言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『大人のための公民教科書』を読む

2024年06月10日 16時40分33秒 | 本と雑誌
 
 今日も本の紹介である。高木書房刊の新著である。
 著者は、新しい歴史教科書をつくる会の理事をされてゐる小山常実氏である。

 現代日本には数々のウソ話があると言ふ。その中でも特に問題なのが、次の五つ。
1 日本は侵略戦争を行い、数々の国際法違反を行った戦争犯罪国家である。
2 「日本国憲法」は憲法として有効に成立した。
3 「新皇室典範」は皇室典範として有効に成立した。
4 日本政府が発行している大量の国債は借金だから日本は財政破綻する。
5 人間活動により地球温暖化問題が生じている。

 そして、本来「公民」の教科書は、それらのウソ話を排し、日本人のあるべき姿を示すものである。それが著者の訴へである。全くその通りである。
 にもかかはらず、それは多くの人々に共有されてゐない。日本国民は市民の集合であつて、公民ではないといふことである。
 しかし、私人がいくら集まつても公民ではない。砂をいくら集めても塑像にはならないのと同じである。さうであれば市民に公民教育をせずに、「私」はいつ「国民」になるのだらうか。共同体は自然発生的に生まれるものだ。親子関係、家族、親族、それらは生まれた瞬間に決まる(もちろん、だからと言つて何もしないでいいといふことにはならない。著者が1章を使ひ、その維持と健全化に費やしてゐる通りである)。しかし、国家は人為によるものであるから、「あるべき姿」を伝へなければ維持発展はできない。さういふ当然の手続きを疎かにしてしまつた結果、「国家」は蔑ろにされ、政治家は国民に丁寧語を使ふやうになり、国防は自衛隊といふ公務員の仕事といふ「役割分担」で片を付けてしまふやうになつた。それが戦後社会の正体である。
 著者は、そこにやり切れない怒りを抱いてゐる。そして、その怒りを感情にして流すのではなく、理路整然と何が間違つてゐるのかを記述していく。この労作は、その集大成である。
 なほ、恥づかしながら私は本書によつて井上孚麿(いのうえ・たかまろ)の憲法無効論といふものを初めて知つた。自分の無知を恥ぢると共に、その学恩に感謝する。

 この見ゆる雲のはたてに君ありと思ふ心はたのしかりけり  井上孚麿
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする