日本に入ったソロアスター教(祆教)
石の宝殿つくられた7世紀、日本は新しい国づくりの真最中でした。
新しい文化が中国からどんどん取り入れました。
その最大の文化は、なんといっても仏教です。
でも、ちょっと考えください。
日本に入ったのは仏教のみだったのでしょうか。熱心さにおいて温度差(公私の差)はあるものの、仏教だけでなく道教、当時中国に伝わっていたキリスト教、その他の宗教も同時に日本に入ったと考えるのが自然です。
宗教だけではないはずです。
ペルシャから日本へ
古代中国では、ハイカラな風習としてイランを源流とするものが大いに流行しています。
胡桃(くるみ)・胡麻(ごま)・葫(にんにく)など「胡」のつく植物・野菜は、たいていイランを原産地とするもの又はイラン経由のものです。
柘榴(ざくろ)・葡萄(ぶどう)もイランから輸入されています。
獅子や駱駝(らくだ)動物もそうです。
そうであれば、日本へイランやイラン経由で中国へ伝えられた文化が、こんどは、中国経由で日本へ伝えられたのは当然のことと想像されます。
松本清張氏は、飛鳥に残る不思議な石造物をヒントに、ソロアスター教(祆教・けんきょう)も日本入っていたと想像されました。
そして、NHK取材班と一緒にイランへその証明のために取材に出かけられています。
その結果をまとめられたのが『ペルセポリスから飛鳥へ』(日本放送協会)です。
この本と小説『火の路』を読んだとき、石の宝殿を調べてみたくなりました。
これらの本には石の宝殿も登場します。
少しだけ、結果を先に紹介しておきます。
石の宝殿はゾロアスター教の拝火壇で、上面は樹木が生えていますが、ここは、穴が開いていて火を焚いた場所ではないかと想像されています。(no3386)
*写真:ゾロアスター(祆教)でたかれる神聖な火(『ペルセポリスから飛鳥へ』より)