ペリーが見た日本の印象については「ペリー日本遠征記図譜・下田郷土資料館編」が詳しいが、その中に二点、興味深い指摘がある。
一点目は、日本人が夜、寝る時に身につける浴衣のことだが、「帯が解ければ、すぐに前がはだけてしまうような着物を着ているから、日本人は子沢山になる」という指摘である。余計なお世話のような気もするが、案外、当たっているような気もする。少子化対策には、パジャマに高額なパジャマ税をかければいいかもしれない。
二点目は、「江戸には2階建ての建物がほとんどない」という指摘で、まさにぎっしりと木造平屋建てが、江戸中に建ち並んでいたのだろう。幕末の写真をみても、江戸は過密都市であることがわかる。
一方、1854年に日米和親条約が結ばれて150年が経ち、その頃の記録の復元、調査が盛んである。特に(東京都)港区では現在でも多くの諸外国の大使館があるのだが、その起源ともいうべき1850年代に列強各国が施設を設置している。当時の資料が散逸の危機にあったのである。それらの記録は、公使館が設置された寺院に多く眠っていたり、遠く海外の博物館の片隅に展示されたりしたのである。
7月3日まで、1ヶ月強の間、三田(田町)の三田図書館4階にある港郷土資料館で開かれている「江戸の外国公使館展」は、その調査の広範さと熱意が十分に伝わってくる手作りの展覧会といえる。よく学園祭などで、ミニ展覧会とか見るだろうが、それの100倍くらいすごい。
主に、視点は3つある。1点目は公使館そのもの。イギリス・アメリカ・フランス・ロシア・プロイセンは主に日本に2つの拠点を置く。横浜と江戸(ロシアは函館・江戸)。横浜は、空地だらけだったので、洋風の建物が建てられるが、江戸には空地がない。そのためか、幕府は港区にあるいくつかの寺(善福寺、西応寺、東禅寺など)を公使館と定め、寺院内の空地に建物を建てて公使館としている。おそらく、空地はそこぐらいしかなかったのかもしれない。
2点目はオランダ、デンマーク、スイス、ポルトガル等の小国は交渉使節を送りこむのだが、江戸での宿舎がないのだ。少し考えてみると、宿屋という商売は宿場町において発達したのだが、江戸には宿場はなかったろうから、外人の来日時は困っただろうと想像される。そこで登場したのが外人専用宿舎であり、S寺という寺なのである。各国が使節団を送ってきた時には、多くここが使われている。ホテル業である。そして、このS寺は現在では敷地内に高層ビルを建て、すべて鉄筋コンクリートで、外から見る限りベアグラウンドは見えなくなっている。周囲の中小企業のためにレンタル会議室を提供していただき、ありがたられている。もちろん会議室の利用料は無料だが、利用料見合いのお布施は必要だ。
3点目は公使館、館員の保護の問題だ。幕府の役人が警備に当たるのだが、幕末はかなり無法状態。だいたい参勤交代制のせいで、江戸市中には佐幕派だけでなく倒幕派もウヨウヨしていたのだから警備もしょっちゅう失敗して、斬られたり焼かれたりしている。その関係の資料も収集されているが、ちょっと遠慮がちだ。
ただし、残念なことに日曜が休館なので、サラリーマンは困ってしまうのだが、毎週火曜日は通常5時閉館を7時30分まで開館している。といっても会期は終盤で、火曜日は6月28日しかない。無料。ちょっと田町駅から三田図書館まではごちゃごちゃしている。
さらに、会期中に見られなかった人にもお勧めは、207ページにわたるカラー版の資料集(1,500円)。知識の集積であることと同時に、この一冊があれば、都内散策1年分のネタができる。まだ在庫はかなりあるようだ。そして、困ったことにその資料に登場する史跡や寺院の多くは、私が昼休みに昼食をパスすれば、十分に散策可能な場所にあるのだ・・
一点目は、日本人が夜、寝る時に身につける浴衣のことだが、「帯が解ければ、すぐに前がはだけてしまうような着物を着ているから、日本人は子沢山になる」という指摘である。余計なお世話のような気もするが、案外、当たっているような気もする。少子化対策には、パジャマに高額なパジャマ税をかければいいかもしれない。
二点目は、「江戸には2階建ての建物がほとんどない」という指摘で、まさにぎっしりと木造平屋建てが、江戸中に建ち並んでいたのだろう。幕末の写真をみても、江戸は過密都市であることがわかる。
一方、1854年に日米和親条約が結ばれて150年が経ち、その頃の記録の復元、調査が盛んである。特に(東京都)港区では現在でも多くの諸外国の大使館があるのだが、その起源ともいうべき1850年代に列強各国が施設を設置している。当時の資料が散逸の危機にあったのである。それらの記録は、公使館が設置された寺院に多く眠っていたり、遠く海外の博物館の片隅に展示されたりしたのである。
7月3日まで、1ヶ月強の間、三田(田町)の三田図書館4階にある港郷土資料館で開かれている「江戸の外国公使館展」は、その調査の広範さと熱意が十分に伝わってくる手作りの展覧会といえる。よく学園祭などで、ミニ展覧会とか見るだろうが、それの100倍くらいすごい。
主に、視点は3つある。1点目は公使館そのもの。イギリス・アメリカ・フランス・ロシア・プロイセンは主に日本に2つの拠点を置く。横浜と江戸(ロシアは函館・江戸)。横浜は、空地だらけだったので、洋風の建物が建てられるが、江戸には空地がない。そのためか、幕府は港区にあるいくつかの寺(善福寺、西応寺、東禅寺など)を公使館と定め、寺院内の空地に建物を建てて公使館としている。おそらく、空地はそこぐらいしかなかったのかもしれない。
2点目はオランダ、デンマーク、スイス、ポルトガル等の小国は交渉使節を送りこむのだが、江戸での宿舎がないのだ。少し考えてみると、宿屋という商売は宿場町において発達したのだが、江戸には宿場はなかったろうから、外人の来日時は困っただろうと想像される。そこで登場したのが外人専用宿舎であり、S寺という寺なのである。各国が使節団を送ってきた時には、多くここが使われている。ホテル業である。そして、このS寺は現在では敷地内に高層ビルを建て、すべて鉄筋コンクリートで、外から見る限りベアグラウンドは見えなくなっている。周囲の中小企業のためにレンタル会議室を提供していただき、ありがたられている。もちろん会議室の利用料は無料だが、利用料見合いのお布施は必要だ。
3点目は公使館、館員の保護の問題だ。幕府の役人が警備に当たるのだが、幕末はかなり無法状態。だいたい参勤交代制のせいで、江戸市中には佐幕派だけでなく倒幕派もウヨウヨしていたのだから警備もしょっちゅう失敗して、斬られたり焼かれたりしている。その関係の資料も収集されているが、ちょっと遠慮がちだ。
ただし、残念なことに日曜が休館なので、サラリーマンは困ってしまうのだが、毎週火曜日は通常5時閉館を7時30分まで開館している。といっても会期は終盤で、火曜日は6月28日しかない。無料。ちょっと田町駅から三田図書館まではごちゃごちゃしている。
さらに、会期中に見られなかった人にもお勧めは、207ページにわたるカラー版の資料集(1,500円)。知識の集積であることと同時に、この一冊があれば、都内散策1年分のネタができる。まだ在庫はかなりあるようだ。そして、困ったことにその資料に登場する史跡や寺院の多くは、私が昼休みに昼食をパスすれば、十分に散策可能な場所にあるのだ・・