『國語問題論爭史』の著者であり、古くから福田恆存と親交があられ、御子息の家庭教師をされてゐた土屋道雄先生の新著を御惠贈いただいた。前作『新たなる出發』の續篇とも言へる自傳である。國語問題協議會での御盡力は相當なもので、人間關係の軋轢によくぞ耐えてこられたといふのが不遜ながら讀後の一番の感想である。ここでは一人一人の名前は紹介しないが、有名な作家であれ、評論家であれ、あるいはさういふ文筆家であるからだらうか、あまりに獨善的な姿に驚いてしまつた。その渦中にあつて縁の下の力持を買つて出られた土屋先生の御盡力に頭が下がる思ひがした。組織といふものがどうあるべきか、深く考へさせられた。また、知識人といふ存在の問題點には左右の差はないといふことも深く感じ得た。そのなかで、福田恆存や數名の先生方だけが土屋先生にとつては支へになつたのだらうし、さういふ過程を通じて土屋先生の福田恆存像が、確かに造形されていつたのだらうと思はれた。名著『福田恆存と戰後の時代』の意味を今までとは違つた觀點で捉へ直すことができた。
文藝春秋から出た『福田恆存全集』の校正は、土屋先生がなされたといふことを知つた。
土屋先生が御持ちの福田恆存の書幅は「春服既成」だと言ふ。論語の言葉で、「春着もすつかり整つた」といふ意味のやうだ。先に紹介した『福田恆存と戰後の時代』を御送りしたことへの御禮だと言ふ。さうであれば、土屋先生の前途への祝福であらう。福田恆存自身の喜びと出版を慶賀する氣持が選んだ言葉だと思ふ。
笠原書房 税込2000圓
福田恆存と戦後の時代―保守の精神とは何か (教文選書)
価格:¥ 1,631(税込)
発売日:1989-08
件の「論爭史」に関しても、ネット上で大騒ぎしていた人達がいましたが、ああいう自ら好んで火種をばらまこうとする輩には困ったものです。
それにしても、ネットには人間關係だの軋轢だのに矢鱈興味を抱く人間が多いですね。個人攻撃だけを目的にしたブログを立上げたり。しかも、さう云ふ自分の態度は棚に上げて他人を嘲笑しては好い氣になつたり。
ま、今更蒸し返してもしょうがないので、これでコメントは終わりにするけど。
粘着の喜六郎や粘着の青方の仲村は、粘着だから何でもかんでも「信者」の所爲にする。「信者」に責任轉嫁するな。