ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

石の宝殿と生石神社の話(28) 観涛処(かんとうしょ)

2016-11-27 08:31:05 | 石の宝殿と生石神社の...

 

   加茂神社の横に観涛処(かんとうしょ)への登山道が整備されています。

 たかだか200段ぐらいの階段の中ほどでダウン。

 コンビニで買ったお茶を飲み10分ほど休憩をとり、再度チャレンジ。

 目の前に観涛処のおおきな文字が飛びこんできました。

 以前に、ここに来たのはもう50年以上も前のことです。

 その時の風景は覚えていません。

    観涛処

 標高70メートル程の通称加茂山の山頂のすぐ下の南面の崖に、左右10メートル程、上下3メートルの大きさの岩肌に、「観涛処」の字が薬研彫(やげんぼり)されています。

 この「文字」は、永根文峰、19歳の書で、32歳で没した後、父・伍石が持参していたのを、姫路藩家老・河合寸翁(かわいすんのう)は、「藩主酒井候が〝眺望絶佳の地″として賞嘆しているこの地にふさわしい、として費用を出して刻させた」と読める跋文があます。

 その最後は、天保七年三月 伍石 七十二叟 永眠と記されています。

    そして、波のうねる風景は消えた

 説明には、次のようにありました。

    国指定史跡  観涛処

 波のうねりを望む景勝地に、江戸時代後期、天保7(1836)年に姫路藩・永根文峰(ながねぶんぽう)の書を、河合寸翁(かわいすんのう)がきざませたもの。

 「観涛処の左側にその由来文が刻まれている。

                  高砂市教育委員会

 それにしても、ここから眺める「波のうねる風景(絶景)」が消えたのは遠い昔の話ではありません。

 いまは、工場とその煙突の風景が広がるばかりです。(no3406)

 *写真: 観涛処

 〈お知らせ〉

 http://hirokazu.webcrow.jp/kurakumatsuemon_blog.pdf

 上記のURLをクリックすると「工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛」が通しでお読みいただけます。

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