観る機会を逸してゐたが、やうやく観ることができた。
映像の美を観られればいいと思つてゐたが、まつたくその通りだつた。脚本が悪いのかもしれない。そして台詞の速度も切り方も映像を見せるために制御されてしまつたのかもしれない。とても説明的なのである。
事件の背景や人間関係の状況は台詞を通じて説明するしかないから、前半が説明的になるのは仕方ないが、それにしても「この役者はこんなに平板で、あの役者はこんなに激してゐたかな」と思はれることが多かつた。木村大作氏は、やはりカメラに徹した方がいいのではないかと思ふ。
映像は美しい。それはきれいといふのとは違ふ。画面全体が雨や雪で覆はれ、真白くなつて役者が見えにくくても、これこそが真の姿であるといふ制作者の意志が強く出てゐる。隅々までカメラの意志が支配してゐる人工美であらう。黒沢明が映画を今撮つたらかうなるだらうといふ美しさである。
音楽は加古隆。短調の静かな音楽は時間中ずつと耳に響いてゐた。
映画館には二人。初めは一人だつたが、途中からおじいさんが来た。そのおじいさん、ビニールの袋を出してはしまひ、出してはしまふ。耳に障る音を出し続けてゐた。あまりのひどさに注意したら、しばらく経つて出て行つた。何なのだらう。
不思議な映画と映画館だつた。
散り椿 (角川文庫) | |
葉室 麟 | |
KADOKAWA/角川書店 |
映画「散り椿」オリジナル・サウンドトラック | |
avex CLASSICS | |
avex CLASSICS |
追加
西島秀俊や池松壮亮は武士は似合はない。あの顎では武士の言葉は死んでしまふ。それから岡田淮一の殺陣は日本刀の振りであらうか。麻生久美子からは健気な女の気配は感じない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます