言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

引きこもりとシェアハウス

2022年01月04日 09時41分16秒 | 評論・評伝

 内閣府によると「平成30年度調査の結果により、全国の満40歳から満64歳までの人口の1.45%に当たる61.3万人がひきこもり状態にあると推計された」と言ふ。

 一方、シェアハウスの件数はどれぐらゐあるのかと言へば、「一般社団法人日本シェアハウス連盟が発表した『シェアハウス市場調査2020年度版』によると、シェアハウスは全国に5104棟」。2021年には若干減つたといふことだが、2013年には2744棟といふから、7年間で2倍といふことになる。一棟に10名住んでゐるとして約5万人。引きこもりの12分の1とは言へ、同じ時代に引きこもる人と家をシェアしようといふ人とがゐるといふことは考へたいことである。

 私は、大学時代10名ほどの友人たちと同居してゐた。彼らは学部も学年も違ふ先輩後輩たちで、誘はれて生活を始めたのである。田舎の大学でもあるし、そもそもシェアハウスといふ言葉のない時代であるが、食事も順番で作り雑魚寝状態で、共同生活をした。何もかも共同といふことであつたので安くは済んだが、個人の所有物といふのは衣類ぐらゐだつたやうに思ふ。大学を卒業したあと会社に勤めたが27歳のころほぼ引きこもりになつた。その期間は半年ほどあつた。単に退職して次の仕事をする気にならなかつたといふことなのだが、うつ状態であつたのも事実である。

 シェアと引きこもりといふことを両方経験したが、それによつて今日の私はある。我慢することと精神を守るといふこと、それを体験できた。

 昨日、私たちの現在の「国体」は「自分のため」といふ世俗的人本主義だと述べた。せいぜい「他者のため」ぐらゐで大丈夫かといふ問ひかけもした。

 しかし、考へてみれば私たちの現在には「国体」といふ意識を育てる契機自体がないのかもしれない。しかし、自分と他者とでしか生きる意味を探る術がないのはやはり貧しいことである。

 「国」を意識するには、教育が必要となる。例へば国防である。公共財である国防サービスにたいして私たちはあまりにも無頓着である。それについて学ぶ機会はあるべきだ。ちなみに私の住んでゐた「シェアハウス」では大学の先生をお呼びしたり、勉強会を開いたりしてゐた。大学には左翼学生がゐた時代で、キャンパスにはタテカンも健在だつたし、ヘルメットをかぶつた人もたまに見かけることがあつた。さういふ状況への危機感を私たちの仲間は共有してゐた。そこで学んだ知識や議論が私の底辺にはある。

 そして私が卒論に選んだのが、内村鑑三であつた。私の貴重な一冊は『後世への最大遺物』である。

 

 

 

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