読売新聞の今日の社説は、正鵠を得てゐた。
(引用はじめ)
感受性の豊かな高校時代に優れた文学に触れることは、後の人生にも大きな影響を及ぼす。文学と実用的な文章を切り離す高校の国語改革には無理があると言わざるを得ない。
高校は4月から、学習指導要領が新しくなる。現代文や古文、漢文を幅広く学ぶ必修の「国語総合」は、実用的な文章を扱う「現代の国語」と、文学や古典に特化した「言語文化」に再編される。
文部科学省は、社会で役立つ国語力の育成を掲げ、「現代の国語」では原則、文学作品を扱わない方針を示していた。
(引用終はり)
この浅薄な国語観を糺す必要がある。現代の国語を、評論や実用的な文章に限定するとはどういふ了見か。
ただ現実的には「文科省側は当初、教科書会社側には「『現代の国語』で文学を扱う余地はない」と説明していたとされる。しかし、検定を行う審議会は「文学の掲載が一切禁じられているわけではなく、直ちに欠陥とは言えない」と判断した。」といふことらしい。
審議会の見識に救はれ、それに対応するやうに全国の高校では、小説を入れた第一学習社の教科書が最大のシェアを占めたといふ。
読売新聞は、社説をかう締め括る。
「批判の多い改革を強引に推し進めるべきではない。文学と論理にあえて線を引かず、一体的に学べるように改めることが必要だ。」
この社説の見識を多としたい。