言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

なぜ「ミニコミ」と書くのか

2006年11月16日 22時37分31秒 | 日記・エッセイ・コラム

  『諸君!』11月號の「本の廣場」に、留守晴夫先生が自著『常に諸子の先頭に在り』の紹介を書いてゐる。この本は、多くの人に讀まれるべきであるし、『諸君!』が本書を紹介しようとすることを喜んだが、中にひとつ不愉快なことがあつた。

  それは、本書がもともと『月曜評論』といふ月刊誌に連載されたものであることを、「あるミニコミに連載した」と書いてゐたことである。『月曜評論』と明記することに何か不都合でもあるのだらうか。私は、留守先生が「あるミニコミ」などと書いたことをいぶかしく思つたし、憤りさへ感じた。

  本書を、以前評論家の潮匡人氏が「産經新聞」で紹介したが、潮氏は、『月曜評論』連載と明記してゐた。それがマナーであり、當然のことだと思ふ。

  私には、留守先生にどんな理由があるのか、あるいはないのか知るすべを持たないが、讀者はその誌面のみを基に考へるしかないのであるから、不愉快な思ひをここに記しておく。

  特に知的誠實を訴へるべき書である。栗林忠道の精神もまた誠實に徹してゐるところに宿つてゐるものだ。さうであれば、「ミニコミ」などといふ言ひ方は、發行者への非禮であらう。私は、かういふ姿勢は留守先生の嫌ふ「ゴム人形」のそれであると思ふ。

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福田恆存についての講演會があるやうです。

2006年11月14日 21時18分15秒 | 告知

「福田恆存を語る」講演会

 本年の講師には、第54回芥川賞受賞作家の高井有一氏をお迎えします。
 高井氏は、福田先生の国語問題の継承者の一人であり、また「キティ台風」をはじめとする福田演劇の熱心な観客でもあります。
 今回は、作家・高井有一氏を通し、福田恆存の神髄に迫ります。
 奮って御参加下さい。

 日時 平成18年11月18日(土)午後3時開演(開場は30分前)
 会場 科学技術館6階第三会議室(地下鉄東西線 竹橋駅下車歩7分)
 講師 高井有一
 演題 「福田恆存といふ人」
 参加費 1,500円

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言葉の救はれ――宿命の國語117

2006年11月13日 07時03分10秒 | 福田恆存

 前囘見た石川九楊氏の發言中、「政治文字が決定づけた」といふのは、それが古代ならばさうだとも言へよう。つまり、「秦始皇帝が統一し、制定した篆書体という政治文字」なら、文字が「文明、文化」を「決定づけた」とは、言へるだらう。しかし、その當時の關係が(始皇帝による支配が)今もつづいてゐるといふ發想には、度を越えた飛躍がある。もちろん、氏は東洋の言葉は、書字中心言語で、書くことにその本質があるとし、それにたいして西洋の言語は、聲中心言語で、話すことにその本質があるという性質が「決定づけられた」と言ひたいのであらう。しかし、その結論を出すには、より精緻な分析が必要である。

 文字といふものに過大な評價を與へてゐるからである。明らかに中國語の文法と日本語の文法とは違つてゐるではないか。文法とは、書き言葉によつて生まれたものではなく、文字が生まれる以前の話し言葉の中にすでにあつたものである。

 たとへば、現代中國語の「我是學生」と日本語の「我は學生です」とは、「我」や「學生」といふ言葉は同じであり、「我」「學生」といふ単語の順序は同じで、日本語は中國語の壓倒的な影響力の下にあると言へなくもない。が、「我は學生である」「我は學生ではない」、あるいは同じやうに「この花は美しい」「この花は美しくない」、「問題を考へる」「問題を考へない」など、日本語の文意の決定は文末でなされるといふ常識を思ひ出せば(中國語は英語と同じで、動詞の前に否定語をつける)、中國語とはまつたく隔絶したところにある言語であるといふことになるではないか。壓倒的な影響力は、漢字の文字においてはあつても、文の構成においてあるとは到底言へない。

 また、石川氏は、アジアといふ言葉で一括りして論じる癖があるが、それも中國語を重視するゆゑの誤謬である。アジアといふ地域は、一括りできるものではない。次の文をお讀みいただきたい。

「何よりも明白なのは、日本人の生活と支那人のそれとがすべての點に於いて違つてゐる、といふことである。家族制度も社會組織も政治形態も又は風俗も習慣も、日本人と支那人とに共通なものは殆ど無いといつてよい。道徳や趣味や又は生活の氣分といふやうなものが全く違つてゐることは、いふまでもなからう。日本人と支那人との間に意志の疏通を缺くことが多く、互に他を知ることが困難であつて感情の疎隔が生じがちであり、國交が常に紛糾してゐるのも、その根本はこゝにある。これは民族が違ひ、生活の地盤もしくは環境としての地理的形態や風土が違ひ、さうしてまた全く違つた別々の歴史を有つてゐるからのことである。民族の違ふことは言語が全く違つてゐる一事から見ても明白であつて、それはむしろ人種の違ひといふべきである。」

                   津田左右吉『支那思想と日本』一五二頁

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ダライ・ラマ法王に御會ひして

2006年11月09日 23時35分49秒 | 日記・エッセイ・コラム

  今日、私の職場にダライ・ラマ法王がいらつしやつた。學生らを前に、わづか45分の間だけであつたが説法をしてくださつた。私はチベット佛教については不案内であるが、その内容は分かりやすく、かつ話し方や仕種が釀し出す雰圍氣に、全身が包みこまれてしまつた。世が世なら國家元首であるその方が、今目の前で語る場面に立會ふのは、もしかしたらこれが最初で最後かもしれない。緊張した嚴肅な空氣が會場をおほつてゐた。

  私の學校では、毎朝般若心經をあげることが日課になつてゐる。それで法王樣の前でもいつものやうに讀誦した。般若波羅多・・・

  學生への説法であるから、學ぶことの意義から始められた。

  「般若」とは、學ぶこと、勉強すること、であるが、もう一つ、世界がどうなつてゐるのか、世界のありやうについて考へるといふことである。

  では、次に「波羅多」とはどういふ意味か。それは人人に親切にすること、人人に對する慈しみの心を持つといふことの大切さを意味してゐる。學ぶ目的は何か、自分のためではなく、周圍の人人を幸福に導くためである。その目的を忘れてはいけない。 そもそも、「般若波羅多」とは、人人を幸せにするために學びますといふ誓ひを佛樣の前に唱へることである、私はさういふ風に聽いた。專門家からすれば、違ふかもしれないが、拙い理解力でそのやうに聽いた。法王も言はれたやうに、若い人達は内にエネルギーをためてゐてはいけない。外に發散することが大事である。その發散してゆくことが、人に親切にするといふことであらう。

  般若心經を御存じの方は、よく知つてをられると思ふが、その御經には「般若波羅多」といふ言葉が五囘出てくる。それほど大事な言葉である。何も分からずに御經を讀むことも大事であるが、知つて讀誦することも大事であらう。法王樣の話された説明は、今まで私が讀んだ注釋書にはなかつた説明であつたけれども、やはり十二分に咀嚼された、生活的なものであつた。

  日本は經濟的に發展してゐるが、心の安定を持てない人が多い。最近の日本のニュースを御聽きになつてゐるのであらうか、自殺の多い事を危惧してをられた。心の安定は、自分の事だけを考へてゐては得られない。他の人のために生きる中で得られるものである。勉強を一所懸命することは大事である。しかし、人への親切心を持ち續ければ、ゆつくりゆつくり21世紀は良い時代になつてゆくだらう。

   21世紀は、少しづつ平和が作り出されてゆく時代である。平和は拜んでゐては訪れない。その爲には對話と親切心が大事である。21世紀は對話の世紀であるといふことを期待してゐる、さう話されて説法を締めくられたが、中共政府に追はれて亡命して來られた方が話す言葉だけに、その意味は重い。學生らに話すために、少少理想主義的な面もないとは言へないが、得がたいひとときであつた。

  學ぶとは何か、生きるとは何か。さういふことを考へずに、學ぶ人、生きられる人は、それはそれで幸せではあらう。しかし、さういふ疑問をもちながら、その上でさらに深く「波羅蜜」の境地に致れれば、その人の人生は更に深いところで幸せをつかむことができるのだと思つた。

  今日は一日、幸せであつた。合掌。

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言葉の救はれ――宿命の國語116

2006年11月07日 21時02分31秒 | 福田恆存

近代の外來語の問題と言へだ、たとへば、サボタージュが「さぼる」に、あるいはダブルが「だぶる」にと日本語化してゐるのは、あまり品のよい移入のかたちであるとは思はない。しかも、多くの日本人は、「さぼる」も「だぶる」も和語であると思つてゐる。品のよさなどといふ感覺がなくなつてゐるのだらう。ともあれ、かうしたメタ構造が現にあるといふことは、原日本語の性質に「つつみこむ」といふ性質があると言つて良いだらう。

ただし、今日の外來語の濫用については福田恆存も私自身も疑問があり、私にも考へがあつて、「つつみこむ」と言へるかどうか問題もある。が、それは別の機會にふれることにする。

  ところで、日本語に無文字の時代があるのなら、中國にもあつたはずである。無文字が非文明であるといふ證據は有り得ない。

襟・衿といふ字は、形聲文字(一つの漢字のなかに、意味を表す部分「形」と音を表す部分「聲」とがある文字)だが、「しめすへん」が意味を、「禁」「今」が音を表してゐる。文字が作り出されていく過程で、「えり」を意味する「キン」といふ音はあつたが、それを現す文字がなかつたので、衣の「キン」と呼ばれてゐる部分といふ意味で「襟」「衿」が生まれたと考へられる。ちなみに言へば、現代北京語では禁も襟も「jin(ジン)」である。もつともこの解釋は我流のもので、白川靜先生の研究では、別のことが書かれてゐるかもしれない。

  石川氏は、「文字が生れ、書記言語の成立とともに文法が確立するものであって、書記言語の成立なくして、文法の成立はありえない」(前掲書三一頁)と言つてゐるが、本當であらうか。この部分に続けて書かれてゐる「言葉が書記されること以前にどのような文法が存在するかはまったく不明なのである」はまだ良いとしても、文法は、文字のできる前からあつたと考へるのが妥當ではないか。繩文時代の集落の規模、農業生産の仕組やそれらによる交易があつたことを示す遺跡の數々を見るにつけ、單語の羅列で事足りるといふ解釋には素直にうなづけない。初期には單語の組み合せに近い状態があつたのかもしれないが、しだいに文法が生まれてきたと考へるのが正確な認識であらう。

石川氏は、いつたいにアジアといふものは壓倒的な中國文明の支配の下にあつて築き上げられたもので、日本もまたその文明下に治められてゐると見てゐる。日本語の文法などは、そのなかで作られたものであつて、原日本語の構造など、取るに足りないおのと考へてゐるやうである。

「文化相対主義者がどのような説明をしようとも、アジアとりわけ東アジアという言葉でくくられる文明、文化と、それとは異質なヨーロッパという言葉でくくられる文明、文化がある。そのアジアとヨーロッパとの違いは、まぎれもなく、秦始皇帝が統一し、制定した篆書体という政治文字が決定づけたのである」

『二重言語国家・日本』五二頁

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