言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語119

2006年11月24日 21時28分41秒 | 福田恆存

川端康成の『雪國』の冒頭にある「夜の底が白くなつた」はまぎれもなく文體であつて、「夜が底の白くなつた」は文體はおろかもはや言葉ですらない。「が」と「の」といふ「語彙」の選擇は、文體がもたらすのではなく、文法がもたらすものである。

文法に從ひながら、そのなかで個人の趣向や言語感覺がかもしだすのが文體である。どこかの外國人が話すやうな「夜底白い」で意味が通じるのだから、「の」や「が」といふ助詞は重要ではないと石川氏が言ふのは言ひがかりである。それでも、この助詞の使ひ分け(つまり文法)が「二義的」なものであるといふのならば、もう少し精緻で説得力のある檢討が必要である。

斷言は、明確な根據がなければ單なる啖呵を切つてゐるに過ぎない(もちろん、私は文法といふものが演繹的にアプリオリに存在してゐるなどといふことを言つてゐるのではない。言葉の誕生つまり音聲と意味との聯合が少しづつ「言葉」を作り出していく過程のなかで、文法が生まれたのであり、そしてまたその文法が新たな言葉を作り出していくといふ相互作用を認めてゐるものである。ししかしながら、時代が下るにしたがつて、文法と言葉との關係は少しづつ變化し、前者が後者を壓倒する傾向が強まつてゐると言ひたいのである)。

  石川氏は、東アジアを書字中心言語地帶として位置付け(『二重言語』五二頁)、ヨーロッパの音聲中心言語の文化と對比する。このこと自體には何の問題も見出せないが、石川氏の念頭にある文字は、いつでも「漢字」である。より正確に言へば、秦始皇帝による文字のことである。それ以前は「象徴記号的古代宗教文字」(同書五一頁)であり、始皇帝による「政治的字画文字」こそ「書字中心言語地帯」として「東アジアの歴史と文化を形成しつづけ」たと見る。

たしかに現在、古代宗教文字はすべて滅び、いはゆる「漢字」が東アジアの文明を基礎づけてゐるやうに見える。しかし、先に津田の言でも触れたやうに、アジアは一つではない。漢字以前にそれぞれの文化を持ち、私たちの日本においても、漢字によつて記録は生まれたが、漢字によつて日本文化が生まれたといふ勇気ある結論は、石川九楊氏以外には見當らない。

それどころか、漢字と言つても、現支那で使用してゐるのは簡體字であるし、台灣では繁體字(正漢字)である。韓半島では、ハングル文字が主流であり、國民のほとんどは漢字を書けない。北の方では、あの有名な「主體思想」によつて外來文字である漢字は使用を禁じられてさへゐる。自文化中心主義(エスノセントリズム)の極致があの「主體思想」である。

日本はどうか。常用漢字なるものが流通し、畫數を減らすことを目的として意味のつながりを無視したまつたく異樣な漢字が使はれてゐる。「摸索」の「摸」が「常用漢字」にないから、「模索」にすると言つた類である。漢字の文明どころではない、宛字なのであるから。

  かうしてみると、東アジアの國國の人人同士では、筆談さへもほとんどかなはないといふのが、實態ではないだらうか。假想の「漢字文明圈」である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする