言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

鶴見俊輔氏のunlearnといふこと

2009年04月12日 23時54分09秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今、NHKの教育テレビで鶴見俊輔氏のインタビューの特集を見てゐた。一時間三〇分、飽きずに集中できたのはさすがに思索の人のことばには学ぶものがあつたからだ。よく分からない内容もあつたし、「国民の記憶は記録に残るが、人民の記憶こそ大事だ」といふことばには驚かされもした。何だか思はせぶりなことばだが、その具体例として挙げたのが、安保闘争の折の百万人デモだつたのには拍子抜けしてしまつた。日本の歴史上これだけの規模のデモなどない、まさに人民の記憶が戻つた瞬間だと顔を赤らめて発言してゐたが、一億人のうちのたつたの百万人ではないか。それが人民の記憶と力説するについては大いに疑問がある。毎日何千万人が家から会社まで通勤してゐる、その行動のはうが余程「人民の記憶」を体現した行為だと思ふがどうだらうか。

 十六歳でアメリカのハーバード大学に留学したといふ。十八歳のとき、図書館でアルバイトをしてゐると、ヘレンケラーが訪ねて来たさうだ。そこで会話を交はすと、彼女が「大学で一生懸命学んだが、仕事をするやうになつて、それをすべてunlearnした」と話してくれたと言ふ。このことばを、鶴見氏は初めて聞いたといふ。

 文字どほり訳せば、学んだことを否定するのであるから、「忘れる」といふ意味であるが、そこには「学びほぐす」といふ意味があるのではないかと感じたといふ。この説明に感銘を受けた。「〔知っていること, 学んだことなど〕を忘れる, 念頭から除く.」といふのではなく、学んだことをいつたん忘れて、もう一度深く学び直すといふことだと理解した鶴見氏の解釈に納得した。

 私は、「思想の科学」の読者でもないし「九条の会」の活動にも否定的であるが、何か魅力的なものを感じた。そこには、昭和の思想家の姿があつた。

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2 コメント

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僕も観ました。 (さえき)
2009-04-13 23:56:17
僕も観ました。
なにげなく観はじめて、気付くと目が離せなくなってました。
「ベ平連」のひと、という認識しかなかったんですけど、変った経歴なんですね。子どもの時の写真がありましたけど、すでに「利発そのもの」といった感じで、なんだかおかしかったです。
八十代後半にしてあの眼の鋭さ。ときどき恐いぐらいでした。なのに、小田実の思い出ばなしのときは自分のはなしに大うけで。

しかし、『悼詞』とリンクさせながらの番組だから仕方ないのかもしれないですが、はなしに出て来るひとはほとんどみんな死んでいて、ちょっと寂しい番組でしたね。
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さえき君へ (前田嘉則)
2009-04-15 11:57:42
さえき君へ

コメントありがたう。世代を越えて、楽しめる番組といふのは、さすがNHKといふ感じもしますね(それでも少ないと思ふし、問題の多い番組も多いのでNHKは好きではありませんが)。

党派性を組まないことが、思想家として最優先すべきことであると主張してゐましたが、「ベ平連」は十分に党派的でした。言葉は見事に行動に裏切られてゐる、しかもそのことに気づいてゐない。思想家の喜劇も十二分に堪能できました。「小田実の思い出ばなしのときは自分のはなしに大うけ」とは、さういふ構図で見ると、さらに楽しめました。「はなしに出て来るひとはほとんどみんな死んでいて、ちょっと寂しい番組でした」といふのは、世代のギャップを感じますが、鶴見氏もさういふ意味で過去の人なのでせうね。昭和の一人の思想家が、時代の空気を吸ひながら懸命に(自分なりに)考へた、そのことを見ることができたのが幸せでした。

言葉を語らうとする姿、言葉で抗はうとする姿が、あるいは、インタビュアーの質問に一瞬言葉に詰まる姿も含めて、印象的でした。
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