北斎と広重展(6/7-6/19)

2005-06-17 21:57:32 | 美術館・博物館・工芸品
138ab9fb.jpgはろるど・わーどさんのblogで紹介されていたこともあり、会期後半にあわてて日本橋三越に行く。6月19日まで連日19:30まで開館。900円。浮世絵ということで年配者が会場には多い。そして全240点と非常に出展数が多い。「冨嶽三十六景」もあるし、「東海道五拾三次」もあり、さらに数多くの作品がある。狭い展示会場に詰め込んでいるため、なかなか容易でない。年金生活の方々が多く、遠慮とかしないので、自分の好みの錦絵の前でずっと立っているので、大渋滞になる。回復運転するには自分で飛ばしていくしかない。

そして、なぜ日本橋三越で開催されたかと言うと、一つの理由は、富嶽も東海道も原点が日本橋だからだろう。そして、さらに何らかの経済学的合理性が理由だろうが、よくわからない。

北斎と広重、どちらが好きか?といえば、評価はわかれるだろう。緻密な構成はどちらも五分だろう。写実性なら広重で、創造性なら北斎か。個人的には、以前は広重の描く江戸(他)の町並の人間描写が好きだったが、どちらかといえば北斎のダイナミック性の方が好みに変わっている。そして、この両者、生まれは北斎の方がだいぶ前だ。1760年。広重は1797年生まれなので37歳年上。しかし、北斎はかなりの長寿であり、冨士を描いたのは1831年のこと。72歳。一方広重の東海道は1833年。37歳。この二つの浮世絵シリーズはわずか2年の間に、世に評を問うことになったのだ。そして、両者ともさらに作を重ねていくが、おそらくこの二作を超えることはできなかったと考えてもいいだろう。

北斎は1849年に数え90歳で没。広重は1858年に62歳で没。ペリーの黒船がEDO-BAYに侵入したのが1853年であり54年には日米和親条約が締結されたのだから、広重の存命中である。黒船の図などもなしたのだろうか?

ところで、このコレクションの所有者は原安三郎氏といって、元日本化薬会長。北斎より長生きである(1884-1982)。97歳か98歳。念のため。日本化薬HPを見ると、浮世絵の記載はなし。個人所有なのだろう。ついでに日本化薬がさいたま市の社宅用地を売却したり、子会社の不動産会社を清算したりしていることがわかった(何をやっていたのだろう??)。

そして、個人所有の美術品の問題の一つではあるが、画質(紙質)が劣化してきているように見えてならない。保存方法にはどうしても不安が伴う。

以前、少しだけブログに取上げたが、北斎の冨嶽には、深みのある藍色が多用される。その藍色は、長崎を通じて正規ルートで輸入されるドイツ製の合成染料なのである。和名で「べろ藍」。べろはベルリンを意味する。ベルリン・ブルーとかプルシアン・ブルー(プロシアの青)とも呼ばれる。調べてみると1704年にドイツで発見されている。化学品の名前はフェロシアン化鉄。現在でも普通に化学の染料として使われている。18世紀初頭に発見された絵の具が世紀の後半には日本にまで伝わっているわけだ。文化の伝播速度は共産主義と同じくらい速かったのだ。

ところで、このベルリン・ブルーだが、現代でも見ることができる場所がある。それはシティバンクである。シティーのシンボルカラーである。ところが、最近、私が発見した意外な事実があるのだ。そのシティからの郵便物には、そのベルリン・ブルーらしいシンボルカラーが使われているのだが、それをスキャナーで読み取ろうとすると、直ちに色は変質し、限りなく黒色に近くなってしまう(あるロックスターみたいだ)。偽造防止策なのだろうが、あの銀行にとって、その前にやるべきことことは、たくさんあるのだろうが・・