大名時計博物館に行ったわけ、

2005-06-26 21:35:47 | 美術館・博物館・工芸品
740a5adb.jpg大名時計という機械がある。単に大名が持っていた時計と思っていると、大きな間違いなのだ。「機械的不定時法表示時計」とでもいうべきなのだろうか。かなり難しい話になる。

そもそも、この大名時計を見に行きたくなったのには、二つの系譜がある。二つともBlogに登場している話なのだ。まず一つ目はサマータイムの話だ。夏の日照時間を有効に使おうというのが、サマータイム制の基本概念だ。そして二つ目の系譜は、例の福知山線脱線事故に関連して、日本人の時間の正確性が遠因と書いたのだが、その延長で最近「定刻発車」という書籍を読んだのだ。その両者に共通に登場する話題として、西洋式の時制と古来、日本(中国)にあった日没と日暮れの間を6分割する時制(不定時法)の対立の問題があったのだ。

不定時制の場合、夏至の頃は、昼の一時(いっとき)は2時間38分となる。夜は1時間22分となる。ほぼ昼の時間は夜の時間のなんと二倍の遅さになる。そして、冬至の頃は逆に、昼が1時間22分で夜は2時間38分となる。ずいぶん違うものだ。そして、それを機械的に表示しようというのだから、困難を極めるわけだ。毎日、1時間の長さが変化するのだから。

博物館で知ったのだが、日本に初めて機械式時計が運び込まれたのは1551年のこと。フランシスコ。ザビエルによる。もちろん、現代の時計と同様に等間隔で針が進む。それでは、この時計がどうやって大名時計に変わっていくのか、ということだが、詳しい仕組みはよくわからないのだが、大きな改良点は、時計の針が回るだけでなく、文字盤そのものが動くことことである。針の動きの方は一定速度で回るらしいが、夜と昼は文字盤自体が回転し、一時の間隔を調整するらしい。てんびん法とかのいくつかの方法があるらしいが、その原理は私には理解できなかった。

そして、この博物館は、まさに江戸と東京をつなぐタイムワープの入口のように見えるほど、時代がかっている。そして、展示物にも、数百年のタイムトリップの歴史が感じられすぎる。千代田線根津駅から徒歩10分ほどだが、途中の道や坂(三浦坂)は狭く、江戸の雰囲気が十分ある。そして、カラスの方が人間より多いかもしれない。さらに、驚愕の掲示を見た。「猿に注意!」高崎山か。

そして、この大名時計博物館、もうすぐ恒例の長い夏休みに入る。「7月1日から9月30日まで、休館」。この博物館の入る旧館は冷房が効かない。隙間だらけなのだ。入口には渦巻き型の蚊取り線香が煙を出しているが、野生のまま伸ばし放題の雑草やススキは大量の薮蚊を発生させている。青草の盛りの夏季の開館は無理なのだろう。そして、今年の10月1日になって、もう閉館になってしまっても私は驚かない。どうしても逸品をみたければ、6月はあと1週間だ。300円。

実は閲覧中に、首筋にチクリと痛みが走り、あわてて追い払ったつもりだったのだが、帰宅して背中を見ると、何ヶ所かに赤みがかった虫刺されの跡がある。蚊ではなかったのだ。謎の生物だ。カラスと猿と謎の毒虫。ここは東京なのか江戸なのか。一切が、復古主義的な知事のせいなのだろうか。