言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論 石川 最新號

2009年04月26日 10時20分09秒 | 告知

○時事評論石川の4月号の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。1部200圓、年間では2000圓です。

 今囘は、拙論を掲載していただきました。「反米」論がまたまた「正論」のやうに言はれる現状への批判を書いたものです。保守派の言論は、政治的な話題は苦手なのでせうか。文學について面白い指摘をする人も、政治について書くととたんに左翼的になつてしまふ。さういふ論者が多くゐます。同じ人間がやつてゐることです。状況論で書く前に、人がどういふ存在で、どうあるべきかといふ視點でものを見るやうになつてほしいものです。

  御關心があれば、拙論御讀ください。

   4面のコラムで(柴田裕三)氏が書いた、中學教科書に掲載されてゐる向田邦子の作品「字のない葉書」改竄事件については、まつたく驚きとか言ひやうがない。何を漢字で書き、何をひらがなで書くか、かういふことは存外に作者にとつては大事なことである。それを勝手に變へて、國語の教科書とするとは、どういふ了見であらうか。このことは、『諸君!』の今年の三月號で高島俊男氏が書いたものが元であるが、まつたく同意である。教科書は、特に國語教科書はほんたうに良いものであるべきだ。さういふものが欲しい。前囘のこの欄でも書いたが、土屋道雄先生には、是非とも中學高校の國語教科書を作つていただきたい。

「反米」は亡國への道

    ―何度でも言ふ 親米といふ作法―

                  文藝評論家 前田嘉則

やはり民主党には政権は任せられない

 政権交代の意義と国体の復原性と

          大阪国際大学非常勤講師  久野 潤

覚悟が求められる日本及日本人

  新しい「国民主権軍」の時代の始まりか

                    評論家  植田 信

奔流            

テポドンが残したもの

  ―日米同盟は機能しているのか―

                ジャーナリスト 花岡信昭

コラム

        政権交代・その願望と幻想  (菊)

        教科書の向田邦子改竄 (柴田裕三)

          冷戦時代の二論客の死(星)

        小沢氏の体質見抜いている国民(蝶)            

  問ひ合せ

電話076-264-1119    ファックス  076-231-7009

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1 コメント

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 この度は同じ機会に掲載させて頂き光栄に存じま... (Kunojun)
2009-05-12 10:58:49
 この度は同じ機会に掲載させて頂き光栄に存じます。先日は失礼致しました、またお目に掛かれるのを楽しみにしております。
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