言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

白石一文『見えないドアと鶴の空』を読む

2024年05月01日 16時39分39秒 | 評論・評伝
 
 
 
 小説には珍しく「あとがき」が添えられてゐる。読み終へて、それを読むと、この小説が本当のデビュー作であると知つた。てつきり『一瞬の光』がそれだと思つてゐたので驚いた。最新作と言つても良いほどの完成度だと私には思はれたからだ。
 ある文学賞の佳作に入選したものの本になることはなく、鳴かず飛ばずの十数年を過ごしてゐたらしい。作家とは大変な職業なんだとつくづく思はれた。「あとがき」にはその他の作品への編集者たちの酷評が書かれてゐたが、私には理解できなかつた。世の中にはそんな名作ばかりがあるのだらうか。それが私の率直な感想である。もちろんそんなに読んでゐる訳ではないが!

 編集者たちの白石作品評は、とにかく「奇跡」を使ふことへの違和感であるらしい。都合のいいところで異界の力が動き出す。そこに現実味がなく、御都合主義的に映るのであらう。
 しかし、私はさうは思はない。いや数年前ならさう思つたかもしれないが、今はさう思はなくなつた。両親がこの世の生を終へたからかも知れないし、現代の物理学の知見が11次元の話をしてゐるのを今更ながら知つたからかも知れない。いづれにせよ、私たちの見えてゐる世界は、世界の一部でしかないのである。
 本書のタイトルである「見えないドア」とはさういふ世界に繋がる入口のことである。

「あとがき」ではもつとはつきり書かれてゐる。
「本書で主人公の種本由香里が繰り出すさまざまな超能力それ自体は荒唐無稽西部見えるとしても、彼女の使う特殊な能力に表象される人間個々の潜在的な力は、間違いなくこの世界に存在していると私は信じているのである」。
 主人公昴一はかう語る。

「死など、やはりどこにもないのだ……。(中略)生まれること、そして生きること、永遠に生きつづけること、それだけが真実であり、真実の奇跡なのだろう」。

 あらすじについて全く触れてゐないので、何のことかはさつぱり分からないと思ふが、白石文学に触れたことのある人は騙されたと思つて読んで損はない。また引用した部分に何か惹かれることがある方もご一読を薦める。
 私には良書であつた。
コメント
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