今は、期末試験の真つ最中。本日は私の担当する科目の試験である。題材は中島敦の『山月記』である。
試験前の最後の授業の折、この小説の主題は何かといふことを「考へ」て書かせた。
直接的な問ひではなく、なぜ作者は『人虎伝』(中島敦が参照した中国古典籍の名前)ではなく、『山月記』といふ名前にしたのかといふことを通じてである。
そのことを「考へる」には、どうしても「主題」について「考へ」なければならない。ところが、さうはいかなかつた。300字ほどで書かせたが、多くの解答が「虎になつたことを通じて理不尽な人生を歩むことになり、その孤独を伝へるために対比的に自然の象徴である『山月』を使つた」と答へた。なるほど、一所懸命に「考へ」た様子である。変はらない自然と移ろいやすい人間の生、その対比をとらへたのである。
しかし、もう一歩深く「考へ」てほしかつた。虎が人になる理不尽さであれば、『人虎伝』でも十分ではないか。『狼男』も『エレファントマン』もある。そこには不条理があつた。李徴自身も虎になつた理由を三つ「考へ」てゐたが、「理不尽」はその内の一つにすぎなかつた。さうであれば、直ちに自分の「考へ」に修正を加へ、残りの二つの理由と題名との整合性を「考へる」といふ方向に行くべきであつた。しかし、さうはいかなかつた。なぜだらうか。
さういふ疑問をもつて、生徒の書いた文章を讀み返すと、理由のやうなものが見えてきた。それは「李徴=作者」といふ思ひ込みである。これは『山月記』といふ小説に限つたことではない。これまでにもさういふことがしばしばあつた。「文章といふものは、作者が書いたものだ」といふ図式から、「作者が作つた登場人物は作者自身の分身である。特に主人公は作者自身である」といふスキーム(枠組み)を作り出すのはほとんど直線的なのである。生徒たちがあまり小説を読まないからさう考へるのか、あるいは作者=主人公といふ読み方で日常の読書は一向に問題ないからか、そんなことが思ひ浮かんだ。
もちろん、これまでの国語の授業を通じて、彼らは作者と登場人物とは異なることを聞いてきたはずだ。しかし、「感情移入」して読むことによる心情読解を奨励されてきてしまつた生徒には、「作者=主人公」といふ図式を壊すのは相当に難しいやうである。感情が込められて作られたものには、その作者の感情がしみこんでゐる。だから、こちらの感情を通じて理解される感情は、登場人物のものであると同時に作者の感情であるといふことだ。それでは言葉は符牒に過ぎなくなる。言葉と意味との関係は一体であり、それ以上でも以下でもなくなる。そんな言語観から導かれる読解法なのである。
「暑くないですか」が気温を表す言葉であると同時に、「エアコンをつけてもいいですか」といふ確認を意味することを理解するには、「暑い」といふ言葉の意味から離れなければならない。それを可能にするのは、「感情移入」ではなく、レトリックの観点である。文脈と言つてもいい。言葉から意味を引き剥がして、もう一度「考へる」といふことが必要なのである。
あるいは、こんなところに私たちの近代文学の「伝統」たる「私小説」の弊害があるのかもしれない。
中島敦は、李徴の人物像を造型するにあたつて、自分の心理を深く分析したはずである。あの有名な「臆病な自尊心と壮大な羞恥心」といふねぢれた心理を表現したのは、空想してのことではない。自分の心を一すくひずつ掘り下げながら、書き留めたものである。しかし、さうだとしても李徴=中島敦ではない。敦の中には、袁傪もゐれば妻も子もゐる。だからこそ、小説が書けたのである。作者と登場人物との距離感を理解しながら、読み取るといふ作業は、どうやら難しいことのやうだ。私の反省としては、作者は自分の体験を下に、李徴の精神を分析したといふことを言つたことである。
この小説を最初に教へた二十年前の生徒には、きつと理解し得た内容であると思ふが、今日ではそれが出来にくい状況である。私の技量の低下を棚に上げて言へば、今どきの生徒たちは、文章を通じて作者と対話するといふよりも、作者はどこか別の場所にゐて、登場人物との会話の世界で楽しむことが読書であると思つてゐるやうである。もちろん、登場人物=作者であるから、作者と話してゐるといふ意識でゐるとは思ふが。しかし、外から見ると、それはテキスト論の位相である。彼らには全く聞いたことも意識したこともない領域である。ところが、そこは紛れもなくテクスト論の場所であらう。テクスト論などは学問の世界ではとうに吹き去つてしまつたのであるが、高校生の読書空間にはそれが残つてゐるのであらうか。柳田國男は蝸牛論で、都から言葉が伝播していく過程を説いたが、同じやうなことが言へるのかもしれない(真面目には「考へ」てゐませんが)。