祭神は、「大国主神と少彦名」
前号で紹介したように、生石神社の祭神は大国主神(おおくにぬしのみこと)と少彦名(すくなひこな))の神です。
「どうして、この二神が祭神であるか」について考えてみます。
万葉集に、次の歌があります。
〝大汝(おおなむち)、少彦名乃(すくなひこなの) 将座(いましけむ) 志都乃(しずの) 岩屋者(いわやは) 幾世(いくよ) 将経(へぬらむ)〟(三五五)
なんとなく、石の宝殿(大石)を思い浮かべるような歌です。
作者の名前は、生石村主真人で生石神社の「生石」と同じです。
そして岩屋も登場しています。
祭神は、万葉集から
「生石」「岩屋」と重なると、この歌は、石の宝殿(大石)を詠んだ歌と想像してしまいます。
生石村主真人は、美濃の人のようです。かれは播磨国印南郡出身だとする理由はみつかりません。
古代史には、生石村主真人という人物は多く登場します。
万葉集に登場する上記の人物が播磨の人であることは判定でしません。
また、「志都乃岩屋(しずのいわや)この歌が「石の宝殿」を詠んだものであるであると決めつけるのは少し無理があるようです。
現在、万葉集の研究者も、石の宝殿を詠んだ歌と考えるのは無理としています。
江戸時代、「石の宝殿」を知る「文化人」が、万葉集のこの歌を「石の宝殿」と結びつけ、生石神社の祭神は大国主神(大汝)と少彦名ということにして、広がったようです。(no3382)
*挿絵:神様たち