加茂神社の横に観涛処(かんとうしょ)への登山道が整備されています。
たかだか200段ぐらいの階段の中ほどでダウン。
コンビニで買ったお茶を飲み10分ほど休憩をとり、再度チャレンジ。
目の前に観涛処のおおきな文字が飛びこんできました。
以前に、ここに来たのはもう50年以上も前のことです。
その時の風景は覚えていません。
観涛処
標高70メートル程の通称加茂山の山頂のすぐ下の南面の崖に、左右10メートル程、上下3メートルの大きさの岩肌に、「観涛処」の字が薬研彫(やげんぼり)されています。
この「文字」は、永根文峰、19歳の書で、32歳で没した後、父・伍石が持参していたのを、姫路藩家老・河合寸翁(かわいすんのう)は、「藩主酒井候が〝眺望絶佳の地″として賞嘆しているこの地にふさわしい、として費用を出して刻させた」と読める跋文があます。
その最後は、天保七年三月 伍石 七十二叟 永眠と記されています。
そして、波のうねる風景は消えた
説明には、次のようにありました。
国指定史跡 観涛処
波のうねりを望む景勝地に、江戸時代後期、天保7(1836)年に姫路藩・永根文峰(ながねぶんぽう)の書を、河合寸翁(かわいすんのう)がきざませたもの。
「観涛処の左側にその由来文が刻まれている。
高砂市教育委員会
それにしても、ここから眺める「波のうねる風景(絶景)」が消えたのは遠い昔の話ではありません。
いまは、工場とその煙突の風景が広がるばかりです。(no3406)
*写真: 観涛処
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