蒼穹の昴(浅田次郎)に苦戦

2005-06-19 21:55:24 | 書評
beff337d.jpg浅田次郎は短編作家かと思っていたが、長編も書く。それもかなり長い。蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)は、上下二巻で、かつ二段組になっている。全763ページ。中国の近代史の1ページを彩る多くの登場人物のスタンディングポジションをそれぞれの事情で書いていく。本当の主人公は「春児」と呼ばれ、貧農から出世していく青年であるのだが、主人公不在の章もあり、周辺登場人物も多岐にわたる。念のため、登場人物カードも用意され、確認しながら読むことができる。本当は、登場人物が多いのは苦手だ。できれば、モノローグだけの作品なんかの方がいいのだが・・

作者にケチをつけるではないのだが、上巻と下巻ではテンポが変わっているように思える。上巻は、果てしない中国の時間の淀みの中に科挙制度の話が進展していき、一体、清朝のいつごろの話かわからない。そして、例の「ちょん切る」描写が精緻をきわめ、ちょっとキワモノ的になる。「イヤダナー」「痛いだろうなー」って。この制度、いったい何が目的なのか?とか考えてしまうが、考え過ぎると前に進まないので、まあしかたないとする。

そして、一転、下巻では日清戦争から辛亥革命前後の混乱期に話が進んでいく。つまり時世は、清国最末期であるのだ。ここからは、山田風太郎の中国版のような早いテンポで進み、日本人も少し登場する。そして、革命、反革命が入り交じり、本の片隅に毛沢東少年が登場することで、フルキャストが揃い、閉幕に向う。

残念ながら、自分的には、少し消化不良だったかなと思う。まあ、中国人作家の現代文学も読んだことはあるが、やはり少し乗り切れない感性の差は感じる。「蒼穹の昴」の題名の意も掴めなかった。蒼穹は青空。昴は流星。青空に流星では見えない。隠された意味があるのか?しばらく、浅田次郎はお休みにする。

ところで、毛沢東が登場したことで思い出したのは、1976年に失脚した「四人組」の一人である張春橋が、4月に死去したことか。88歳。1980年から81年の間に判決が言い渡された。江青、張春橋には死刑(猶予2年)、王洪文は無期懲役、姚文元は懲役20年。江青、張春橋はその後、懲役18年に変更になったが、1991年に江青自殺。王洪文は1992年に病死。一方、姚だけが存命で1996年に刑期を終え出所している。なぜ、罪の重い江青と張春橋が18年になり姚は20年のままだったかはまったくわからない。

四人組が失脚する前は、中国にとって最大の敵はアメリカだったはずなのだが、その頃から日本を敵視するようになる。唯一評価できるのは、自国内の政治問題を自国で裁いたことではないだろうか。

もうすぐ、フセイン裁判が進みだす。


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