言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論石川 6月号

2016年06月18日 21時14分48秒 | 日記

 時事評論の最新号のご案内です。3面「この世が舞台」は、モーパッサンの『藁椅子直しの女』を取り上げてゐる(岩波文庫『モーパッサン短篇選』所収)。私達の立つてゐる場所は、モーパッサンの生きた19世紀も、近代以前もそして多分将来的にも変はらない。「『美しいひと』が報はれぬ世の中は未来永劫なくなりはせぬ」との最後の留守先生の言葉は胸に沁みる。先日、留守先生に久しぶりにお会ひしたが、出会ふ時の感覚が、以前とまつたく変はらなかつた。「美しいひと」は、さう滅多にゐるものではないだらうが、変はらないひとでなければならないといふことも大事な条件であると感じた。

 4面の「騎士」子のコラムには疑問がある。「歴史的・法的に根拠があ」るといふことと、「独立を選択」するといふことの間にある距離が見えないらしい。以前にも、昔の日本も不道徳であつたから、現在もさして変はらないといふやうな話題を書いてゐたやうに記憶するが、それも同じである。「昔はかうだつた」といふことと「今もそれでいい」といふこととには懸隔がある。理想がないといふことなのかもしれない。その伝でいけば、コラム子は歴史的仮名遣ひで書かれてゐるが、仮名遣ひが作られた古代の表記は表音式だつたのだから、今も表音式でいいではないかといふことに反論できなくなる。歴史的仮名遣ひは、過去にあつたものではなく、語意識に基づく現代日本語であるといふ理想があつて生み出されたものである。沖縄がどうあるべきかといふことは、日本国がどうあるべきかといふ問題である。その視点から書き起こさなければ、民族自決主義の陥穽に陥る。民族とはこれまた実に曖昧な概念である。〇〇市は独立します。××市は独立しません。〇〇市△△町は独立しません。「歴史的・法的根拠」はしだいしだいに範囲を狭め果ては「私」用に用ゐられていくことになる。

 
 今月号は、次の通り。 どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。
1部200圓、年間では2000圓です。
(いちばん下に、問合はせ先があります。)

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   ☆    ☆    ☆

護憲派の拠点・牙城となる学校

  ――生徒を利用しての改憲反対運動加速 

   新聞記者 伊藤要



大丈夫か、日本の「表現の自由」

 疑問だらけのヘイトスピーチ法

   ジャーナリスト 山際 澄夫




教育隨想

 オバマ大統領の広島演説は、日米同盟を深化させたか(勝)



この世が舞台

『藁椅子直しの女』モーパッサン


コラム


     オバマ大統領、広島訪問(紫)

     リスクと利益(石壁)

     山口謡司のでたらめ(星)

     沖縄独立といふ選択(騎士)



問ひ合せ

電話076-264-1119
ファックス 076-231-7009

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