言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

現代の国体は、世俗的人本主義

2022年01月03日 09時53分26秒 | 評論・評伝

 年は明けたが、時代は継続してゐる。「時代」などといふと曖昧であるが、「人々の作り出す空気」と言へば少しは具体的だらうか。

 自分は何のために働くか、何のために学ぶか。さう自問した時に、「自分のため」あるいはせいぜい「他者のため」としか答へられないのが「現代の私たちの作り出す空気」であらう。

 しかし、これが違ふ時代の人々は「国のため」と明言できた。そのことの時代錯誤をたぶん「現代の私たち」は冷笑するだらうが、果たしてさうか。少子化ひとつ取つて見ても、何らの解決策を見出すことなく、私たちの国は衰退をしていくであらう。人口減が人口ピラミッドの構造の縮小ではなく、いびつな形の造型を意味するのは、「自分のため」「他者のため」の帰結である。そこに外国人労働者を受け入れるといふ施策を打つたところで、日本人が日本国をどうするかを考へずに「自分のため」にといふ目的であれば、日本が日本でなくなるだけである。

 私たちの戦後民主主義が大事に大事に守つてきたこの「自分のため」といふ空気の造型がまさに現代の国体である。国体などといふと分かりにくいだらうが、「国のかたち」(司馬遼太郎)、国民が最も大事にしてゐる価値観(考へ方)のことである。戦前の反省の上に立つて作り上げてきたこの国体がいよいよ限界に来た。さういふ意識で日々生活することは難しいだらうが、そのことを意識の底に置いておかない日々の生活といふのも欺瞞である。空虚感が表面に出てきたとき、果たして私たちはどうなつてしまふか。年頭に当たり、そのことを記しておかうと思ふ。

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