難しい。試合の後は眠らずに、逆に長い食事をとる時間と考える。

一方、人間はどこかで眠らないといけない。スキマは会社から帰宅してからキックオフまでの間。朝の2時起きだ。7時間眠るなら19時に就寝が必要。急いで帰ってきて、ただちに睡眠だ。そうすると食事ができなくなる。結局、会社で少しズルをして、昼食を伸ばして4時ごろに吉野家の早メシをかき込まなければならない。そして、朝2時に空腹で目が覚めたら、サッカーの前に軽食を済まし、テレビを見終わったら入浴し、あらためてヘビーな食事をする。そして、会社へ出勤して、4時の昼食に備えるわけだ。それぞれの食事が、朝食なのか昼食なのか夕食なのか、名称は不明だ。そして、愛読ブログ「あんなこと、こんなこと。どんなこと?」管理人の「さなえ」さんなら、「その自分勝手な時刻設定の食事を作るのは、一体誰なのだ?」という人類の根源的な疑問に行き着くことだろう。

まあ、超早朝ごはんのメニューは、手間がかからないものがいい。ドイツの誇る世界最高の馬鈴薯料理、ジャーマンポテトとフランクフルトソーセージにすることだ。そして黒パン。しかし、勝利の余韻にひたり、つい朝からビールジョッキを傾けてしまった結果については、まったくもって私の知るところではないのだ。そして、さっそく、予行演習のコンフェデレーションカップが今週から始まる。放送は6月17日(金)朝1時からだ。

Jポップのえこひいき本

2005-06-15 22:02:48 | 書評
d502dea3.jpg”日本人はなぜこんなに「Jポップ」が好きなのだろう。”これが本書「Jポップの心象風景・鳥賀陽弘・文春新書」の書き出しである。

著者はまず、音楽界の数字の違和感を書く。世界第二の音楽市場である日本の75%のシェアは邦楽で、そのほとんどがJポップと呼ばれるメジャーアーティストの作品である。ところが、日本の音楽産業はことあるごとに欧米やアジアに販路を求めたにもかかわらず、著作権料収入でいえば海外から入ってくる金額は、全体の0.6%に過ぎないことを挙げている。数字は、データの種類によって何種類かあるのだろうが、要するに、「国内では圧倒的なシェアでも海外ではまったく売れない」という状況になっているわけだ。

著者は、この特異性について、マーケティングといった商品経済学的問題よりも精神分析学、民俗学、宗教学、社会学といった側面から分析をしようということだ。そして、その基盤としてユング派の精神分析学や神話学に拠るところが大きいとしている。例の集団幻想とか民族的心傷やら深層心理の話だ。

しかし、実際、この書物が大学生の卒業論文の域を若干はみ出して、こうして大手書店の片隅に縦置きに積まれたのは、「あまり真剣でもないし、まじめに書かれているわけでもない」からだろう。すべての作詞にユングやフロイトやチョムスキーのような分析が可能と考えているわけではないだろうし、第一、著者がとりあげた8人のアーティストに対しては、あきらかに「えこひいき」が感じられる。徹底的に持ち上げる評価と、ボコボコにしている評価だ。まあ、この本を真剣に読んで、どうなるのというところもあり、裁判員として公正な判決を下そうというようなことではないので、まあいいのだろう。

その”えこひいき”だが、二分すると、ほめてある方は、順に、GLAY、椎名林檎、ザ・ブルーハーツ、松任谷由美の4人。

GLAY:地縁でつながる成長無き時代の成長物語。大人好みの成熟へ向う。とのこと。

つまり、「良い子のバンド」か。RPGのヒーローということか。

椎名林檎:娘による母親殺し。母親を否定することによる自我確立の壮絶な戦いが感じられるとのこと。ガングロギャルに人生の究極的な目標を自覚させたということだそうだ。

確かユングがギリシア神話からのエレクトラ・コンプレックスという用語を使っていたような気がするが、同じ話だ。殺人犯の容疑。

ザ・ブルーハーツ:ロックによる救済、だそうだ。オウム真理教と同根だそうだ。(ホメ殺しだ。)ドブネズミやノミといったどうしようもない動物が多く登場するのは、輪廻再生を意味するらしい。

信仰心も無く、酔っ払って「リンダリンダ」とか歌うと、ゴキブリに生まれ変わることになるのだろう。

松任谷由美:現代のシャーマン、だそうだ。時代を先取りするのではなく、時代がユーミンを追いかけるらしい。

歌う魏志倭人伝か。地震発生の予想時期でも聞いてこなければならない。


そして、けなす方はいたって手厳しい。甘い方から順に、桑田佳祐(サザン)、草野マサムネ(スピッツ)、B’z、浜崎あゆみ。

桑田佳祐:ダブルアイデンティティの示す、都会の田舎者。大衆受けを狙うむらまつり。遅れてきた湘南ボーイ。江ノ島信仰。

そういえば、お盆の頃と除夜の鐘の頃にライブをしているのは、日本的信仰心につけこんでいるということだったのか・・

スピッツ:「まるいもの」に託したメタファーを多用し、「死」を暗示する表現でおどかす、とのこと。たましい、ビー玉、ウメボシ、ガイコツなどが大量に登場。そして、驚くことは、その変な宗教的な音楽に150万人が帰依していることだ、って。

宗教音楽であったことは知らなかった。それなら、教祖そのものになった方が割がいいのだろう。

B’z:どこかで聞いた「パクリ」音楽。日本文化はもともと中国文化のパクリなので、日本人は「パクリ」に抵抗感がないそうだ(逆だと思うが)。B’zを目の前にして感じる居心地の悪さは、日本文化に潜む、コピー性を想起させるからだそうだ。

そういえば、先日、中国西安市から来日された中国人民の方々も、「京都は西安の街並みをよく模倣の上、保存していただいた」と感謝していた。

浜崎あゆみ:サイボーグ女戦士。実在しない架空のイメージ「浜崎あゆみ」に近づこうと努力する「濱崎歩」。虚像であることを、国民全員が認知して、「絶望・孤独・痛み・不安・不信・不安定」といったネガティブと戦う女戦士像を作ってしまったということらしい。弱者救済のためのサイボーグマシン。

男戦士は「はなわ」か?安上がりだ。

この本を読んだ後の、最大の感想は、「まじめに読まないほうがいい」ということか、そういう意味では宗教書みたいだ。そして最大の疑問は「ヒッキー」が登場しないことだが、著者では歯が立たなかったのだろうと簡単に考えておく。そして本当は「ZARD」のことも書いてもらいたかったのだが、CDの枚数が足りなかったのだろうか。

洗濯機と乾燥機のシーソーに終止符

2005-06-14 22:05:53 | マーケティング
2b9d10fc.jpg梅雨入りを前に洗濯乾燥機を買い換える。3ヶ月前に乾燥機が二度目の故障をきたし、以来、製品研究及び、店舗研究をしていたのだが、梅雨っぽい雨が降り始めて、あきらめてジョーシン電機に行く。

さて、乾燥機はずっと使っているのだが、狭い家にばかり住んでいるので、洗濯機の上部空間に乾燥機を置かざるを得ない状況が続いていたわけだ。そうすると問題は、洗濯機に取り付けられる乾燥機、あるいは乾燥機に取り付けられる洗濯機でなければ不便になる。つまり、上下同じメーカーがいいということになる。そして、どういうわけか(あたりまえだが)二つの機械は別々の時期に壊れることになる。物が物だけに修理に来てもらわなければならず、大出費となる。それで2度目の故障であきらめることになる。結局、前述の事情から、ずっと大阪方面のM社製を使い続けてきた。マーケティング用語ではなんと言うのだろうか?「時差付き抱き合わせ商品」とかか?

ところが、最近は洗濯機と乾燥機が合体したコインランドリー式の製品が人気になっている。まあ、シーソーに飽きたら、どこかで思い切るしかないだろう。この洗濯乾燥機には、コインランドリーの様にドラムが横向きに回転するタイプと、縦向きに回転するタイプ(構造が複雑)とに分かれていたのだが、さっきのM社が斜めタイプを発売し、大々的にテレビでCMを流して売りまくっていたわけだ。コインランドリーを30度位、斜め上に傾けたようなタイプで、腰を曲げずにすむし、縦型ドラムほどごっつくない。事前調査では、それを13万円強で買おうと思っていたのだが、案の定、店頭にはこのM社製と、会社の評判が悪い、芝浦のT社製が並んでいる。デザインがアジア的にもかかわらず2万円高い。そして、色々と店員さんに話を聞くと、T社の苦労がわかってきた。

まず、先行して斜めドラムを発売したのはM社で、宣伝力であっという間に爆発的に売ってしまったとのこと。そして、何ヶ月かして色々と不満の声が上がってきたという事だ。斜めになって回転乾燥するので、どうしても一番下の奥に衣類が溜まりやすく、運悪くそこにはまった衣類はそのまま乾燥するのでシワが多くなるとのことだ。そして洗濯時間と乾燥時間が長く、全部終わって、衣類を取り出してから外出しようとすると、遅刻してしまうとのことだ。サマータイム制になると悲惨だ。

そしてT社は一手遅れたがために、そのM社の問題点にすべて対応した製品にしたとのことだ。洗濯時間の問題はどうやって対応したかはわからないが、ボトム残留衣類対策は簡単だ。傾斜を緩くしたのだ。つまり、あまり傾いていない。

しかし、このM社とT社、どうも以前と行動が変っている。M社は別名「マネシタ電器」と言われ、トップランナーのアイディアをベースに商品力を付け、開発費なしに儲けて顰蹙をかっていた(島耕作の作者もM社の社員で、毎朝、職場で社歌を歌っていたらしいがそれは秘密だ)のだが、自己資本が充実し過ぎて、売れる商品がなくなってしまい、猛省の上、商品開発に血道をあげている。まあ、そのうち開発費倒れになり、利益率が下がってしまうだろうが、企業ってそんなものだ。しかし、洗濯乾燥機でT社が、後追い作戦になったのは別の理由があったのではないかと邪推してみる。

調べていると、今年2005年は、国産第一号電気洗濯機が発売されてから75周年にあたり、その1号機を作った会社がメモリアル製品として斜めドラム型を発売する予定であったのだ。その社とはT社なのだ。つまり、M社はそういうT社の思惑を見破り、1年前に先手攻撃を仕掛けたわけなのだ。こすいところは、以前から変りはないようだ。

ところで、値引き交渉をしようと思ったのだが、定価は24万円もする新製品なので、あきらめて乾燥機と洗濯機の引取処分料金の方をちょっとだけ引いてもらったのだ。

二人の文学者が逝く

2005-06-14 22:05:00 | 書評
6月9日:塚本邦雄、現代短歌の雄。
    代表作:日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も
    84歳
    寺山修司の盟友。
    寺山の短歌が叙情性の上に成り立っているのに対し、塚本邦雄は社会性を基盤にしている。

塚本邦雄風愚作:あおによし なら女子大に降るあめはアメリカ育ちのセンチメンタル

6月10日:倉橋由美子
    明らかに、カフカの後継者
    69歳
    もっと、カフカが読みたかった。
    安倍公房と近い線をいく。私には倉橋の方が読みやすい。
    すぐに生き返りそうだと誰もが思いたくなる存在。
    
弊愚作:Kが亡くなったと新聞で読んだからといって、たやすくそれが信じられるようなことはないのだ。なぜなら、Kは生前に何度も、「私は死んだ、そして生き返ってきて小説を書くのだ」と宣言をしていたからだ。

「待った大王」処分は陰謀か?

2005-06-13 22:07:53 | しょうぎ
744d2890.jpg6月11日朝から、”将棋棋士である加藤一二三氏が「待った」をしたため、将棋連盟から対局禁止と罰金が言い渡された”と報じられている。昭和15年1月1日生まれ65才。彼より年配の現役棋士はほとんどいない。九段と書かれているが、元名人である。カソリック。以前は、若き神童といわれ、19歳で大山康晴名人に挑戦。西北大学卒業。

実は、私の将棋関係の連絡網では、「待った事件」は少し前から盛り上がっていたのだが、将棋に疎い方々にも楽しんでもらえるように、簡単な説明を加えながら書いてみる。将棋の実力とは、まったく関係ない事件だから。

まず、将棋は先手と後手が1手ずつ駒を動かして先に相手の王様を取ってしまうという、いたって野蛮で軍国主義的ゲームだ。木製の駒を、「パチッ」「パチッ」と指すわけだ。しかし、結構これが難しいのはご存知のとおりで、いい手もあれば悪手もある。プロの将棋は1局平均130手くらいであり、これは二人分なので一人65手になる。そのうちプロでも通常2手くらいは悪手がある。中には、指した瞬間、「しまった」ということもあるわけだ。たぶん2局に1回位は「待った」をしたくなるだろうが、どう考えても反則だ。だが、実はルールブックには「待ったは反則」とは書かれていない。

では、「待った」か「待ったでない」かの判定はどうなるのかというと、こども将棋でも有効な一般的なルールがある。つまり、駒から指を離したら、「着手完了とみなす」ということだ。ある位置に駒を動かした後、中指とか人差指を駒から離した瞬間に「その手に確定!」ということになる。「ファイナルアンサー?」と一々聞かなくてもいいことになっている。

もう一つ、今回の事件のキーポイントが、持ち時間制にあるのだが、これは報道されていない。プロ将棋の持ち時間というのは、例えば60分というと、正味60分ではない。たとえば、ある1手を3分59秒考えると「3分」ということになる。各着手ごとに1分未満を切り捨てていく。つまり59秒で指せば、0分のままだ。つまり、残り時間が少なくなると、持ち時間を温存するため、いつも59秒近くまで考えることになり、指すか、次の1分に突入するかということになる。

事件に入る前の、もう一つの事前情報だが、加藤氏の指離れは、以前から怪しいと言われていたのだ。時間いっぱいで秒読みが、「57、58、59」と言った時に指すのだが、そのあと、指で念入りに5回くらい、トントントンとつつく癖があるのだ。相手からしても、そばに座るタイムキーパーからしても、まったく困るわけだ。指していたとすると相手の時計が進むのだが、指していなければ自分の時計が進む。

そして事件は5月26日の、スカパー主催の「銀河戦」で放送された。対戦した相手は、阿部隆八段37歳。タイムキーパーは女流棋士のAさん。終盤で加藤氏の残り時間があと2分というところで、例のように「57、58、59」で加藤氏の桂馬が敵陣に進んだのだが、この場合、そのままでもいいし、駒を裏返して成桂として使ってもいい。加藤氏はそのまま裏返さずに置いたのだが、いつものようにトントントンを始めたのである。

そこで、ついに相手の阿部八段が怒り、タイムキーパーAさんに向って、「秒が切れているじゃないか」と怒鳴ったわけだ。そして数秒ほどの時間があって、Aさんが「加藤先生、最後の1分です」と言ったのだ。つまり、あわただしく最後の1分に進む。そうしたら、数秒後にトントンをやめて駒を取上げて今度は裏返して置き直したわけだ。つまり、「待った」と「怪しい秒読み」の複合反則のわけだ。そして、結果としてこの将棋は加藤氏が勝ち、トーナメントで次に進んだのだ。

そして、放送直後からあちこちで騒ぎになり、結局、将棋連盟は「待った」があったと判定したわけだ。動かぬ証拠はビデオだ。それに、元々、指を離さないでトントンはなかなか難しいはずだ。やってみればすぐわかる。

しかし、無念阿部隆氏は現場で負けを認めていたので、有効試合になっている。これもルールではなく内規だが、「悪意のある反則」以外は現場の投了優先主義というのがある。では「悪意のある反則」とは何だ?といえば、相手がトイレに席をはずした時に、盤面を変えるとか、難しい局面で第三者にいい手がないか聞く(助言行為)とかいうことらしいが、そんなのは永久追放ものだろう。今回の加藤氏には「悪意はない」と判定されたわけだ。

そして判決は罰金と来年度の銀河戦出場停止。重いようだが、非常に軽い。反則行為で勝って、次の対局料が手に入るのだから罰金は当然。もともとトーナメント制の次年度の銀河戦に出場停止といっても、負ければ1局しかできないのだから。もちろん今年で引退したら意味が無くなる。

そして、ここまで長くなってしまったのだが、ここから陰謀の話になる。

この加藤一二三氏、朝日新聞派なのである。現在は不明だが、以前は朝日の嘱託であった。昭和52年に発生した名人戦移籍紛争で名人戦の主催権は朝日から毎日に変わった。それ以後、朝日は大タイトル戦を持つことがなく、常に巻き返しのスキを狙っていたわけだ。そのため、棋界内部に朝日派を拡大すべく、長く加藤氏を支援していたわけなのだが、もう彼の、内部での力はまったくなくなり、将棋連盟会長には、宿敵、米長邦雄氏が座ってしまったわけだ。

それでは、米長氏が毎日派かと言うと、そういうわけではないはずだ。できれば財政困窮の折り、スポンサーとして、今度は、名人戦を毎日から朝日に移籍することを思い描いている可能性はあるだろう。となれば、この事件は、どうも将棋連盟と築地新聞が「絶好の機会」と「加藤斬り」で新局面を狙ったものではないかと睨んでいるのだ。つまり「捨駒」だ。

では、もう一方の読売の動静だが、こちらも怪しい。実は、賞金提供額は読売が最大金額で、「竜王戦」という新設タイトルを持っている。誰しも、名人戦の方が格上とは知っていても、ナベツネ方式を無視することはできずに、「棋界最高棋戦」と格別の扱いをしているのだが、「勘違いをして、いばりくさる記者」がいるので、辟易しているようだ。

そして、この大手新聞社も棋界内にシンパを作っている。M六段。現在、米長会長の経営している「米長企画」を「将棋ソフト盗用による著作権侵害」で提訴中。実は、こちらの事件もまた、将棋とは無関係で、「ネット時代の訴訟」として鑑賞すると面白いので注目している。何しろ、裁判所の中だけでなく、ネット上にお互いが証拠品を並べて、争っているのだから・・

そして、加藤氏は昭和57年度の一年間だけ名人位についているのだが、不幸にも私が最も強かった時であり、その時に獲得した五段免状には、「名人 加藤一二三」の署名がある。”どうしてくれるの、待った大王”

日本郵船歴史博物館で一句投稿

2005-06-12 22:09:40 | 美術館・博物館・工芸品
dd286871.jpg横浜関内駅から馬車道を桟橋方向に歩くと、海岸通りに出る。その海岸通り沿いにある白っぽい石造りの郵船ビルを改修して1993年にオープンされたのが「日本郵船歴史博物館」である。

日本郵船は1885年に郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併により設立され、以来120年が経過している。三菱系コンツェルンの中心的会社として、旅客、貨物の両輪で、文字通り日本の旗艦会社であったわけだ。しかし、120年の歴史のちょうど中間点で第二次世界大戦となり、所有船のほとんどは徴用されてしまい、さらにそのほとんどは戦争中に沈没してしまっている。そういう意味で、普通の会社の社史展示室などとは異なり、かなり公共的な内容の博物館になっている(とは言え、戦後は一企業というだけの存在であり、非生産的設備である博物館を維持するのはなかなか大変だろうと推察する)。入場料は500円だ。

展示品の構成はHPでも一部はわかるが、それなりに「歴史を感じて面白い」。ただ、やはり戦前の資料や調度品、舶用品などを収集するのには民間企業では困難があるのだろうか。戦前の事情は少ししかわからない。そして、特に戦時中に徴用された船舶には船員も一緒に戦場へ向かうのだが、結局、そのほとんどが沈没している。社員のうち数千人が戦場で亡くなっているのだが、それは民間企業の犠牲者ということで、国ではなく日本郵船という民間会社が毎年、殉職社員の慰霊という形で行っている。

そして追加的に事実を述べるなら、戦場での死亡率は、海軍よりも船員の方が高いとのことである。おそらく徴用された船の船底に近い機関室(ENGINE ROOM)で24時間交代で任務を果たすのは、軍人では無理で、郵船の社員船員なのだろうが、沈没する時には助かりにくい場所だ。機関室への浸水から沈没が始まることが多いのだ。それに較べて、軍人の方は、甲板より上部の居住区にいたと考えられ、船体から脱出できるチャンスが大きいからだろう。

よく、戦争犠牲者を「海外の戦場でなくなった軍人(兵隊)」と、「国内で空襲でなくなった民間人」とに二分するが、「徴用船の船員」のことは忘れられている。そして、「沖縄の地上戦に巻き込まれた民間人」のことも忘れている。まあ、今まで忘れられていた方々の亡霊が、今さら「国家レベルの慰霊を」といったところで喜ぶものではないだろう。

そして、現在、世は空前の海運ブーム。原因の大半は「中国」に起因し、鉄鉱石、石炭などの鉱石運搬船、急増する石油需要に対応する大型タンカー、そして異常気象によって、農産物の不作・豊作が世界各地で発生し、予期せぬバルカー船による海上輸送を引き起こしている。そのため大船隊の上にさらに巨大投資を積み重ね、内外の造船所に今後5年分の発注残を積み重ねているのが現実なのだ。もちろん、こちらの経営計画は失敗しても、船は沈まない。会社の方が沈むわけだ。

そして私も含めた株主も沈む。泡沫株主はまさに、泡沫となるだけであり、どうでもいいのだが、その場合、日本で最も皇居に近い、江戸城和田倉門前の日本郵船本社ビルを土地ごと手放してもとても足りないだろう。

そして、その皇居に最も近いはずの郵船ビルだが、詳しく観察してみると、一階には、何とテナントが入っているのである。丸ビル側は新生銀行。そして、皇居側には外資系ジャーナリズムであり、経済ニュースの配信を行っている「ブルームバーグ社」である。つまり、日本でもっとも皇居に近い会社はブルームバーグ社であったということか。会社の名前がニューヨーク市長と同じというのには訳があって、20年後にホリエモンが東京都知事になるようなものなのだが、その話はきょうは省略。

さて、博物館でもらった資料の中に、「海・船・港を詠む俳句コンテスト」というのがあり、高浜虚子の4人の孫の方々が審査委員になっているとのこと。さっそく一句二句とひねってみた。優秀作は7月30日(土)に表彰式とのこと。手帳の7月30日の欄に郵船の「ゆ」の字を書き、丸で囲ってみる。落選ならば、スーパー銭湯にでもいくしかない。もちろん表彰式に出場できたら、栄えある俳壇進出第一作としてブログで公開するつもりではある。

さらに蛇足だが、日本郵船の株主総会召集通知がやってきた。平日午前中。半休とって行くことにする。もしも30秒で終わったら、何か大手町でブログネタ拾ってくるかなあ。

スーツ族VSルーズ族

2005-06-11 22:12:47 | マーケティング
アルファブロガーの大西宏さまから、正々堂々と紹介されてしまった。さらに、楽天的脳天気さまからも。皆勤賞+アルファ。そういう紹介された直後のエントリというのも難しいものがある。実は、サッカーねたで、簡単な「JOKE blog」をUPしたのだが、JOKEと受け取られないと困るので、さっそく削除してしまった。運悪く読まれてしまった方は、さっと忘れてほしい。ということで普通(?)のエントリ。枕はクール・ビズから。

昨日の夕方、仕事で大手町の方へ行く。再開発が進み、ビルはきれいになったが、歩道は多少歩きにくい。ビルによって歩道の幅が変るからだ。とにかく、歩道を歩く人は多いが、蒸し暑い。そしてクール・ビズの普及率はというと、まず0%だ。90%の男性はスーツを着ている。そして10%の男性は、スーツの上着を持って歩いている。この大手町地区、高層ビルはないが、世界のビジネスの中心地のように錯覚させるところがある。由緒正しい大企業ばかりだ。三菱が原というだけに三菱系が多いし、金融関係も多い。

そして、地下鉄半蔵門線で会社に戻ろうと、電車に乗り、ちょっと考え事していたら、逆走したことに気付く。錦糸町だ。OH!。結局、いくつかの手配をして、そのまま、恥ずかしくも半蔵門線で直帰することにした(軟弱だから)。そこで思いついたのが、サラリーマン男性の服装チェック。

まず、錦糸町で乗車する男性は、ブレザーにネクタイというのが多い。白っぽいブレザーで黒っぽいシャツ。やはり江東区か・・そして、10分位で大手町に着くのだが、今度は100%ダークスーツ。このあたりでかなり混んで来る。そして皇居を北回りし、永田町まではそういう感じのスーツ族だが、青山一丁目、表参道、渋谷と進むと、スーツは激減する。そして女性比率が高まる。早い話、渋谷での男性スーツ比率は20%といったところだし、スーツやネクタイもカラフルになる。職種が違うわけだ。衣類関係、ソフト関係のカタカナ会社が増える。平均年齢も若いし、女性も多い。経験すればわかるが、渋谷の街をスーツで歩くのは、違和感アリアリだ。そして、電車は渋谷で満員になり、川崎横浜方面に向かい、徐々に空いてくる。

つまりクール・ビズとか口で言う前に、実地調査をすれば、大手町の大会社、金融街が、スーツ主義の発信地(スクエア)であり、周辺地区はかなりルーズになっているということなのだ。それで、スーツとルーズは完全に二極化しているかというと、中間地があるのではないだろうか。つまり大手町と渋谷を中心としたエリアの間には、大手のソフトウェア会社(元請)が入っていて、渋谷エリアが下請けになっているのではないだろうか。ちょっと位置を確認すると、東芝(浜松町)NEC(田町)富士通(汐留他)日立(お茶の水)IBM(六本木)。

つまり、大手町のかなり外側のエリアにこうした大手が配置され、東京の東西の流れを分断しているわけだ。つまりルーズ族は大手町のスーツ族と直接会わずに済むような仕組ができている。つまり、大手町だけでスーツからルーズに変ればいいのだろう。だが、逆にいうと大手町だけ見ていたら大勢を誤るともいえるのだ。それに役所の世界でも、ノンキャリさんは、ノーネクタイだったりサンダル履きだったりするし、キャリアの方は混んでる電車には乗らない。こちらも見誤らないようにしなければいけない。というところまでが第一部。

第二部は大いに偏見に満ちた話なので(一般論だが)、気に食わなければ、文末にBAD評価投票がついているので、遠慮なくクリックしてほしいのだが・・

山手線の東側、つまり東京から品川あたりまでは、歴史のある大会社、大金融会社が多い。もちろん一部上場企業も集中している。そして、おそらくサラリーマンの給与水準も高い。逆に西側の池袋、新宿、渋谷、大崎のラインは対象的に中小企業が多い。またカタカナ企業が多い。ソフト関係やファッション関係や雑多だ。残念ながら一般的には給与が低いと思われる。女性勤労者も多い。つまり職場の東高西低があると思う。そして問題は、あくまでも一般論だが、住民の所得は、その逆で西高東低といわれている。武蔵野市、杉並区、世田谷区、大田区、川崎、横浜北部の方が、江東地区・千葉・埼玉・茨城より所得が高いといわれれば、そうかもしれない。

そして、このねじれがあるため、東京西部の住民は、東京東部まで通勤し、逆に東京東部の住民が東京西部に通勤するということになり、朝の混雑を引き起こしているのかもしれない。山の手線の内側で、通勤ルートが五目焼きそばみたいなことになる。しかし、これこそ、それで何だ!というだけなのかもしれない。というところまでが第二部。

第三部はまさに蛇足なのだが、先日、防災関係の記事を見ていたら、都内直下型地震でもっとも焼失の危機が高いのは、この西部の大田区、世田谷区ということ。要するに、第二次大戦であまり焼けていないということらしい。奢れる者は久しからずということだ。

あまりにクール・ビズから遠隔地にきてしまったのだが、つまり、地震やミサイルでもなければこのねじれ現象やスーツ偏重主義は変わらないだろうと思ってしまうのだ。また、東京西部が焼けた場合、多くのサラリーマン社長は家を失うことになり、仕事どころではなくなるのだろう。そして、その地区のベンツのマーケットシェアは世界有数の濃度であろうことから、巨額のベンツ焼失とベンツ運転社員の失職もまた予期し得る結果なのだろうと思ってしまうのだ。

1 ShotLog-14 rainbow

2005-06-11 22:10:57 | PHOTO
737cfece.jpg横浜、2005年6月11日18時43分。

虹は雨上がりの青空に広がるものと思っていたが、超巨大な虹が現れた。

そして、雨は降り続いている。

空は曇っているのに。

さらに虹は二重に見える。もうすぐこのまま日没時間になる。

大地震の前兆でないことだけを祈る。

365日・442エントリ経過中

2005-06-10 22:13:33 | 市民A
一応、6月10日でブログ1周年となった。「一応」とつけたのは、昨年の6月10日の段階は、ブログではなく、自分のホームページの中のダイアリーとしてスタートしたからだ。つまり、最初は、ブログとは形式が異なっていた。そして、ホームページそのものは当初HTML語で作ったのだが、何しろ難しすぎることもあり、ホームページビルダー(ソフト)で作り直す。その後、さらに全面的に作り直している。よく「家は3軒建て直してはじめて満足できる」と言うが、HPは3回直しても満足できないし、実際の家も3回買い直したが、満足できない。さらに、今は、将棋関係で別のHPも作ったりしている。話を戻す。

ブログを知ったのは、6月末の頃だと思う。雑誌で見つけて研究してみた。日記部分を全部引越ししたのは7月15日である。ただ、日記とブログと同じ調子である。今と同じ「風任せ方式」だ。当時のブログプロバイダーシェアは、「はてな」「北国」などが大手で、「livedoor」は4番目だったと思う。「無料」というのがうれしかった。

当初の1ヶ月は、既に知っている知識をはき出すことで書いていた。肺活量方式だ。しかし、直ぐにネタ切れになるわけで、そこからは仕入と加工という自転車操業方式になり、現在に至っている。ある分野に詳しい友人も同時に始めたのだが、知識はかなり豊富だったのだが、数ヶ月で止った。これはアクアラング方式だったか。持続可能なブロガーは水中の酸素をえら呼吸できないといけないのだろう。そして、あちこちで餌を探さなければならない。酸素だけではサカナも生きられない。

そしてブログタイトルだが、当初は「200字Web-Diary」と名乗っていて、次に「200字えっせい」に変わったのだが、”200字ではなく2,000字ではないか”とか指摘され、現在の「おおた葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい」というやけに長い名前に落ち着いた。私のブログをリンクしていただいている方には、長過ぎて困っているのではないかと、申し訳なく思っている。「おおた葉一郎のえっせい」とか「しょーと・えっせい」とか短縮形にされている方もいるのだが、どうぞご自由に。タイトルにつき、もう少し突っ込むと、ブログはやはりエッセイではないかと思っているわけだ。が、本当のエッセイを書くと長すぎるし、第一、書くほうも読むほうも、毎日続けるという範疇をはみ出してしまう。

現在、他人ブログ読むのに30分、自分ブログ書くだけなら30分。ただし、私の取り扱う題材の中には、調査にかなり長い時間が必要なものもあり、「調査中」とか「とりあえずお蔵行き」とか「今後の楽しみ題材」とか色々ある。お蔵行きになった中には、半分書いたものもあり、もったいないのでなんとか再生の時期を待っているものもある。

ところで、昨年の最初の10日分あたりを読み直すと、当初の頃は「文体」が固まっていない。「・・・です。」とか、「・・でしょうかね?」というような、ブログ指南書に書かれているような書き方と、「・・である。」「・・・のはずだ。」とか一見、断定的な文体が日替わりになっている。そのうち、現在のようになってきた。丁寧語の方が、コメントはつきやすいのだが、何かコトバに力が入らない。

そして、当然ながら、一人で書いていても、誰が読んでいるのか、あるいは誰も読んでいないのか、皆目見当がつかない。当時の雑誌など読むと、ブログ初心者は、自分のブログを書くことに一生懸命になり、他人のブログは読まないというのがあった。つまり読む人は読むだけ、書く人は書くだけ。別にread onlyでも構わないのだが、実態や実数がわからないと不安になる(それは今もそうだが)。

ある時、ブログアウトサイダーから「毎日、ブログを書くのは、自己表現の満足のためなのか」という根源的な質問を受けたのだが、たぶん「違う」。モティベーションの根源は、「読者の存在感」なのだろうと思っている。たとえ、それが世界中でたった一人であってもというつもりだ。

livedoorの有料版の方に移動して初めてアクセス解析をしたのが9月9日のこと。驚いたことに176もアクセス数があったわけだ。当時の実感としては、10人位ではないかと思っていた。このギャップ感は相当数字が増加した現在でも感じている。もちろんエントリが増えれば、検索からこられる方も多いのだが、割引いて考えても、日本人は無口だ。言語を機能別に分解すると、「聞く」「しゃべる」「読む」「書く」というところまでが第一ステップで、「創る」というのはまた、別問題なのだろうか?IT化は大きな流れだが、一日中クリックだけしていても生きていけるし、仕事もできるといえばいえる。キーボードのないPCでも相当数、売れるかもしれない。何年間も文章を一行も書かないままの人間も多い。

さて、多くの方が書かれている「思い出のブログ」というのはあまりない。というかそれなりに一生懸命書いたものが多く、順番つけにくいのと、気軽に書いたからといって評判悪いかというとそうでもなさそうだからだ。逆に、思い出のコメントは、2004年11月26日の書評「だからお店は面白いのかな?」に対して、著者本人がコメントしてくれたこと。2005年3月3日の「会議中に眠った司会者の運命」の中で登場するコンサートに登場した当日のピアニストの方からコメントいただいたこと。こういうのがブログのリアリティということになるのだろう。うっかりウソや無責任な意見を羅列するわけにはいかないのだ。ごく最近は、2005年4月14日「関東最大級リサイクル店?」に、元店員という方から、あぶないコメントがきている。真偽のほどはわからないし、このコメントに対しては、積極的には動かないことにしている。

チェスのチャンピオン「ボビー・フィッシャー」シリーズは、彼が捕まってから釈放されるまで、結構真剣に目を配っていたし、検索でかなりの方がのぞいていたことを感じていた。そういう問題を深く探っていくのも、実は、根気がいるし、慎重になる。現実の人間や組織のことを書くには、プライバシーや著作権とか気になることも多い。妙な方からの因縁も何回かあったが今のところ切り抜けている。未完の「お城シリーズ」や「日本最古鉄道シリーズ」など、突然モグラ的に穴を掘り始めるのが特徴の一つでもある。

最近のエポックとしては、ランキングサイトを二つ取り付けてみた。メジャーサイトの方をGOOD評価、マイナーサイトの方をBAD評価にしてアンテナを立ててみたのだが、思いのほかBAD評価が多く、どぎまぎしている。メジャーの方は1クリック10点、マイナーの方は1クリック1点なので、たいしてかわらないじゃないかと思う。BAD評価の方は登録ジャンル内で一時、ベスト3まで上昇し、1番に近づいてしまったわけだ。まったく、そういうつもりではなかったのだが・・。これで上位になって、ランキング一覧からいらっしゃって、エントリを読んで、最後のところに、BAD投票があることに気づき、きっと怒ってしまうのだろうなって心配だが、頭が悪いのでよくわからない。(自分でBAD投票数を見るときは、ブックマークでランキング一覧表へいくことにしている。クリックしていくと、BAD票が1票増えてしまうからだ。)

とにかく、1年も続くとは、思いのほか自分の性格は粘り強いものだと感心するにいたっているわけだ。そして、それより、拙ブログを読み続けていただける愛読者の方々の方が粘り強いということなのだろうか。この辺の因果関係も、頭が悪いのでよくわからない。

実は、多くのジャーナリストの方々のように、はっきり自分の意見を書かないことがあるのだが、なにぶん今は、特定の会社で会社員をしているため、大胆不敵なことは書きにくいということがある(ただし、特定政党や宗教法人とは無縁なので、それほど極端な意見は持っていないのだが)。そして、本当に、専門分野のことの記載については、ちょっと筆をたたむこともある。「お里が知れないように」しているのだ。こういう態度はいけないのだろうが、自営業に転換しないと完全な「自己責任」は成り立たないのかもしれないが、それには若干の時間が必要と思っている。

現在、livedoor社のホストに確保している容量は2.1GBである。しかし、1年間で使った容量は54MB。あと37年分は続けられる計算になる。もっともそれは、livedoor社が存在していればの話であるのだが・・

死せるムンク、生者の欲望を走らせる

2005-06-09 22:15:58 | 美術館・博物館・工芸品
354e616c.jpg去年から、死せるムンクが走っている。最新のニュース(6月4日)は、まさに驚愕が・・

(共同:6月4日)
 ノルウェーの画家エドバルト・ムンクのこれまで知られていなかった作品とみられる絵画がドイツ北部のブレーメン美術館で見つかり、同美術館が4日までに公開した。1898年製作で、同美術館が保有している唯一のムンクの作品「死せる母」の修復中、表のキャンバスの下に別の絵が描かれているのが見つかった。
 いすに座る裸の少女の前に仮面のような男性3人の頭部が浮かんでおり、「少女と三つの男の頭」と名付けられた。


つまり、ブレーメン美術館の”お宝”を補修しようとして、額からはずしたら、どうもキャンバスが2枚張りになっているようだと、そおっと1枚目をはがしたら、2枚目が現れたということだろう。当然、3枚目があるかとは思っただろうが、なかったのだろう(この辺は全部推測)。

記者会見の写真では、色がはっきりしていなかったので、少し画像を復元して額縁も付けてみた。完成作なのだろうか?そしてなぜそんなところにあったのだろう。残念ながら1枚目の「死せる母」の画像は見つからなかったのだが、普通に考えるなら下の絵のほうが先にできていたのだろう。わからない。
ゴッホは、習作時代には貧乏だったので、一回描いた絵を塗りつぶして次の絵を描いたのは確認されているのだが、ムンクの二枚重ねには何か意味があるのだろうか?そうなると私のような凡人には見当がつかない。ムンクは母親の死の直後に多くの秀作を描いているのだが、それこそ「Why!ムンク」と「叫び」声を上げるしかないか・・

少し話は離れていくが、きっと、ムンクの作品を所蔵している世界中の美術館では、夜中にこっそりと額からはずして二枚目探しが行われることと思われるのだ。一枚買ったら、おまけにもう一枚ついてきたというのでは、まるであれではないか。

一粒で二回楽しめるのは、こどもの世界では「グリコのキャラメル」で大人の世界では「バ○ア○ラ」と思っていたが、「ムンクの絵画」もそうだったのだ。

そして、今年2005年3月には、ムンクの小作品3点(リトグラフなど)が移送中のノルウェー南部のホテルから盗まれた。幸いこれはすぐに犯人がつかまり、3点は回収されたのだ。しかしその半年前の8月22日にはオスロのムンク美術館から、世界に4枚あるうちの1枚の「叫び」と、1枚しかない「マドンナ」が武装強盗に奪われていて、現在も解決されていない。その時は、アテネオリンピックの頃で新聞では、「チョーキモイ男」の下のほうの記事になっている。

実は、オリンピックとムンクとは奇縁があり、リレハンメル五輪の時も記念展覧会の会場から、1枚盗まれている。これは身代金を払ったのではなかったか?(記憶に自信なし)

なぜ、オリンピックの時にムンクの絵画が狙われるのか考えてみた。
犯罪者にはムンクが好きな人間が多いのではないだろうか?(逆は真ならず)。そして、オリンピック期間中はチャレンジ精神が高まってくるのかもしれない。泥棒オリンピックの金メダルか・・

私も自宅を探して、何か1枚でも、はがせるものを探してみたが、何もない。はがせそうなのは、靴擦れでできた足の裏のカサブタぐらいだ。