365日・442エントリ経過中

2005-06-10 22:13:33 | 市民A
一応、6月10日でブログ1周年となった。「一応」とつけたのは、昨年の6月10日の段階は、ブログではなく、自分のホームページの中のダイアリーとしてスタートしたからだ。つまり、最初は、ブログとは形式が異なっていた。そして、ホームページそのものは当初HTML語で作ったのだが、何しろ難しすぎることもあり、ホームページビルダー(ソフト)で作り直す。その後、さらに全面的に作り直している。よく「家は3軒建て直してはじめて満足できる」と言うが、HPは3回直しても満足できないし、実際の家も3回買い直したが、満足できない。さらに、今は、将棋関係で別のHPも作ったりしている。話を戻す。

ブログを知ったのは、6月末の頃だと思う。雑誌で見つけて研究してみた。日記部分を全部引越ししたのは7月15日である。ただ、日記とブログと同じ調子である。今と同じ「風任せ方式」だ。当時のブログプロバイダーシェアは、「はてな」「北国」などが大手で、「livedoor」は4番目だったと思う。「無料」というのがうれしかった。

当初の1ヶ月は、既に知っている知識をはき出すことで書いていた。肺活量方式だ。しかし、直ぐにネタ切れになるわけで、そこからは仕入と加工という自転車操業方式になり、現在に至っている。ある分野に詳しい友人も同時に始めたのだが、知識はかなり豊富だったのだが、数ヶ月で止った。これはアクアラング方式だったか。持続可能なブロガーは水中の酸素をえら呼吸できないといけないのだろう。そして、あちこちで餌を探さなければならない。酸素だけではサカナも生きられない。

そしてブログタイトルだが、当初は「200字Web-Diary」と名乗っていて、次に「200字えっせい」に変わったのだが、”200字ではなく2,000字ではないか”とか指摘され、現在の「おおた葉一郎のしょーと・しょーと・えっせい」というやけに長い名前に落ち着いた。私のブログをリンクしていただいている方には、長過ぎて困っているのではないかと、申し訳なく思っている。「おおた葉一郎のえっせい」とか「しょーと・えっせい」とか短縮形にされている方もいるのだが、どうぞご自由に。タイトルにつき、もう少し突っ込むと、ブログはやはりエッセイではないかと思っているわけだ。が、本当のエッセイを書くと長すぎるし、第一、書くほうも読むほうも、毎日続けるという範疇をはみ出してしまう。

現在、他人ブログ読むのに30分、自分ブログ書くだけなら30分。ただし、私の取り扱う題材の中には、調査にかなり長い時間が必要なものもあり、「調査中」とか「とりあえずお蔵行き」とか「今後の楽しみ題材」とか色々ある。お蔵行きになった中には、半分書いたものもあり、もったいないのでなんとか再生の時期を待っているものもある。

ところで、昨年の最初の10日分あたりを読み直すと、当初の頃は「文体」が固まっていない。「・・・です。」とか、「・・でしょうかね?」というような、ブログ指南書に書かれているような書き方と、「・・である。」「・・・のはずだ。」とか一見、断定的な文体が日替わりになっている。そのうち、現在のようになってきた。丁寧語の方が、コメントはつきやすいのだが、何かコトバに力が入らない。

そして、当然ながら、一人で書いていても、誰が読んでいるのか、あるいは誰も読んでいないのか、皆目見当がつかない。当時の雑誌など読むと、ブログ初心者は、自分のブログを書くことに一生懸命になり、他人のブログは読まないというのがあった。つまり読む人は読むだけ、書く人は書くだけ。別にread onlyでも構わないのだが、実態や実数がわからないと不安になる(それは今もそうだが)。

ある時、ブログアウトサイダーから「毎日、ブログを書くのは、自己表現の満足のためなのか」という根源的な質問を受けたのだが、たぶん「違う」。モティベーションの根源は、「読者の存在感」なのだろうと思っている。たとえ、それが世界中でたった一人であってもというつもりだ。

livedoorの有料版の方に移動して初めてアクセス解析をしたのが9月9日のこと。驚いたことに176もアクセス数があったわけだ。当時の実感としては、10人位ではないかと思っていた。このギャップ感は相当数字が増加した現在でも感じている。もちろんエントリが増えれば、検索からこられる方も多いのだが、割引いて考えても、日本人は無口だ。言語を機能別に分解すると、「聞く」「しゃべる」「読む」「書く」というところまでが第一ステップで、「創る」というのはまた、別問題なのだろうか?IT化は大きな流れだが、一日中クリックだけしていても生きていけるし、仕事もできるといえばいえる。キーボードのないPCでも相当数、売れるかもしれない。何年間も文章を一行も書かないままの人間も多い。

さて、多くの方が書かれている「思い出のブログ」というのはあまりない。というかそれなりに一生懸命書いたものが多く、順番つけにくいのと、気軽に書いたからといって評判悪いかというとそうでもなさそうだからだ。逆に、思い出のコメントは、2004年11月26日の書評「だからお店は面白いのかな?」に対して、著者本人がコメントしてくれたこと。2005年3月3日の「会議中に眠った司会者の運命」の中で登場するコンサートに登場した当日のピアニストの方からコメントいただいたこと。こういうのがブログのリアリティということになるのだろう。うっかりウソや無責任な意見を羅列するわけにはいかないのだ。ごく最近は、2005年4月14日「関東最大級リサイクル店?」に、元店員という方から、あぶないコメントがきている。真偽のほどはわからないし、このコメントに対しては、積極的には動かないことにしている。

チェスのチャンピオン「ボビー・フィッシャー」シリーズは、彼が捕まってから釈放されるまで、結構真剣に目を配っていたし、検索でかなりの方がのぞいていたことを感じていた。そういう問題を深く探っていくのも、実は、根気がいるし、慎重になる。現実の人間や組織のことを書くには、プライバシーや著作権とか気になることも多い。妙な方からの因縁も何回かあったが今のところ切り抜けている。未完の「お城シリーズ」や「日本最古鉄道シリーズ」など、突然モグラ的に穴を掘り始めるのが特徴の一つでもある。

最近のエポックとしては、ランキングサイトを二つ取り付けてみた。メジャーサイトの方をGOOD評価、マイナーサイトの方をBAD評価にしてアンテナを立ててみたのだが、思いのほかBAD評価が多く、どぎまぎしている。メジャーの方は1クリック10点、マイナーの方は1クリック1点なので、たいしてかわらないじゃないかと思う。BAD評価の方は登録ジャンル内で一時、ベスト3まで上昇し、1番に近づいてしまったわけだ。まったく、そういうつもりではなかったのだが・・。これで上位になって、ランキング一覧からいらっしゃって、エントリを読んで、最後のところに、BAD投票があることに気づき、きっと怒ってしまうのだろうなって心配だが、頭が悪いのでよくわからない。(自分でBAD投票数を見るときは、ブックマークでランキング一覧表へいくことにしている。クリックしていくと、BAD票が1票増えてしまうからだ。)

とにかく、1年も続くとは、思いのほか自分の性格は粘り強いものだと感心するにいたっているわけだ。そして、それより、拙ブログを読み続けていただける愛読者の方々の方が粘り強いということなのだろうか。この辺の因果関係も、頭が悪いのでよくわからない。

実は、多くのジャーナリストの方々のように、はっきり自分の意見を書かないことがあるのだが、なにぶん今は、特定の会社で会社員をしているため、大胆不敵なことは書きにくいということがある(ただし、特定政党や宗教法人とは無縁なので、それほど極端な意見は持っていないのだが)。そして、本当に、専門分野のことの記載については、ちょっと筆をたたむこともある。「お里が知れないように」しているのだ。こういう態度はいけないのだろうが、自営業に転換しないと完全な「自己責任」は成り立たないのかもしれないが、それには若干の時間が必要と思っている。

現在、livedoor社のホストに確保している容量は2.1GBである。しかし、1年間で使った容量は54MB。あと37年分は続けられる計算になる。もっともそれは、livedoor社が存在していればの話であるのだが・・