Jポップのえこひいき本

2005-06-15 22:02:48 | 書評
d502dea3.jpg”日本人はなぜこんなに「Jポップ」が好きなのだろう。”これが本書「Jポップの心象風景・鳥賀陽弘・文春新書」の書き出しである。

著者はまず、音楽界の数字の違和感を書く。世界第二の音楽市場である日本の75%のシェアは邦楽で、そのほとんどがJポップと呼ばれるメジャーアーティストの作品である。ところが、日本の音楽産業はことあるごとに欧米やアジアに販路を求めたにもかかわらず、著作権料収入でいえば海外から入ってくる金額は、全体の0.6%に過ぎないことを挙げている。数字は、データの種類によって何種類かあるのだろうが、要するに、「国内では圧倒的なシェアでも海外ではまったく売れない」という状況になっているわけだ。

著者は、この特異性について、マーケティングといった商品経済学的問題よりも精神分析学、民俗学、宗教学、社会学といった側面から分析をしようということだ。そして、その基盤としてユング派の精神分析学や神話学に拠るところが大きいとしている。例の集団幻想とか民族的心傷やら深層心理の話だ。

しかし、実際、この書物が大学生の卒業論文の域を若干はみ出して、こうして大手書店の片隅に縦置きに積まれたのは、「あまり真剣でもないし、まじめに書かれているわけでもない」からだろう。すべての作詞にユングやフロイトやチョムスキーのような分析が可能と考えているわけではないだろうし、第一、著者がとりあげた8人のアーティストに対しては、あきらかに「えこひいき」が感じられる。徹底的に持ち上げる評価と、ボコボコにしている評価だ。まあ、この本を真剣に読んで、どうなるのというところもあり、裁判員として公正な判決を下そうというようなことではないので、まあいいのだろう。

その”えこひいき”だが、二分すると、ほめてある方は、順に、GLAY、椎名林檎、ザ・ブルーハーツ、松任谷由美の4人。

GLAY:地縁でつながる成長無き時代の成長物語。大人好みの成熟へ向う。とのこと。

つまり、「良い子のバンド」か。RPGのヒーローということか。

椎名林檎:娘による母親殺し。母親を否定することによる自我確立の壮絶な戦いが感じられるとのこと。ガングロギャルに人生の究極的な目標を自覚させたということだそうだ。

確かユングがギリシア神話からのエレクトラ・コンプレックスという用語を使っていたような気がするが、同じ話だ。殺人犯の容疑。

ザ・ブルーハーツ:ロックによる救済、だそうだ。オウム真理教と同根だそうだ。(ホメ殺しだ。)ドブネズミやノミといったどうしようもない動物が多く登場するのは、輪廻再生を意味するらしい。

信仰心も無く、酔っ払って「リンダリンダ」とか歌うと、ゴキブリに生まれ変わることになるのだろう。

松任谷由美:現代のシャーマン、だそうだ。時代を先取りするのではなく、時代がユーミンを追いかけるらしい。

歌う魏志倭人伝か。地震発生の予想時期でも聞いてこなければならない。


そして、けなす方はいたって手厳しい。甘い方から順に、桑田佳祐(サザン)、草野マサムネ(スピッツ)、B’z、浜崎あゆみ。

桑田佳祐:ダブルアイデンティティの示す、都会の田舎者。大衆受けを狙うむらまつり。遅れてきた湘南ボーイ。江ノ島信仰。

そういえば、お盆の頃と除夜の鐘の頃にライブをしているのは、日本的信仰心につけこんでいるということだったのか・・

スピッツ:「まるいもの」に託したメタファーを多用し、「死」を暗示する表現でおどかす、とのこと。たましい、ビー玉、ウメボシ、ガイコツなどが大量に登場。そして、驚くことは、その変な宗教的な音楽に150万人が帰依していることだ、って。

宗教音楽であったことは知らなかった。それなら、教祖そのものになった方が割がいいのだろう。

B’z:どこかで聞いた「パクリ」音楽。日本文化はもともと中国文化のパクリなので、日本人は「パクリ」に抵抗感がないそうだ(逆だと思うが)。B’zを目の前にして感じる居心地の悪さは、日本文化に潜む、コピー性を想起させるからだそうだ。

そういえば、先日、中国西安市から来日された中国人民の方々も、「京都は西安の街並みをよく模倣の上、保存していただいた」と感謝していた。

浜崎あゆみ:サイボーグ女戦士。実在しない架空のイメージ「浜崎あゆみ」に近づこうと努力する「濱崎歩」。虚像であることを、国民全員が認知して、「絶望・孤独・痛み・不安・不信・不安定」といったネガティブと戦う女戦士像を作ってしまったということらしい。弱者救済のためのサイボーグマシン。

男戦士は「はなわ」か?安上がりだ。

この本を読んだ後の、最大の感想は、「まじめに読まないほうがいい」ということか、そういう意味では宗教書みたいだ。そして最大の疑問は「ヒッキー」が登場しないことだが、著者では歯が立たなかったのだろうと簡単に考えておく。そして本当は「ZARD」のことも書いてもらいたかったのだが、CDの枚数が足りなかったのだろうか。