ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

石の宝殿と生石神社の話(24) アマンジャクの伝承

2016-11-23 09:03:55 | 石の宝殿と生石神社の...

      アマンジャクの伝承

 高御位山の磐座(いわくら)の続きです。

 ・・・・・

 昔、大己貴命(オオナムチノミコト)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)の二神が、一夜のうちに石の宝殿をつくりあげようと相談されました。

 さっそく、汗を流し、巨岩を切り抜いて細工をはじめられ、石屑が、辺り一面に飛び散り、どうにも始末が負えなくなりました。

 そこへ、へそ曲がりのアマンジャク(天邪鬼・アマノジャク)がやってきました。

 アマンジャクは、ずいぶんつむじ曲がりですが、親切なところもありました。

 二神のそばに来て、「その石屑は、このアマンジャク様が捨てて参りましょうか・・・」といいました。

 二神は喜んで「それでは、南の海に投げ込んでくれ・・・」と頼みました。

 アマンジャクは、大きな袋に石屑をいっぱい詰め込んで、スタスタと出て行きました。

 へそ曲がりのアマンジャクのことです、南へ行かず反対に北の方へ急ぎました。

 「へ、へ、へ・・・これを、海にすてては俺様の名がすたる。高御位山のてっぺんへすてるのさ・・・」と独り言を言いながら道を急ぎました。

 そうしているうちに、さすがのアマンジャクも背の石屑の重さが、だんだんこたえてきました。

 息が切れ、疲れてしまいました。

 あまりのしんどさに、一息ついて、水を見つけては喉を潤しました。

 しばらく行くと、また息が切れて水を飲みました。

    七回休息し、石屑を山頂へ

 一里の道を行くのに七回も休んで水を飲みました。

 七回目に、今の成井(なるい・現:加古川市志方町西志方)」(高御位山の麓の村)の井戸の水で、喉を潤しました。

 この水は何とも言えない美味しい水で、今までの疲れもいっぺんにふきとんで、再び元気が出てきました。

 そして、一気に高御位山の頂上まで、重い石屑を担ぎあげたということです。(no3402)

 *挿絵:アマンジャク(天邪鬼)(インターネットHPより)

 〈お知らせ〉

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